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第9話 虚構の執行人
朝、久世ミナトの名前は増殖していた。
久世ミナト公式支援所。
久世ミナト信用回復窓口。
久世ミナト代理相談室。
久世ミナト緊急対策チーム。
画面を下へ動かしても、まだ出てくる。
同じ名前。
似たロゴ。
似た言葉。
違う人間。
ミナトは机の前で、スマホを握ったまま動けなかった。
グレーのパーカーの袖口が、指先にかかっている。
目元には眠れなかった夜の影が残っていた。
綾瀬レイナが隣で端末を広げている。
短い茶色の髪が少し乱れ、丸い眼鏡の奥の目が細くなっていた。
「偽物、百件超えた」
「そんなに」
「しかも、いくつかは有料相談を始めてる」
ミナトは画面を見る。
あなたの信用を回復します。
K宣告後の人生を再設計します。
久世ミナト式メソッド完全対応。
相談料、初回三万円。
レイナが爪先で床を叩いた。
「最低」
ミナトは返事をしなかった。
最低。
その言葉だけで済めば、まだよかった。
問題は、人々がそれを求めていることだった。
不安な人ほど、分かりやすい答えにすがる。
傷ついた人ほど、強い言葉に寄りかかる。
そして、偽物はいつも強い。
迷わない。
悩まない。
断定する。
「この人を信じれば助かります」と言う。
本物よりも、ずっと分かりやすい。
佐倉ユウから通話が来た。
画面に映ったユウは、ベージュのロングカーディガンを羽織り、髪を首元で結んでいた。
顔色はよくない。
けれど、目は昨日より強かった。
「ミナト、私のところにも来た」
「何が」
「信用回復代行」
ユウは画面を共有した。
そこには、丁寧な文面が並んでいた。
佐倉ユウさんへ。
あなたは現在、K宣告により社会的信用を失う危険があります。
久世ミナト認定支援員が、あなたの信用回復を代行します。
ミナトは息を止めた。
「認定なんてしてない」
「分かってる」
ユウは少しだけ笑った。
「でも、知らない人なら信じるかも」
レイナが低く言った。
「もう被害出てるかも」
ミナトは立ち上がった。
「止める」
「どうやって?」
ユウの声は静かだった。
ミナトは答えようとして、止まった。
通報。
注意喚起。
公式声明。
否定。
全部必要だ。
でも、それだけでは足りない。
否定すればするほど、偽物は言う。
本物は焦っている。
都合が悪いから隠している。
こちらこそ真実を知っている。
Kは、否定の形まで利用する。
レイナが言った。
「まず、公式に出す」
「うん」
「でも、それだけじゃ追いつかない」
「分かってる」
「なら、本人に会う?」
ミナトは画面を見た。
一番伸びている代行業者。
信用回復ラボK。
代表、葛見ハルマ。
顔写真があった。
灰色のスーツ。
後ろへなでつけた髪。
整った笑顔。
けれど、目だけが動いていないように見えた。
ミナトは、その顔をしばらく見つめた。
「会う」
レイナがため息をついた。
「危ない橋ばっかり渡るね」
「放っておけない」
「それ、最近危ない言葉になってる」
ミナトは黙った。
放っておけない。
助けたい。
一人にしたくない。
その言葉が、いつから自分を動かす燃料なのか。
それとも、自分を正しく見せる飾りなのか。
分からなくなっていた。
昼過ぎ。
ミナトとレイナは、都心の貸し会議室へ向かった。
信用回復ラボKの無料説明会。
会場の前には、十数人が並んでいた。
年配の男性。
若い会社員。
親子連れ。
顔を隠すように帽子を深くかぶった女性。
誰も大きな声を出さない。
けれど、全員が何かから逃げるように目を動かしていた。
その中に、K宣告を受けた人もいるのだろう。
宣告は受けていないが、いつか受けるかもしれないと怯えている人もいるのだろう。
