朋也さんは鍵を持っているから、先に部屋に帰っているだろう。
うん、大丈夫――
あまり気にしないでおこう。
元はと言えば、朋也さんが勝手にうちに転がり込んできたのだから。
本当にいろいろな事がありすぎて疲れる。
私の生活は、もっと穏やかだったのに、いつの間にこんなにも慌ただしくスピード感のある毎日になったのか。
「早く行くよ」
石川さんが、部屋の前で私を待っていた。
しびれを切らしているようだ。
「すみません。お待たせしました」
「急いで」
「はい」
会社の前にタクシーが到着し、私達はそれに乗り込んで出発した。
どこに行くのかもわからないけれど、私は疲れが溜まっているせいで眠くなってしまった。
ダメだ、こんな所で寝たら石川さんに叱られる。
しっかりしなければ。
何とか目的地に着いて、私達は相手企業の方と食事をしながら時間を過ごした。相手の方がとても良い方で、楽しく和やかに食事ができた。
ただ、来ると聞いていた女性は1人もいなかった。
全てを終え、店を出て、石川さんが帰りのタクシーを呼んでくれた。
「あの……今日は女性の方はいませんでしたよね?」
タクシーを待つ間、私は石川さんに恐る恐る聞いた。
「き、急に都合が悪くなったんだろう。そんなことはよくあることだ。いちいち気にしないでくれ」
「……そうなんですか」
だったら私ではなく、男性で良かったのではないか?……なんて、言えない。
私達は、やって来たタクシーに乗り込もうとした。
その時、声が聞こえた。
「どこに行く?」
えっ?
朋也さんだ!
どうしてここに?
一気に心の中が疑問で充満した。
「も、本宮君、なんでここにいるんだ?」
石川さんの顔色が変わった。
「あなたのことは上層部まで届いてます。彼女とあなたは帰る方向が全く逆なのに、なぜ一緒にタクシーに乗るんですか?」
「わ、わ、私は、森咲さんを送り届けようと……」
かなり慌てている石川さん。
「そんなことをする必要はないだろ? 悪いがあなたのことは信用できない」
「私は! 私は本当に森咲さんを送っていくつもりだった。降ろしてから、家に帰ればいいじゃないか。証拠もないのに、何を言い出すんだ」
「あなたは女性が来ると嘘をつき、俺を遠ざけて彼女をわざと指名した。相手企業の方に聞いたら、女性が行く予定は最初から無かったそうじゃないか」
「そ、それは……」
「あなたはなぜ嘘をついてまで、そんなことをしたか? 最初から彼女を誘い、帰りに同じタクシーに乗り込む。それから先、どうしようと思ってたんだ? これは、前に起きたことと同じ手口だ。今回のことは、社長にも進言する。これ以上、女性と会社の名誉を傷つけることは止めるんだ」
「な、何を言うんですか。私は本当に何も……」
「森咲、帰るぞ」
「あ、は、はい!」
動悸が早くなり、気が動転している。
足がもつれそうになって上手く歩けない。
「ま、待ってくれ! 私は本当に何もしていない! 話を聞いてくれ! こんなのは不当だ! 証拠もないのに疑うなんてどういうことだ!」
「とりあえずあなたは自宅待機だ。会社からの指示を待って。全てはそれからです」
「うっ……」
私達は、石川さんから離れた。
振り返ると、石川さんは頭を抱え、その場に立ちすくんだまま動けずにいた。
朋也さんは、私の横にぴったりくっついて歩いてくれている。この安心感は言葉では言い表せない。
いつものように、優しい香りもする。
「大丈夫か?」
朋也さんがポツリと言った。
「……は、はい。心配かけてしまって、本当にすみませんでした」
「……いや。もういい。お前が無事で良かった」
「私、軽率でした。石川さんの家の方向とか知らなくて、同じ方向なのかな? って簡単に考えてて……。夏希にも石川さんには絶対に気をつけろって言われてたのに、勝手に大丈夫だって、私なんかを狙わないだろうって……そう思ってしまって」
そう、悪いのは、私。
私がバカだったんだ。
朋也さんの気持ちも知らずに……
でも、あなたが来てくれて本当に良かった。
もし朋也さんが来てくれなかったら……
私はどうなっていたのだろう?
石川さんに捕まって、そして……
考えただけで背筋が凍って、怖くなった。
「あいつは、近いうちに男性しかいない子会社に異動になる。その話は決まってたんだ。クライアントの女性社員にセクハラ発言をしたりしてクレームが来ていて、うちとしては大問題だった。以前に起こした問題も、内偵調査をしていた」
「……そうだったんですね……。私、本当に何も考えずに……本当に……ごめんなさい」
「俺は、恭香をあいつと行かせるのは……本当に嫌だった。心配でたまらなかった。だから……」
そう言って、朋也さんは黙った。
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