通祭りが一日目に過ぎて、僕は狐面の家族の家にお邪魔することとなった。神社から見て、僕の家とは正反対の方向にその家は在していたが、見たまま僕の家だった。奇しくも反転した世へ神隠しにあったような心地に陥った。しかし、怪しむのも可笑しいので、僕は堪えてお邪魔することにした。
「どうぞ泊まっておゆき。恩人ですから。食事くらい出させてくださいな。」
と狐面の母が給う。女子のほうもうんうんと頷いて促してくれた。そういうことなら、有難く入らせて頂きましょう。夜に、家に帰られぬという一抹の不安を抱えたまま、暖かい家に足を踏み入れた。
「お加減どうでしょう。良ろしいですか。」
ありがとうございます。ご馳走です。僕は女子と同じ部屋で食事を頂いた。漬物と味噌汁など、ままある家庭的な馳走だった。質素なほどにものの味の善し悪しはすぐに判る。此はなかなかにうまいと思う。
満腹になった僕と女子は碌に母の仕事も手伝わず、床についてそのまますぐに寝てしまった。よく歩き回ったから、子供らしく寝かしてもらったのだ。僕に至っては、慣れない祭りに浮かれていたおかげで、特に疲れて寝てしまった。
だんだん頭が鮮明になる。ああ、そうだ。僕は狐面の女子の家に泊めてもらったのだった。今こうして落ち着いて考えてみれば、女子と会ってからまるで別の世に入ったように、面妖なことばかり発見する。本当に神隠しにあったのやもしれぬ。其の通りなのだとすれば、誰が何故僕を此世に連れ出したのか。はたまた偶然の事象なのか。偶然ならば、如何に起点として此有様なのか、帰ることは敵うのか。厭しかし今更思考を巡らせようとも答えに辿りつかぬことは明白だったので、兎に角今は考えぬようにした。
起きてみれば、狐面の母は忙しなさそうに釜でめしを炊いていた。早朝にもなれば、幾ら汗ばむ夏と言えど爽やかで、むしろ寒いほどだった。昨日疲れてすぐ寝てしまった罪悪感から、何か手伝えることは無いか。と尋ねると、女子を起こして欲しい。とのことだった。喜んで承り、僕は部屋に一度戻ることにした。 起きてくれ。お前の母様がめしだと。
「え、え、え、なんで貴方がここに。」
まだ寝惚けているようで、僕が自分の部屋に居ることを不思議に思っているようだった。だんだんと昨日のことを思い出した様で、つれて顔が赤くなってゆく。
「ごめんなさい。私、助けてもらった身なのに無礼なことを。」
僕と同じような寝起きの悪さに、思わずため息が出た。まるで僕を写す鏡のようだったから、好ましくなかったのだ。ため息を落胆や失望と誤解したのか、少し涙を浮かべて見ていた。其れを見つけて、焦って弁明した。訪問した処で女子を泣かせたと僕の母に知られたら、勘当されてしまうかもしれない。
二人は布団から抜けて、めしを食べることにした。夜と変わらず、狐面の母のめし炊きはかなりのお点前だった。二日目の祭りについて話すことがあった。其れは、二日目の祭りに行くのか如何か。
「是が非でも行きましょう。まだ周り切れてないところばかりですから。」
と給う。
僕はさらに、気がかりだったのですがつけたままの狐面は外さぬのですか。と伺うと、珍妙な面持ちで僕の方を見る。可笑しなことを問うただろうか。面目無い心持ちで答えを待つ。
「未婚の女子は皆これを付けて居ます。服と同じようなもので、婚礼の初夜にこれを外すのです。」
まさか。斯様な習があるとは露知らず、失礼なことを伺いました。頭を下げると、横で食べていた女子が僕の服の裾を掴んで励ましてくれる。知らなかったのなら大丈夫。其の女子の奥ゆかしさに、僕は少々の昂りを抑えた。話は少々変わるが、 確認したい事案を思いだして家を出る許可を頂きたいのだった。 あ、そうだ。昼に、調べたいことが有りまして。少しだけ家を出ます。
「其れなら、この子を連れておゆき。ここいらの道なら判るかと。」
ならばありがたい。少々ぶらつかせていただきます。そろそろ母にも会いたかった頃だ。この女子のことも紹介したい。一撃くらい打たれるだろうか。えも言わず祭りを抜け出して、帰ってこなかったのだから。ふふっ。この身は十ほどの若輩だけど、もう懐かしさについて解る気がした。いづれにせよ、僕の身辺に起きた此ら面妖な出来事全てを話せなくては気が済まぬ。
可笑しい。神社を起点に正しく僕の家に向かっているはずが、何故か逆方向に進んでいる気がする。あの家の畑なぞ粟を植えたことがあっただろうか。そんな時分は見たことが無い。何か嫌な予感がする。何より景色が少々違う。通祭りがあるから、夏の時分であることに間違いはない。では、何が予感を思わせるのか、僕は迷うていた。
後ろを歩く女子が僕に追いついてきた。横並びとなり、ふらつく足を抑えるよう僕に勇気を出してくれるみたいだ。訳も分からぬ筈なのに、とても愛い女子だ。警鐘のようにがんがんと頭を打つ予感を振り払いながら歩く他なかった。この道のうねりの先、僕の家が見下ろせるかもしれない。だんだん景色が見えてくる。だけど、僕の家は見られない。坂道の頂で見下ろしても、其姿は無い。大人に聞き込みをしなくちゃいけないかもしれない。僕と女子は居直して、再び歩を進めた。
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