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「ねえ亜希、そろそろ現実見なよ」
電話の向こうで姉の声が響く。
「いい年して、夢とか言ってる場合じゃないでしょ?」
「うん」
と、亜希は返す。
短く、やさしく。でも胸の奥は、かすかに痛む。
電話を切ると、机の上のノートパソコンが、まるで見られているように光っていた。
画面の中の女性読者向け某携帯小説投稿サイト。ペンネーム:ふらんぼわーず。
「『公国の姫様は濃厚で甘々な異国のスイーツがとってもお好き🍰🧁✨️✨️✨️』第12話更新しました!」
その一文の下に、見知らぬ誰かのコメントがついている。
すごく好きでした。
続き、待ってます。
それだけの言葉が、今の亜希には十分だった。
翌日。
カフェで仕事の面接。
「ご経歴、ずいぶん華やかですね。前職は銀行……」
面接官が言いながら、亜希の履歴書をパラパラとめくる。
「で、退職後は……“在宅執筆活動”?」
「はい、小説を書いています」
「へえ」
ほんの少しだけ笑った。
(その“へえ”が痛いのよ)と、亜希は心の中でつぶやいた。
夕方。
小さなカフェの窓際。
ホットティーの香りと、キーボードの打鍵音が混ざる。
「いい年して夢見て、か」
口の中でつぶやいてみる。悪くない響きだ。
“夢を見る”って、子どもの特権でも、若者の免罪符でもない。
自分にとっては、浄化みたいなもの。
亜希は指を動かす。物語の中にいるキャロリーナやフェルゼンたちが、画面の向こうで息をし始める。
投稿ボタンを押すとき、ほんの少しだけ笑った。
——いい年して、夢見てる。
それが、今の自分のいちばん現実的な生き方かもしれない。
その夜。
コメント欄に新しい通知。
「私も、いい年して夢見てます」
画面の中の言葉が、灯りのように胸にともった。