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龍也に会えてよかった🥲
インターホンを押したけれど、応答はなかった。
金曜の夜。
龍也はきっと、まだ仕事をしているだろう。
私は手の中の鍵を見つめていた。
私と龍也の関係が始まってすぐに、龍也から渡された。
私は拒んだし、私の部屋の鍵は渡さないと言った。
けれど、龍也は半ば無理矢理に押し付けた。
『孤独死とか、嫌だから』と。
私はまだ、この鍵を使ったことがない。
この鍵を使ったら、私たちの関係が変わってしまうような気がした。
変えたい。
変えたくない。
変わるのが、怖い。
私は鍵をバッグにしまい、来た道を戻った。
私と龍也の家は地下鉄で三駅のところにある。そして、互いの職場は反対方向に二駅ずつ離れていた。
きっと、この近いようで遠い、遠いようで近い関係が、丁度いいんだろう。
私は駅前のお弁当屋さんに入った。
龍也が美味しいからよく買うと言っていた。時々、買って来てくれる。私自身が直接お店に来たのは、初めてだった。
お店はビルの一階で、隣のパン屋さんは既に営業を終えていた。ここのパンも、美味しい。
お弁当屋さんも閉店間際で、残り僅かだった。
人気No.1の札がついた海苔唐揚げ弁当と三種の中華弁当が残り一つずつ。エビフライ弁当とエビ天丼が二つずつ、ハンバーグ弁当が三つ、残っていた。
「全て三割引きです」と、五十代後半くらいの女性が言った。
私はしばらくそれらを眺めて、エビ天丼を手に取った。そしてまた、棚の弁当たちを眺めた。
迷う。
私は基本、優柔不断だ。
よく、意外だと言われる。
だから、誰かと一緒の時は、とにかく最初に目についたものや思い浮かんだものに決めるようにしている。
やっぱり、中華……。
私が中華弁当に手を伸ばした時、背後から掻っ攫われた。ダークグレーのスーツの手に。
あーあ……。
「ぷっ――」
背後の声に、振り返った。
「龍也!?」
中華弁当を持った龍也が、笑っている。
「お前、真剣に悩み過ぎ。俺が入って来たのにも気づかなかったろ」
確かに、ドアにはベルが付いているのに、鳴ったことに気づかなかった。
「もしかして、俺ん家に来るんだった?」
「ちがっ――!」
「電話しろよ。残業やめて休出にして来て良かったわ」
龍也は私の手から天丼も奪い、中華弁当と一緒にレジに置いた。
それから、海苔唐揚げ弁当とレジ横に置いてあるカップの味噌汁を二つも、レジに運んだ。
「龍也」
私は、帰るつもりだった。
まさか、会えるとは思っていなかったし。
会わない方がいいと、思ったし。
「私――」
「シェアして食おうぜ」
龍也はいつもの笑顔で、そう言った。
結局、私は再び来た道を戻る羽目になった。
「ラッキーだったな」
弁当の入った袋をカサカサ揺らしながら、龍也が言った。
「え?」
「昨日は弁当完売だったんだよ」
「そうなんだ」
「代わりにパンが残ってたから、全部買ってったんだけどさ。やっぱ晩飯がパンて、物足りないんだよな」
「龍也、いつも自炊してるんじゃないの?」
「ほとんどしねーよ」
「けど――」
毎週末のように私の部屋に来ては、ご飯を作ってくれる。だから、料理が得意か趣味なのだと思っていた。
「お前に食わせるモンなら、いくらでも作るけどな。あ、酒とつまみ、買ってくか?」
「え?」
龍也が立ち止まり、コンビニを指さして言った。
「ビールと豆かなんかはあったはずだけど」
「いや、いいよ。お弁当食べたら帰るし」
「珍しくお前から来てくれたんだから、帰さねーよ?」
とんでもなく恥ずかしいことをさらりと言って、ご丁寧に私の手を握り、龍也は歩き出した。
こんな、恋人みたいなの、困る。
互いに恋人がいない時でも、こんな風に手を繋いで歩くなんてしたこと、なかった。そんなの、セフレ、じゃない。
最後に龍也の部屋に来たのは、多分一年以上前。けれど、記憶のままだった。
私たちはお弁当を電子レンジで温めて、お湯を沸かして味噌汁のカップに注いだ。
私は天丼のエビを二尾、龍也の海苔唐揚げ弁当の上にのせた。龍也は唐揚げを二個、くれた。
「で? どうした?」
「ん?」
「お前が俺んとこに来るなんて、なんかあったんだろ?」
私は味噌汁をすすった。
「何かなきゃ、来ちゃいけない?」
言って、後悔した。
はぐらかしたくて言ったけれど、なんだか甘えたように聞こえる。
「お弁当を食べたくなっただけよ」
かなり無理がある。
「そっか」
龍也はそれ以上、何も言わなかった。
いつも、そうだ。
龍也は待ってくれる。
ただ、ひたすらに。
私に恋人が出来ても、何も言わない。
寂しそうに、『またな』と言うだけ。
いい加減、私の事なんて愛想を尽かしてしまえばいいのに、私が恋人と別れたと知ると、すぐさま会いに来る。
そして、美味しい料理をたくさん作って、意識が飛ぶほど可愛がってくれる。
関係を始めてすぐの頃は、龍也も恋人を作ってた。だから、こういう関係でいいんだと思っていた。
けれど、いつの頃からか、龍也は恋人を作らなくなった。合コンには行くし、出会いを求めてるようなことは言うけれど。
『あきらがフリーの時、龍也に彼女がいることあったっけ?』
千尋の言葉を思い出す。
私、サイテーだな。
「勇太に……会ったの」
食事の後、有無を言わさずお風呂に入れられて、私は龍也のTシャツに身を包んでいた。
何を言わないまま、抱かれる気にはなれなかった。
「勇太?」
「元カレ」
龍也の目つきが鋭くなり、怖くなった。
龍也はいつも笑っていて、こんな厳しい表情はほとんど見たことがない。
「何された?」
龍也が私の首や腕をチェックする。痣やキスマークを、探しているのだろう。
「何もされてない」
「じゃあ、何を言われた?」
「何も」
「あきら」
「ホントに。仕事先で会ったの。勇太は教師だから、学校で」
「それで?」
それで……。
昔を思い出して、龍也に慰めて欲しくなった。
なんて、言えない。
「それだけよ」
私は龍也の肩に体重をかけ、押し倒した。
「あき――」
キスで唇を塞ぎ、私から舌を入れた。二人とも歯磨きをしたばかりで、歯磨き粉の味が残っている。