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こんな夢を見るのは初めての事だった。
ただただ不気味で、曖昧で、不鮮明で、けれど妙に現実味があって、よく知る校舎の中だからこそ、余計な恐怖を感じてしまう。
相変わらず窓の外はしとしとと小さな雨が降り続けている。
廊下の先の闇が怖くて、わたしはそちらには向かわず、一度外に出てみようと脱靴場の方へと足を向けた。
たくさんの靴箱が並ぶ間を抜け、外へと続く扉に手を掛ける。
「……あかない」
思わず事実が口から漏れた。
扉の鍵は見る限り掛かっていないし、わずかな隙間を覗いてみたが特に異常もない。試しに荒っぽくガチャガチャと扉を前後に揺らしたけれど、押せども引けども開く気配なんてまるでなかった。
仕方がない。外に出られないのなら、このまま校舎の中を探索してみよう。
思い、わたしは踵を返して。
「――えっ」
脱靴場のすぐそばにある、二階へと続く階段の中段。
そこにぼんやりと佇む、ひとつの人影が見えたのだ。
その人影はわたしの漏らした声に気づいたのか、さっと二階へと消えていった。
タタタッと小さく足音が遠のいていく。
「だれ?」
わたしは独り言ち、その影を追うべく階段へと小さく駆けた。
二階を覗くように顔を向け、耳を澄ませる。
ガラガラガラ、パタン。
教室のドアを閉める音。
間違いない、誰かいる。
でも、いったい誰が?
こんなわたしの夢の中で、いったい誰がいるっていうの?
わたしは気になって、一歩一歩、ゆっくりと階段を二階へ上がった。
灯りのないその道のりは本当に不気味で、恐ろしくて、先へ進むのを躊躇させるほどだった。
やがて二階に辿り着き、廊下の左右を見渡す。
雨音に包まれたその空間は、一階よりもさらに物悲しくそこにはあった。
物音ひとつ聞こえず、けれど誰かがどこかに潜んでいるのは間違いなくて。
わたしはそろりそろりと廊下を歩き、すぐ左手側の教室、その後ろのドアに手を掛けた。
ガラガラガラ――なるべく音を立てないように開けたつもりだったけど、これだけ周囲が静かだとどうしても大きな音になってしまう。
そこは一年A組の教室で……だけど誰の姿も見当たらなかった。
後ろの扉のない小さなロッカーには、確かに個々の荷物が収められているのだけれど、その持ち主たちは果たしてどこへ行ってしまったのだろうか――
わたしの夢の中だというのに、反射的にそんなことを考えてしまうくらい、それはとても自然な光景で。
一通り教室の中を観察して、わたしは再び廊下に出てガラガラと扉を閉めた。
それからそのまま廊下を進み、隣の一年B組の扉を開ける。
「……誰かいますか?」
何となく声を掛けてみたのだけれど、当然のように返答はなかった。
誰も居ない教室。
それなのに、個人個人の通学鞄や荷物、着替えだけは確かにそこにはあって、まるで人間だけが唐突に姿を消してしまった、そんなホラー映画の登場人物になってしまったような気持ちになった。
だからだろうか、次第にわたしの心を焦りと恐怖が襲い始める。
そのまま勢いに任せて、わたしは一年C組、D組、E組、さらには二年A組、B組と続けざまに教室を覗いていった。
だけど、そのどの教室にも人影なんて見えなくて。
「……いない」
どうして、とは思わなかった。
何しろこれはわたしの夢だ。
夢の中の世界なのだ。
本当に誰かがいるわけじゃない。
いい加減、そろそろ夢から覚めたいんだけど……
そう、思った時だった。
「ふふふふっ――」
誰かの笑う声がして、わたしは思わず「ひっ!」と小さく悲鳴を漏らした。
続いて、タタタタッと階段を駆け上がる足音。
いる! 確かに誰かがここにいる!
わたしは焦り、二年B組の教室を出ると、そのすぐ隣の階段に駆けだした。
その声を追って階段を駆け上がり、三階へとたどり着く。
ガラガラガラ!
すぐ右手側の教室の扉が閉められる音。
わたしは急いでその扉に駆け寄り、一気に開け放った。
「誰! 誰なの!」
大きく叫び、教室の中に足を踏み入れて――
「あら、こんにちは、カネツキさん」
そこに佇む楸先輩の姿に、思わずその場に立ち尽くした。
楸先輩は窓辺の机に腰かけて、脚を組み、その口元に不敵な笑みを浮かべていた。
長い髪がまるで生き物のように蠢き、その眼は怪しく虹色に光って見えた。
「……楸、先輩」
小さく口にして、わたしは一歩あと退って。
ガラガラガラ、ピシッ!
すぐ背後で、教室の扉が大きな音を立てて閉じられる。
「えっ!」
わたしは慌てて振り返り、この場から逃げ出そうと取っ手に手を掛けて――けれど、そのドアは全く開く気配もなかった。
これは、たぶん、魔法。
もう一度楸先輩の方に振り向くと、
「どこへ行こうというんですか?」
一歩一歩、楸先輩はわたしの方へ歩み寄ってくる。
――怖い。
一刻も早くここから逃げたかった。夢から覚めたかった。
それなのに、全然足が言うことを聞いてくれない。
何度も「起きろ」と念じているのに、目が覚めることもなかった。
やがて楸先輩はわたしのすぐ目の前で立ち止まると、急に真顔になって、
「……あなたがどう思っているかは知りません」
唐突に、そんな言葉を口にした。
わたしは思わず動揺しながら、
「は、はい……?」
と震える声で小さく答える。
楸先輩はゆっくりとわたしの頬に右手を伸ばして、
「もう二度と、ユウくんには近づかないでください」
言って、ぎろりとわたしを睨みつけた。
わたしはまるで意味が解らなくて、
「ゆ、ユウくん? だ、誰なんですか、その人!」
「……シモハライ、ユウ。今日、あなたが一緒に登校した、男の子の名前です」
「シ、シモハライ……?」
わたしが口にすると、楸先輩はずいっとすぐ目の前まで顔を近づけてきて、大きく目を見開きながら、
「――そうです。もう、二度と、絶対に、彼に近づいてはいけません」
「えっ、ええっ?」
「もし近づけば……そうですね」
言ってから、楸先輩はわたしから一歩あと退って、
「――あなたを、呪い殺します」
そう口にして、可笑しそうにニヤリと笑んだ。