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「いやまあ、どのみち演奏する訳だ。今度の日曜日でも構わんだろう?そもそも、演奏家たるもの、即興という事ができなくて、どう大衆を喜ばせるのだ?」
男爵は、もっとらしい事を言って岩崎をはぐらかした。
その間も、芳子の唄声は流れて来る。
が、それは何かおかしい。
男爵は、あれこれ言いかけている岩崎を制した。
「なんだね?芳子が誰かと合唱しているようなんだが、何か妙じゃないか?!」
「はい、誰が義姉上《あねうえ》の相手を?というよりも……あれは……」
「京介?芳子が唄っているのは、ヴェルディの乾杯の歌だろう?動物は、出てこないはずだが?」
所々、シロだミケだタマだと歌詞が聞こえる。
「あぁ……お咲か……」
岩崎は、桃太郎の唄の事を男爵に説明した。
「なるほど、お咲がなぁ。そりゃ、丁度良かったじゃないか。劇場も盛り上がるぞ」
「兄上!何を呑気な事を!場所が、演芸場ということも学生達の反感を買っているのですよ!」
「いや、まあ、それはそれで、ん?えらく、ビブラートのかかった桃太郎だなぁ」
芳子の響かせる声へ上手い具合にお咲が声をふるわせ唄っている。
それが、重なり合って、不思議な一曲を作り出していた。
芳子の高音の伸びきる声へお咲が、
「桃ーー太郎ーーーー」
と、オベラ歌手顔負けで唄い切った。
「京介、なんだありゃ?」
「ですね。しかし、どうして、上手く二重奏になってしまっているのか……」
二人が首を傾げていると、拍手喝采と共に笑い声が流れて来た。
「まあ、賑やかなんだから、良いじゃないか。芳子もご機嫌なようだし」
男爵は、言いつつも、はぁとため息をついた。
「もう、芳子のやつが、ドレスを作るだなんだと、張り切って……」
挙げ句、使用人を巻き込んで、中庭で練習し始めたのだという。
皆は、芳子の唄声を聞かねばならず、そして、拍手喝采をもれなく求められる。
その間、屋敷の裏方仕事が止まりきり、執事の吉田はえらい剣幕だとか。男爵は、困った顔を岩崎へ向けた。
「知りませんよ!ご自分達が、演芸場の支配人に乗せられて、音楽学校を丸め込まれたのでしょう?」
舞台に立てると張り切る芳子が手に負えないらしいが、岩崎からすれば単なるはた迷惑な話だった。
中庭らしき場所からは、まだ、拍手と笑い声が流れて来ている。
すると、女中だろう女の叫びが聞こえた。
「きゃあ!月子様!」
続けて、皆の慌てる声がする。
何事かと、男爵と岩崎は顔を見合わせた。
が、岩崎の動きは速かった。
「つ、月子?!月子!!!」
ドアを勢いよく開け、岩崎は、そのまま廊下を駆けていく。
「月子!!」
叫びながら飛び出して行ったその姿に、
「ありゃ、これまた、ひと悶着ありそうな、というか、なんで月子さんなんだ?」
さっぱりわからんとぼやきつつも、ドタドタと廊下を駆けて行く岩崎の後ろ姿に、男爵はニヤついた。
「いやまあ、お熱いことで。しかし、これ程まで、見合いが上手く行くとはなぁ。月子さんには、感謝しかない」
などと、ニヤケ続けるのだった。
そして、息を切らして中庭へ到着した岩崎は、呆然とする。
屋敷のほとんどの使用人が集まっていたからだ。
各々の仕事はどうなっている?!
と、岩崎が思った矢先、庭に転がりこんでいる月子の姿が目に飛び込んで来た。
「誰だ!!月子を、月子をこんな目にあわせたのわっ!!」
突然現れ、大声で叫ぶ岩崎へ、皆の視線が集中し、わっと、笑い声が上がった。
「いやですよ!京介様!」
運転手の三田が、岩崎へ軽口を叩く。
「ほーんと、いやーねー!京介さんったら、もう!なんで、そんなに怒鳴らなきゃいけないの?」
芳子が、耳に手を当て不満そうな顔を向けて来る。
「な、なにを、呑気に笑って!月子が!」
「あー、月子さんは、転んじゃったのよ?」
芳子が、さらりと言った。
芳子が唄っていると、お咲も唄い始め、くしくも新たな一曲が出来上がった。
それに皆、大笑いして、月子は、座っていた椅子からうっかり転がり落ちたのだと芳子が言った。
「……転がり落ちたって……」
「……申し訳ありません。あまりにおかしくて……笑ったら、椅子から落ちてしまって。皆さんと同じように立っていればよかったんですよね……」
勧められるがまま、用意されていた椅子に座ってしまったのがいけなかったと、月子は言う。
「いけないも、なにも!大丈夫か?まったく、どうして、転がり落ちる?それにだ、私の所へ来てから、月子は、転がってばかりじゃないか?」
もっと、しっかり飯を食え、そして地に足をつけろ、と、月子を地面から起こしながら、岩崎は、説教をしているが、そんな二人を使用人達は、しっかり見届ける。
「おや?いつの間にか、お熱くなって」
三田が皆の胸の内を代弁し、岩崎と月子をからかった。