ミナトが近づくと、列の一部がざわめいた。
「あれ」
「本物?」
「久世ミナト?」
レイナが小声で言う。
「こうなる」
「分かってる」
「本当に?」
ミナトは答えなかった。
会場の中は、妙に整っていた。
椅子が並ぶ。
前方には大きな画面。
そこには文字が映っている。
信用は、回復できます。
人々は、すがるようにその文字を見ていた。
やがて、葛見ハルマが現れた。
灰色のスーツ。
後ろへなでつけた髪。
丁寧な歩き方。
口元にはやわらかい笑み。
目だけが、会場全体を数えているように動いた。
「本日は、お集まりいただきありがとうございます」
声は聞き取りやすかった。
静かで、安心させるような響き。
「K宣告により、多くの方が不安を抱えています。ですが、ご安心ください。信用は技術で回復できます」
ミナトは奥の席で聞いていた。
技術。
回復。
安心。
言葉がきれいすぎる。
葛見は画面を切り替えた。
そこには、ミナトの写真が出た。
レイナの指が止まる。
ミナトの喉が固まった。
「久世ミナト氏の活動により、K宣告後の信用防衛は広く知られるようになりました」
会場の視線が、ミナトへ向きかける。
葛見は続けた。
「しかし、彼の方法は時間がかかります。痛みを伴います。本人が自分で話し、自分で記録し、自分で傷つかなければならない」
画面が切り替わる。
そこには、笑顔の人物写真と、成功事例らしき文が並んでいた。
「私たちは違います。あなたの代わりに話します。あなたの代わりに説明します。あなたの代わりに、疑う人々を黙らせます」
会場が揺れた。
黙らせる。
その言葉に、何人かが反応した。
怖い人ほど、強い言葉を求める。
レイナが小さく言った。
「危ない」
ミナトは立ち上がった。
会場の視線が一斉に集まる。
葛見は驚いた顔をした。
しかし、その驚きも用意されていたように見えた。
「これはこれは」
葛見は笑った。
「久世ミナトさん」
ざわめき。
スマホが向けられる。
ミナトは、まっすぐ前へ歩いた。
「僕は、この団体を認定していません」
葛見は少し首を傾げた。
「認定とは言っていませんよ。影響を受けたと言っているだけです」
レイナが端末を掲げた。
「サイトには久世ミナト認定支援員と書いてあります」
葛見は少しだけ眉を動かした。
それでも笑みを崩さない。
「表現の行き違いがあったようです。すぐ修正しましょう」
「すでに相談料を取っていますね」
「必要な支援には費用がかかります」
「不安を利用している」
ミナトの声が強くなった。
会場が静まる。
葛見の目が、初めて細くなった。
「久世さん」
声は穏やかだった。
「あなたは、すべての人を救えますか?」
ミナトは言葉に詰まった。
「あなたのやり方で、全員が助かりますか?」
葛見はゆっくり歩いた。
灰色のスーツの裾が揺れる。
「記録しなさい。話し合いなさい。疑いを受け止めなさい。美しい考えです」
画面には、ミナトの過去の配信が映る。
「でも、傷ついた人に、それをやれと言うのは酷ではありませんか」
会場の何人かがうなずいた。
ミナトは拳を握った。
「だからって、代わりに黙らせるのは違う」
「本当に?」
葛見はやさしく問い返す。
「疑いで人生を壊された人が、疑う側を黙らせたいと願うのは、それほど悪いことですか?」
ミナトは答えられなかった。
悪い。
そう言いたかった。
でも、その気持ちは分かってしまう。
疑われた人は疲れる。
説明することに疲れる。
何度も同じ話をすることに疲れる。
優しくあろうとすることに疲れる。
その時、誰かが言う。
代わりに戦います。
代わりに叩き返します。
代わりに正義を示します。
それは、とても甘い。
葛見は会場へ向き直った。
「皆さんは、もう十分傷つきました。これ以上、自分で説明する必要はありません」
