「知って、いたのか?」
「何がだ?」
「あの本棚の、本を抜き取ったら通路が現われるって……空澄は」
「う~ん、まあ記憶おぼろげだけどな?でも、この通路の先……そこに俺様ずっといたんだ」
と、暗い通路を歩いて数分経った頃に投げかけた質問に対して空澄はそう答えた。一瞬理解できずに首を傾げたが、空澄の聞くな。とでも言うようなオーラを感じ取り、俺はそれ以上追求しなかった。
羨ましいと思ってきた友人が、もしかしたら壮絶な過去を抱えているかも知れないと、そんな可能性が出てきたからだ。俺達が想像する以上に空澄財閥の闇は深いのかも知れない。ここまで、空澄の家について何も思ってこなかったが、もしかすると……と言うこともあり得るのかも知れない。
(金もあるし、裏で治験病棟とか、監禁部屋とかあるんじゃないか? 華月が、末っ子だって言ってたのも、何となく納得がいくな)
華月財閥の御曹司である華月翔空は自分が末っ子だと言っていた。そして、兄姉達は死んだと、もしかすると、優秀な人材を残すために、とも色々考えられる。暗殺者よりもよっぽど酷いことをしているのではないかと、人間の闇を垣間見た気がした。
まだ何が事実で嘘かは分からないが。
「あずみん、多分深く考えちゃダメだぞ」
「は……?」
「俺様も、あずみんも普通がいい!なら、こんなこと深く考えちゃダメだと思う。俺様達は笑って過ごせたらそれでいいだろ?」
「それは、そうだが……お前は」
「ほっとけよ。脳天気御曹司のことなんか」
と、綴に止められ俺は足を止める。
確かに、本人である空澄が言っているのであればこれ以上踏み込むのもあれな気がすると、俺は思考を放棄した。ただただ前を向いて歩くしかないのだ。
(でも、空澄財閥の闇が空澄を苦しめる原因になったら? その時俺は、正気でいられるか?)
空澄財閥のこと自体はどうでもいい。だが、自分の友人が悲しむようなことをしているのであれば、その原因を作った奴の脳天に弾丸を撃ち込んでやると思った。それが例え、空澄の父親だったとしてもだ。
まあ、その為には今は目の前のことをやるだけだ。そう思い、ただひたすらに歩いた。
「あ~歩くの怠くなってきたぁ。梓弓おんぶ」
「するわけないだろ。全く……」
何処まで続くか分からない廊下をひたすら歩いた。ただ、道幅は広くなってきており、曲がり角のようなものもだんだんと見え始めてきた。そのため、もう少ししたら開けた場所に出るのではないかと期待をする。そんな時だった。
プシュゥウウゥゥウ……という音ともに、前の方から白い煙のようなものがこちらに向かって流れ込んできた。
俺達は思わず立ち止まり、口元を手で覆った。これは吸っては行けないやつだと瞬時に思った。だが、状況を理解できていないのか、げほごほ……と咳き込む空澄の声が聞えた。
(不味い、このままじゃ……)
そう思って白くぼやけていく視界のなか手探りに空澄に向かって手を伸ばすと、ガシッと何かに手を掴まれる感覚がした。
「……は? 何で」
煙の中から現われたのは、空澄ではなく、俺が思い出したくもない過去に存在したクソ親父だった。
「何で、何で……だって、死んだ、殺したんじゃ……俺が」
血走った目で、俺を殴りつけたときの目で俺を睨み付けてきた。身体が拒絶反応を起こし、ガタガタと震え始める。俺は、狂乱状態になりクソ親父の手を振り払って走り出した。
自分でも何で逃げているのか分からなかった。空澄達をおいて逃げている自分がいる。
頭ではクソ親父は死んでいると分かっているのに、幻覚か、それとも幽霊として化けたか。どちらでもよかったが、あの時の恐怖が蘇る。あの時は感じなかったくせに、今になってあの頃に戻りたくないと、過去の自分の弱さを、弱かった頃の自分が出てきた。
「来るなあアアアアッ!」
絶えず聞えてくる足音に、俺を追っているんだとわかり益々パニックになっていく。
空澄と綴とはとっくにはぐれてしまった。だが、この煙の中で探せるとも思えない。綴が空澄の近くにいればいいのだが。俺は身体が震えて思うように動かなかった。
(今になって? 何で? 俺は、あの過去を清算して……)
「忘れるのか、梓弓」
「とう……さん」
ゆらりと白い煙の中から現われたクソ親父は、俺が殴った痕跡が残っているように頭から血を流して俺を睨み付けてきた。一歩、一歩と俺に近づいてき、呪ってやる、殺してやると殺意の籠もった目を向けてくる。
俺は、そんなクソ親父の殺意を感じ取ったから殺した。自分が殺されると命の危険を感じたから。あの時は何も思わなかった、生きる為にそうするしかないと思った。でも、他に方法があったとしたら?
そんなの小さかった俺には何も分からない。でも、あれが正しくなかったというのなら。
「ご、ごめんなさ……い、俺、は」
「梓弓」
「……ッ」
昔の自分に戻りたくない。あんな冷たい世界で息をする事すら必死だった世界に、俺は。
クソ親父に殴られないようにと機嫌を取っても、クソ親父は俺の目が嫌いだと言って殴りつけた。殴る理由は正直なんでもよかったのだろう。俺はそれにひたすら耐えた。耐えたら何かあるんじゃないかって、そうやって。
(でも、俺は……もう、過去の俺じゃないだろ)
先生に出会って授業を受けて課題をこなして、そうして、大切な友人も出来て、相棒も出来て。それを壊したくないのなら、戦えと。
俺は、立ち上がってホルダーから拳銃を取りだし、その銃口をクソ親父に向けた。
「消えてくれよ。俺の記憶から永遠に」
銃口を向けられてもなお、クソ親父は微動だにしなかった。
(やっぱり、俺の見せている幻覚か?)
