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第十章 ひとつ分の音を辿って
パチパチと薪が燃えている。
真ん中でかろうじて寄りかかっていた薪が、カサッと燃え落ちて灰になると、上に乗っていた薪も同時に下に落っこちた。煤が舞う暖炉に、見覚えがあった。
——来たことがある場所だ。
「しょうた?」
ホテルのロビーのソファーに、まるでうたた寝でもするように横たわる俺を見て、駆け寄った蓮は、目をまん丸くして驚くと、にっこり満面の笑みで微笑んで、俺の手を取った。
「また来ちゃった」
「嬉しいよ、すごく嬉しい。この前は朝起きたら居ないから心配した。」
ちゃんと夢の続きだ。なんてできた夢なんだろう……
一人で航空券の予約などしたこともない俺を、蓮は訝しがった。 暫く質問攻めにしてきたけど、俺の勝手な夢だと分かるはずもなく、適当に生返事をしてやり過ごすと、空っぽの左手の薬指に気付いた蓮は、少し悲しそうな顔をしたけど、咎めなかった。だって蓮だって付けていない……
「どれくらい時間ある?少し観光でもする?今日オフなんだ」
雪を踏む音が、やけに静かだった。
レイク・ルイーズへ続く木道は、観光客もまばらで、吐く息が白く空に溶けていく。
俺と蓮は並んで歩いているはずなのに、足元から聞こえてくる音が、どう考えてもひとつ分しかない。
ぎゅっ、ぎゅっ。
蓮のブーツが雪を踏みしめる音だけが、一定のリズムで続いている。
俺は一歩、わざと強く踏み出した。
それでも音は増えなかった。
「……寒い?」
蓮が歩きながら、何でもないみたいに聞いてくる。 俺の方を見ているのに、足は止めない。
「ううん。平気」
そう答えた声は、ちゃんと自分のものだった。
体もここにある。息もしている。指先だって少し冷たい。
なのに。
雪の上に残る足跡は、蓮の分しかなかった。
風が止んだ瞬間、世界が音を失った。
遠くで誰かが笑っているはずなのに、その声も届かない。
俺と蓮の間だけが、切り取られたみたいに静かだった。
気づいた瞬間、胸の奥がきゅっと縮こまる。
でも、不思議と怖くはない。だって夢だもの。
それに蓮は、俺の隣にいる。
少しだけ歩幅を合わせると、蓮のコートの裾が揺れて、肩が触れた。確かな感触があって、俺はそれだけで安心してしまう。
——大丈夫。
まだ、ここにいられる。
そう思った直後、蓮がほんの一瞬だけ、足を止めた。
振り返らずに、何かを確かめるみたいに、雪の上を見下ろしている。
それから、何事もなかったように歩き出した。
雪を踏む音は、相変わらず、ひとつ分のままだった。
不安をかき消すように、俺は一歩、二歩と歩幅を詰めた。
蓮の背中はすぐそこにあるのに、距離だけがやけに遠い気がして、胸の奥がざわつく。
「……蓮」
呼んだ声は、雪に吸い込まれてしまいそうだった。
答えを待つ余裕もなく、不安をかき消すように勢いをつけて蓮の背中に飛び乗った。
「うわっ」
短い声と一緒に、蓮の体がぐらりと揺れた。
次の瞬間、バランスを崩して、二人同時に雪道に転がると、自然と笑顔が溢れて笑い合った。
さっきまで、ひとつ分しかなかった音。
今は、服が擦れる音も、息の音も、ちゃんと二人分ある気がした。
それでも不安で、そっと自分の胸に手を当てる。
耳を澄ませば、近いはずの自分の鼓動より、蓮の鼓動のほうが、はっきりしている気がした。
遅れて鳴る自分の鼓動を、確かめるみたいに、もう一度強く押さえた。
その振動が、背中越しに雪へと伝わっていく気がした。
冷たいはずの雪が、心地良く、なぜかやわらかい。
「ちょ、急にどうしたんだよ」
そう言いながら、蓮は笑っていた。
怒った声じゃない。それだけで、胸の奥がほどける。
「……ごめん。もっと近くに居たくて……」
「分からないな、謝る理由無いじゃない?」
顔を近付けてきて、白い息が混ざり合った。
「もっと?もっと近くがいい?」
「バカ恥ずかしい」
「翔太が言ったんだろう?」
クスッと目尻に皺を寄せて笑った蓮。
しばらく二人で、何も言わずに雪の上に転がったまま、手を繋ぐ。
雪の上に残る足跡は、相変わらずひとつ分のままだったけど、 繋いだ手の中だけは、ちゃんと二人分あった。
立ち上がって、自然と手を繋ぐ。一本道を、また歩き出す。
蓮は手袋をしているからか、素手で握り返した俺は、蓮の温もりを感じられず、グッと力を込めてもう一度握った。それでも温もりは感じない……不安がよぎる。
それを察してか、蓮は手袋を外すと、俺のポケットに、手を繋いだまま突っ込んだ。
「大丈夫ここに居るよ?」
「うん……」
「あれ?…………これ指輪?」
部屋で外しポケットに入れていた指輪に蓮が気付くと、行き交う人が見る中で、凍える指に嵌めた。
「みんな見てる」
「俺たちの事なんか誰も知らないよ」
「俺のも嵌めて?」
そう言って、タートルネックの間から、ネックレスにぶら下がったお揃いの指輪を翳した蓮は、恥ずかしそうにはにかんだ。
「肌身離さず……なんてね」
蓮の言葉一つでかき消される不安を、初めて夢じゃなかったらいいのにって思った。
そう思った瞬間、足元の白さの下に、何かが静かに揺れた気がした。
そんな自分勝手な夢に溺れながら、
俺は目が覚める瞬間のことを、
どこかでちゃんと知っているんだ――
コメント
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心情から生まれる、美しい情景描写。こんな小説読んだことない😳何度も書くけど私はすごく好きです。本物の恋愛小説だと思う🖤💙