それからは慌ただしかった。
カーディナル皇太子殿下とギブソン殿下の出立の準備に追われる。
朝の食事の用意におふたりとその軍の道中の食糧の準備にと、食堂、厨房に食糧庫に行ったり来たりで、息つく暇もないぐらいだった。
もちろん、わたしはクリス殿下に口移しで飲ませてもらった痛み止めが良く効いて、全力で動けた。
時々、副作用であのキスを思い出しては熱くなって手でパタパタと仰いだりした。
そして、今後のことは考えず、いまだけ幸せな気持ちを大事にすることにした。
砦は女性が少ない状況なので、わたしもパナシェ姫の出立の準備をお手伝いさせていただく。
お手伝いをさせていただくのに、砦で1番良い客室を訪ねる。
砦で1番良い客室をみんなの総意でパナシェ姫に泊まって頂いたのだが、砦で1番良い部屋というのが、豪華さは全くなく、広さと眺望とそして今までの狩りの成果を誇示するかのように牝鹿のヘッドオブジェなど動物がいくつも飾られている部屋なので、侍女をおひとりお連れだったとはいえ、女性だけで夜を過ごすのには、不気味だったのではないかとパナシェ姫に申し訳なく思う。
パナシェ姫を訪ねると、入口でキール様が待機していた。
キール様は王都では、パナシェ姫の護衛や外交関係の仕事をされているらしい。
キール様には、早朝にクリス殿下のお部屋でクリス殿下と一緒に「尋問」されたばかりだ。
「シャンディ、待ってたよ。俺も手伝いたいけど、着替えは手伝えないからパナシェ姫をよろしく頼む」
「うん。任せておいて!ところでパナシェ姫はこの部屋でゆっくりお休みになられた?」
キール様が微妙な表情になった。
ふぃ、と視線を逸らす。
ん?なぜ、そこで赤面する?
「大丈夫だったよ。それにしてもなかなかすごい部屋だよな」
キール様が耳まで赤くして笑う。
そして、部屋に通されると楽しそうに侍女とお話しをされていたパナシェ姫がおられた。
手入れの行き届いた綺麗な金髪に翡翠の色の瞳。カーディナル皇太子殿下と一緒だ。
ひとりっ子のわたしとしては、兄と一緒の色とか、少し羨ましくもあり憧れだ。
「遅くなりました。シャンディ・ガフです。お手伝いさせていただきますのでよろしくお願いします」
「貴女がシャンディ嬢なのね!」
待っていました!と言わんばかりの好意を向けられる。
「キールに何度もクリス殿下と貴女との話を聞いてたの!お会いできて、本当に嬉しいわ」
わたしの両手を取り、会えたことをすごく喜んでくださる。
キール様。一体どんなお話をパナシェ姫にお聞かせしたのかしら?
ギロリと扉のところにいたキール様を見ると、フヨフヨした力のない愛想笑いをされた。
キール様、次は貴方に「尋問」が必要のようですね。
パナシェ姫はこの3年間は王立学園に通われ、人質だったことを忘れるぐらい楽しい学生生活を送られたそうだ。
学園への送迎などから王都での外出、いつでもキール様がずっとパナシェ姫に寄り添い、ニコラシカに馴染めるように心を砕いてくださったとパナシェ姫は頬染めたり、瞳を潤わしたり、お着替え中にずっとわたしに話されていた。
そのパナシェ姫の様子と、隣にいる侍女さんが時折、パナシェ姫に悟られないようにそっと袖口で涙を拭っているのを見て、言い知れぬ大変なご苦労があったこと、そしてパナシェ姫がキール様に恋慕の情を寄せていることを察した。
カーディナル皇太子殿下が直々にパナシェ姫を呼びに来られた。
カーディナル皇太子殿下の軍や、そして捕縛されていた王の準備も整ったらしい。
昨日の話し合いでパナシェ姫はカーディナル皇太子殿下と一緒にマッキノンに一時帰国されると聞いている。
もう、両国間に人質は要らないのだ。
そして、1ヶ月ほど先には王立学園の卒業式があるのでそれまでにはニコラシカに戻られるそうだ。
「用意は出来たかな?」
ご機嫌そうにカーディナル皇太子殿下がパナシェ姫を見る。
人質だった最愛の妹と一緒に帰国できるのだから、カーディナル皇太子殿下にしたら願ってもないことで、喜びもひとしおだろう。
マッキノンのご令嬢達がキャーキャーと騒いでいそうだなと簡単に想像ができるぐらい麗しいカーディナル皇太子殿下がパナシェ姫に優しく微笑む。
「ええ、カーディナル兄様」
スラリとした金髪美少女のパナシェ姫が優雅にご令嬢の微笑みをされた。
おふたりとも、それはまるで絵になりそうなぐらい美しい。
「カーディナル兄様、私はマッキノンに戻りません。ニコラシカに残ります」
パナシェ姫の突然のひと言で、一気にその場が凍りついた。
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