それでも、この銃口をクソ親父から逸らせなかったのは、まだ心のどこかに恐怖心が残っていたからだろう。あの時とっくに消えていたはずの恐怖心が今になって顔を出すとは、本当に滑稽な話だと思う。それほど、俺はあの時の生活が嫌で、今の生活から昔の生活に戻ることを拒んでいるんだろう。それの心の表れかもしれない。
クソ親父は俺のことをじっと見つめたまま動こうとしなかった。頭から流れ出ている血も止まる様子はなく、虚ろでそれでいて血走った眼は俺だけを映していた。
「何か、言いたいことがあるなら言えよ。実の息子に殺された恨みでもあるなら、口にしろよ!」
そう俺が叫んでも、クソ親父は何も言わなかった。
俺が殺した。俺が生きるために殺した。
それでも、俺ばかり非があったわけじゃなくて、その原因をつくりだしたのはクソ親父だった。酒におぼれて、暴力に走って。そりゃあ、こんな風になるってわかってたら母親も出ていかなかっただろう。まず、そんな原因を創り出したのは母親だったが。
今でもよくわかっていない。俺はあのクソ親父とは血のつながりなんてなかった。そして母親もどこかに行ってしまい行方知れず。ほとんど生涯孤独に近い立ち位置にいながら、俺は何を思っていたのだろうか。子供の頃の俺は寂しくなかったのだろうかと。
今になって寂しさや、怒りや悲しみが生まれ感情が豊かになったと思う。あの時マヒしていた感情がようやくほどけだしたように。それは、空澄や先生のおかげだった。
(そうだ、俺の父親は、先生だけでいい)
そんな先生に、反抗してしまって口もろくに聞けていないが、そのうち謝ろうと思う。せっかく俺の夢を応援してくれた先生を、自分を否定してほしい、という理由で怒鳴りつけて。でも俺はきっと褒められてうれしかったんだろうなって思った。
俺は、引き金に指をかけた。
このクソ親父は俺が見せている幻覚で悪い悪夢かもしれない。なら、それを断ち切るためには、振り切るためにはこの引き金を引いて終わらせるしかないと思った。
クソ親父の顔がゆがむ。俺はクソ親父を殺した時、最後クソ親父がどんな顔をしていたか覚えていない。恐怖に歪んでいただろうか、それとももっと別の……
「梓弓やめろ!」
「……ッ!?」
急にそんな相棒の綴の声が聞こえ、俺は引き金にかけていた指を離す。どこから聞こえるのかと、白い煙の中声を頼りにあたりを見渡せば、すっと煙が晴れていき、綴の姿が浮かんできた。そして、煙が晴れたと同時に、クソ親父の姿は消え、俺が銃口を向けていた「本当」の相手が現れる。
「あ……すみ?」
俺が銃口を向けていたのは、俺が大切で何よりも守りたい相手の空澄だった。空澄は俺をまっすぐと見つめて、少し困ったように眉を下げた。
(う、嘘、だろ……だってそんな)
悪い夢、幻覚だとわかっていた。でも、それは俺が見ている、眠らされて見ている夢だとばかり思っていた。だが、実際は、幻覚を現実で見ていたのだ。錯乱状態になった俺は、クソ親父の幻覚を見て、空澄だとは知らずに銃口を向けていた。綴りの声がかからなければそのまま引き金を引いていたかもしれない。
「あ、あ……」
ようやく戻ってきた意識が、最悪の真実を伝えた。
守ろうとしていた相手を俺は殺そうとしていた。そんな現実が重くのしかかる。それでも、俺の言うことを聞かないように、拳銃が手から離れなかった。ガタガタと震えているのに降ろすことが出来ない。まるで、そのまま撃てとでもいうように。
そんな風に俺が固まっていれば、空澄が一歩、また一歩と近づいてきて、その銃口を自分の胸にあてた。途端に恐怖が全身を駆け巡って手を離そうとしたが、なかなか離れなかった。
「あ、空澄……何を」
「大丈夫、あずみんは俺様を撃ったりしない」
「あ……」
「だって、あの時も撃てたのに撃たなかっただろ?」
と、空澄はいつもの調子で、いつもの笑顔で俺に微笑みかけた。
あの時、とは俺達が出会った当時のことを言っているのだろう。確かに、あの時だって撃てたのに俺は撃たなかった。もしかしたら、今こうなるっていう運命の始まりだったのかもしれないと、今になって思う。
そうして、動機も落ち着いて、俺はようやく拳銃を下ろすことが出来た、それを見て、空澄はぎゅっと俺を抱きしめる。
「あずみんも辛かったんだよな。子供の頃のこと、ずっとずっと、引きずってたんだよな」
「俺は……」
「俺様は全部理解してやれないかもしれないけど、隣にいてやることはできるから。だから、あずみん、俺様を守るばかりじゃなくて、頼ってほしい。そしたら、俺様も嬉しい」
そう優しく言った空澄は俺を見上げる。キラキラと宝石のようなルビーの瞳は、本物の宝石よりもうんと価値があるだろう。
(そうか、俺は……)
もしかしたら、聞いてもらいたかったのかもしれない。あの時のこと、忘れようとしていたけれど、結局忘れられなかった。俺に残る傷は、一生癒えることはないけれど、分かち合うことはできるのだと、俺は空澄を強く抱きしめた。
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