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なんとなく歩きたくなった私は、遠回りして河原をゆっくり歩いて帰った。
暮れていく空を見上げて、腕時計を見つめて。
そんなことを繰り返しながら家に帰った頃には、すっかり日が落ちていた。
「ただいまー」
玄関で靴を脱ごうとしてすぐ、「澪!」と台所で声がした。
「澪、どうして携帯の電源切ってるの!
何度も電話したのよ」
けい子さんが廊下に飛び出してきて言う。
こんな焦ったけい子さんは見たことがなくて、私は反射的に謝った。
「ご、ごめんなさい! スマホの電源落ちちゃって……。
どうかしたの?」
「さっき、レイが来たのよ……!
澪に話があるって言って」
「え……」
“レイ”
けい子さんの口から名を聞いて、どこか夢みたいな気持ちになった。
現実とはとても思えない。
だけど目の前の表情と声が、嘘じゃないと伝えていた。
「何度も電話したのに繋がらないから、レイ、「また来ます」って言って、30分くらい前に出ていっちゃったのよ。
泊まるところはあるの?って聞いたら、あるから大丈夫だって……」
耳に入った瞬間、私は玄関から飛び出した。
「澪っ!」
けい子さんが後ろで叫んだけど、風の音がかき消していく。
レイが来た? ここに?
とても信じられないのに、現実だとわかっているから、がむしゃらに走った。
バカ、どうして寄り道なんてしたの。
どうしてあの時まっすぐ帰らなかったの。
走りながら自分を責める。
責めても責めても足りなくて、足りなくて苦しくて、胸が張り裂けそうだった。
商店街を抜け、バスロータリーを見渡した。
だけどレイの姿はない。
「嫌だ……。 嘘でしょ、レイ」
もう電車に乗ってしまったんだろうか。
連絡しようにも、スマホの入った鞄は玄関に放ってしまったし、そもそもスマホ自体が使い物にならない。
ぼやけた視界の端で、電車が動いていく。
……最悪だ。
本当、私は一体なにやってるんだろう。
力なく顔をあげると、ホームの明かりが目にちらついた。
その奥に線路の向こうが見えた時、頭の中になにかが走った。
次の瞬間、足が勝手に動き出していた。
線路沿いを走り、踏切を目指す。
渡ろうとした直前に、カンカンと甲高い音を立てて遮断機が降りた。
私は強く唇をかみしめる。
やめてよ、お願いだから早く行かせて。
今は1秒だって過ぎてほしくないの。
私は線路の奥、見えないビルの奥を見つめた。
お願いだから、どうかそこにいて。
電車が通り過ぎると、私は遮断機が上がりきる前に全速力で走った。
フェンスが沿いの細い道を走り、角を曲がる。
心臓が破れそうなほど速く鼓動を打った。
どうか。
どうかお願い。
十字路の角を曲がった瞬間、視線が一点で固まった。
ビルとビルの間に光が並んでいる。
その間、「立ち入り禁止」の看板の前に人影があった。
ほかはなにも見えなかった。
私は目の前の光景が現実だと確かめたくて、地面を蹴る。
上を見上げていた人がこちらを向いた。
だけどその人と目が合う前に、私は思いっきり彼に抱き付いた。
「レイ……!!」
体が震える。
寒いからじゃない。
レイの匂い。レイの温度。
ずっと欲していたそれに触れて、息が止まりそうだった。
私は彼の胸に顔を埋めて、ばかみたいに何度も「レイ」と繰り返した。
言いたいことは沢山あるはずなのに、頭の中にそれしか浮かばないせいで、それしか言葉にならない。
私を抱き留めたまま動かないレイは、少しして私の頭に手を置いた。
ゆっくり顔をあげると、懐かしい笑顔が瞳に映る。
「よくわかったね、俺がここにいるって。
久しぶり、澪」
「もう遠くにいっちゃったかと思った……!
本当に本当に怖かったよ……」
「けい子にはまた行くって言ったはずだけど、聞かなかった?」
レイは苦笑まじりに私の頭を撫でる。
「聞いたけど、でも……」
未来のこと信じるより、今この瞬間レイに会いたかった。
レイは私を抱きしめたまま、視線をとなりに移す。
「このビルなくなったんだね。驚いた」
それを聞いて、ほんのわずかに肩が跳ねた。
ビルがなくなったこと、レイには話していなかった。
なくなったと知った時、言おうか迷った。
だけど、想いが通じ合った場所が、月日が流れてなくなったこと。
ショックだったし、私たちもそうなったらと思うと怖かった。
「……本当はビルがなくなったって知ってたの。
でもレイには言えなかった」
「どうして?」
「だって……。
変わることは怖いよ。怖くてたまらないよ」
言いながら私は無意識にレイにしがみつく。
ずっと怖かった。
レイのことは信じているけど、見えない恐怖とずっと隣り合わせだった。
レイは私の髪を梳き、背中をゆっくり撫でた。
言葉はなかった。
だけど、どんな言葉より彼の手が優しくて、昂った気持ちが落ち着いていく。
「驚いたよ。家に帰ったら、けい子さんがレイが来たって言うんだもん。
日本に来るなら、どうして言ってくれなかったの。
……レイは……いつまで日本にいれるの?」