薄暗い校舎に、夜の気配が沈んでいた。
最後の部活が終わり、生徒たちが帰ったあとの桜ヶ丘中学校は、昼間とはまるで別の顔を見せる。廊下の蛍光灯は半分だけが点き、風もないのにどこかで窓がかすかに鳴る。
二年生の遥は、忘れ物に気づいて校舎へ戻ってきた。明日の提出物が入ったファイルを、三階の教室に置きっぱなしにしてしまったのだ。
教室で無事にファイルを見つけた帰り道、階段を下りようとしたときだった。
――ガガッ。
一瞬、スピーカーが擦れるような音が、校内に響いた。
続いて、ノイズ混じりの声。
『……あ……あ……きこえ……ますか……』
遥は足を止めた。
放送室は、もう使われていないはずだった。数年前に機材が古くなり、新しい設備は職員室に移されたと聞いている。
それなのに。
『三年二組の……佐伯くん……至急、放送室まで……』
ぶつり、と音が切れた。
三年二組の佐伯。確か、去年――事故で亡くなった生徒の名前だったはずだ。
遥の喉がひゅっと鳴る。
気のせい、悪戯、きっと先生が何か試しているだけ。
そう自分に言い聞かせながらも、足はなぜか、三階の奥へと向かっていた。
放送室は、普段は鍵がかかっている。だが今夜、その扉はわずかに開いていた。
中から、白い光が漏れている。
「……誰か、いるんですか?」
返事はない。
そっと扉を押すと、埃の匂いが立ちこめた。古いミキサー卓、積み上げられたカセットテープ、壁にかけられたままのヘッドホン。
そして、マイクだけが赤く点灯していた。
カチ、とスピーカーが鳴る。
『どうして……きてくれなかったの……』
声は、子どものようでもあり、機械のひずみで性別すら判別できない。
遥は後ずさった。
「私じゃない……私は、何も……」
机の上のテープレコーダーが、ひとりでに回り始める。カタカタと震えながら、再生ボタンが押し込まれた。
流れてきたのは、去年の運動会の実況だった。
『三年二組、佐伯くん、転倒――』
歓声が悲鳴に変わる。ざわめき。誰かが叫ぶ。
そして、ぷつりと途切れる。
次の瞬間、マイクがハウリングを起こし、耳をつんざく高音が部屋を満たした。
遥は耳を押さえてしゃがみ込む。
『ぼくは、まだ、ここにいる』
背後から、はっきりとした声がした。
振り向くと、ガラス越しの副調整室に、少年の影が立っている。制服姿。顔は逆光で見えない。
影はゆっくりと手を上げ、指でガラスをなぞった。
きぃ、と不快な音。
見ると、ガラスに内側から文字が浮かび上がっていく。
――つぎは、だれ?
遥の視界が暗くなる。
スピーカーから、校内全体に向けた放送が流れ始めた。
『ただいまより、特別放送を開始します』
それは、遥自身の声だった。
『二年一組、立花遥さん。至急、放送室まで来てください』
マイクの前には、いつのまにかもう一人の“遥”が座っている。
青白い顔で、こちらを見つめながら、にたりと笑った。
『……もう、帰れないよ』
その瞬間、校舎中のスピーカーが一斉に鳴り響いた。
放送室の扉が、ゆっくりと閉まる。
外側から、鍵がかかる音がした。
翌朝。
桜ヶ丘中学校では奇妙な噂が広まった。
夜の校内放送で、自分の名前を呼ばれた生徒がいるらしい、と。
そして放課後、誰もいないはずの放送室から、今日も微かなノイズが流れる。
『……きこえますか……つぎは……あなた……』