ミナトは声を上げた。
「それでは、また別の誰かを壊すだけです」
葛見は振り返る。
「壊される前に壊す。それを望む人もいる」
「違う」
ミナトの声が震えた。
「それは信用回復じゃない」
「では、何ですか」
「復讐です」
その言葉で、会場に重い静けさが落ちた。
一人の女性が、震える声で言った。
「でも、悔しいんです」
誰も動かなかった。
女性は帽子を深くかぶっていた。
手には、ぐしゃぐしゃになった紙袋。
「私はK宣告を受けて、仕事を休まされました。近所の人にも避けられました。何もしてないのに」
涙をこらえる声。
「なのに、疑った人たちは普通に暮らしてる。私は毎日説明してるのに、あの人たちは何も失わない」
ミナトは、その言葉を受け止めた。
胸が痛かった。
「だから、黙らせたいと思ったら駄目ですか」
ミナトは、ゆっくり首を振った。
「思うことは、駄目じゃありません」
女性が顔を上げる。
「でも、その気持ちを誰かに売り渡したら、あなたの言葉が別の形で使われます」
葛見が笑った。
「売り渡すとはひどい言い方ですね」
ミナトは葛見を見た。
「あなたは、人の痛みに名前をつけて商品にしている」
葛見の笑みが薄くなる。
「あなたも同じでは?」
会場の空気が変わった。
「あなたも現場へ行く。記録する。発信する。人々はあなたを見る。あなたの名前でニュースが動く」
ミナトは息を止めた。
「あなたは無償かもしれない。しかし、注目は集めている」
レイナが前に出た。
「それ以上は」
「違いますか?」
葛見は、ミナトだけを見ていた。
「あなたが行く場所にKは集まる。そう言われていましたね」
ミナトの中で、ボスの声が重なった。
あなたが行く場所に、Kは集まる。
会場の人々が、ミナトを見ている。
偽物を追い詰めに来たはずなのに。
いつの間にか、裁かれているのはミナトだった。
レイナがミナトの腕をつかんだ。
「ここで答えなくていい」
ミナトは、レイナの手の温度で息を取り戻した。
「僕は間違えます」
会場が静まる。
葛見の眉が少し動く。
「僕のやり方で、全員は救えません」
ミナトは自分の声が震えるのを止めなかった。
「僕が行くことで、現場が目立つこともある。助けるつもりで、傷を広げることもあるかもしれない」
レイナが横で黙っている。
「でも、だからこそ、僕は代わりに裁かない。代わりに黙らせない。代わりに正義を名乗らない」
ミナトは、帽子の女性を見た。
「あなたの怒りを、誰かの商売にしないでください」
女性の手が紙袋を握りしめる。
「怒っていいです。悔しがっていいです。でも、あなたの言葉を、あなた以外の人に勝手に使わせないでください」
葛見の声が冷たくなる。
「きれいごとですね」
「はい」
ミナトは即答した。
「でも、きれいごとを捨てたら、Kだけが残る」
会場の後ろで、誰かがスマホを下ろした。
すべての人が納得したわけではない。
葛見を信じたい人もいる。
ミナトを疑う人もいる。
ただ、少しだけ熱が下がった。
その時、会場の画面が勝手に切り替わった。
暗い画面。
数字。
十。
九。
八。
ざわめきが起きる。
レイナが端末を操作する。
「外部から割り込み」
七。
六。
五。
葛見の顔から、初めて余裕が消えた。
四。
三。
二。
一。
ボスが現れた。
「本日の特別観察を始めます」
会場の全員が画面を見る。
ボスの声が響く。
「本物が一人では足りない時、偽物が増えます」
コメント欄が流れる。
久世多すぎ
代行業者草
どれが本物
正義が増えてる
ボスは続けた。
「人々は、迷う本物より、迷わない偽物を選びます」
ミナトは画面を見つめた。
「なぜなら、偽物は分かりやすいからです」
葛見が画面に向かって言った。
「あなたは何者ですか」
ボスは答えない。
「久世ミナトさん」
ミナトの名前が呼ばれる。
「あなたの言葉は、もうあなたのものではありません」
胸の奥が冷える。
「あなたが生んだ方法も、あなたが守った人々の痛みも、誰かが名乗れば商品になります」
会場が静まり返る。
「では、問いましょう」
一拍。
「本物とは、何で証明されるのでしょうか」
配信は切れた。
画面には、信用回復ラボKのロゴが戻った。
けれど、もう誰もそれを同じようには見ていなかった。
葛見は口元を整えた。
「本日の説明会は、ここまでとします」
人々は立ち上がる。
迷いながら。
スマホを見ながら。
帽子の女性は、出口で足を止めた。
ミナトへ向かって、小さく頭を下げた。
それだけだった。
でも、それだけでよかった。
外に出ると、雨が降り始めていた。
灰色の街に、細い雨が落ちる。
レイナは傘を差さずに歩いた。
「やばかったね」
「うん」
「葛見、まだやめないと思う」
「分かってる」
「偽物も増える」
「分かってる」
「で、君は?」
ミナトは足を止めた。
「僕?」
「本物って、何で証明するの」
ボスと同じ問い。
ミナトは雨の中で、しばらく黙っていた。
答えは出なかった。
本物の証明。
記録。
本人確認。
公式発表。
それらは必要だ。
でも、十分ではない。
本物だから正しいわけでもない。
偽物だからすべて間違いとも言えない。
人々は、本物を探しているのではない。
安心できる物語を探している。
ミナトは、ようやく言った。
「証明し続けるしかない」
「毎回?」
「うん」
「しんど」
レイナは短く言った。
「でも、やるんでしょ」
ミナトはうなずいた。
夜。
ミナトの部屋には、通知音が何度も鳴っていた。
偽物注意の公式声明。
信用回復代行業者への注意喚起。
相談窓口の整理。
認定制度は存在しないという発表。
レイナが作った資料。
ユウが確認した文章。
東雲レオの海外協力者から届いた翻訳支援。
高橋の地域から届いた、怪しい業者の情報。
榊原のクリニックにも、同じような勧誘が来ていた。
Kはつながっていた。
人々の不安は、それぞれ別の場所で生まれる。
だが、同じ形の商品に変えられていく。
ミナトはノートを開いた。
第9話。
偽物。
信用回復代行業者。
分かりやすい正義。
本物より迷わない偽物が選ばれる。
ペンが止まる。
少し考えて、書いた。
本物は迷う。
迷わない正義は、人を壊す時がある。
スマホが震えた。
ユウからだった。
今日の配信見た。
君は本物だと思う。
でも、本物だから安心ってわけじゃない。
そこが面倒だね。
ミナトは、その文を読んで少しだけ笑った。
返事を書く。
面倒なままでいい。
簡単になったら危ない。
送信。
既読がつく。
すぐに、短い返事が来る。
そういうところは信じてる。
ミナトはスマホを置いた。
窓の外で雨が続いている。
街の画面には、また新しい見出しが流れていた。
久世ミナトを名乗る偽物が急増。
信用回復ビジネス拡大。
K宣告、支援まで混乱。
その下に、誰かが作った短い文があった。
本物はどこだ。
ミナトは窓に映る自分の顔を見た。
疲れた目。
伸びた袖。
濡れた髪。
本物。
その言葉が、ひどく重い。
K宣告九日目。
社会は、救いさえも商品に変え始めた。
そして人々は、迷う人間よりも、迷わない看板へ手を伸ばしていた。
コメント
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いやあ、今回めっちゃグッときたわ…。葛見の「代わりに黙らせる」って言葉、怖いぐらい響くんだよな。でもミナトが「復讐です」って切り返したところ、めちゃくちゃ刺さった。帽子の女性の「悔しいんです」も、偽物が増える理由をリアルに描いてて、本物が迷うことの意味を考えさせられる回だった。