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男は、満月の横を素通りし、里奈の目の前で止まった。


男は俺や里奈よりも大分年上に見えた。実際に、そうだ。十四歳も年上なのだから。


男は里奈の肩を両手で掴むと、困った表情で言った。


「何をしてるんだ」


「……っ! ふぇ……」


里奈は手で顔を覆い、彼の胸にもたれかかる。


一度は愛して妻となった女が、他の男の腕の中にいる。


その光景を見ても、少しも、全く、何とも思わないことに、自分でも驚いた。


「俊哉。あなた、彼女がご主人の出張中に勝手に離婚届を提出したこと、知っていたの?」


抱き合う二人に、満月が言った。


恐ろしく低い声で、ゆっくりと。


空気が、尖る。


男――俊哉が、里奈を抱きしめたまま、首を回して満月を見た。


「勝手……に?」


「やっぱり、知らなかったのね。彼女はね、ご主人を出張に送り出して、離婚届を提出し、マンションまで解約して、あなたの元に走ったの。ご主人との結婚生活で蓄えたお金を持って。そのお金で、私に慰謝料を払った」


「本当……なのか?」と、俊哉が里奈を覗き込む。


里奈は顔を伏せたまま。


「夫婦関係は破綻していたから、すんなり離婚できたと……」


そう言われて、ようやく、虚しさが込み上げてきた。


里奈のしたことに、戸惑いや怒りはあっても、悲しいとか虚しいとか思うことはなかった。そう思うより前に、満月に出会ったから。


だから、こうして、上手くいっていたと思っていた結婚生活をあっさり否定され、ようやく、虚無感を覚えた。




俺たちの二年間はなんだったのか……。




調査会社の調べでは、里奈と俊哉の関係は、少なくとも八か月以上前から始まっていた。


その頃に、夫の浮気を疑った満月が、調査を依頼したのだ。


二人は、上司と部下の関係だった。


満月は、絶対に言い逃れの出来ない証拠を揃え、俊哉に対して離婚と慰謝料を、里奈に対して慰謝料を請求した。それが、半年前。


タイミングがいいか悪いか、俺は長期出張に出た。


里奈は離婚届を提出し、マンションを解約して、俊哉の元へと走り、俺との貯金で満月に慰謝料を払い、俊哉と暮らしだした。


俊哉は顔を上げ、俺を見て、眉間に皺を寄せた。唇を震わせる。


薄暗くて良く見えないが、多分。


「すみま……せんでした」


俊哉の絞り出した声に、里奈が顔を上げる。


「俊哉くん!?」


彼は俺を見据えたまま、続けた。


「里奈のしたことの責任は、全て私にあります。随分と年上であるにもかかわらず、家庭のある彼女を好きになってしまった。夫婦関係が破綻していると彼女は言ったけれど、離婚が成立していないのならば関係を持つべきではなかった。申し訳ありませんでした」


「やめてよ、俊哉くん!」


「里奈。事情はどうあれ、俺たちは間違いを犯したんだ。慰謝料はもちろん、ちゃんと謝罪するべきなんだよ」


「だけど! なんで私たちだけが責められなきゃいけないの?! 私たちはただ、好きだから一緒にいたいだけなのに――!」


「里奈……」


なんの茶番だ。


こんな三流のシナリオ、寒気と吐き気しかしない。


里奈と俊哉はすっかり二人の世界に浸っているが、それを見せつけられる俺と満月は、完全に呆れ顔。


実際に、彼女のため息が聞こえた。


「なんでもいいから、払うもんは払えよ」


そう言い捨てて、俺は二人を尻目に、満月に歩み寄る。


「ひどいっ!! 元はと言えば、あんたが会社を辞めて独立するとか言うからじゃない! うまくいくかもわからないのに、巻き添えなんて堪んないのよ!! あんたがそんなことを言い出さなかったら、私だって――」


「――いい加減にしなさい!」


満月の声が、公園にこだまする。


里奈は肩を強張らせ、俊哉にしがみついた。


満月は俺の肩越しに里奈を見据えて言った。


「あなたたちがどんな気持ちで不倫してたかなんてどうでもいいのよ。夫婦関係が破綻していたという事実もないのに、特定の相手と複数回、または長期にわたって関係を持った。あなたたちは、罰を与えられて当然のことをしたの。俊哉が私に思うことがあったのだとしても、私はそれを聞いたことはないし、あなたがご主人に不満があったとしても、勝手に離婚届を提出していい理由にはならない。本気で一緒になりたいと思うのなら、全てを清算するしかないのよ。別れた相手から『幸せになって』なんて言われるのは、ドラマや小説の中だけよ。現実を見なさい!」


「……っ」


里奈はぐうの音も出せず、それでも威勢よく満月を睨んでいた。


「それにね、ご主人が独立しようとしなければ不倫しなかったなんて、あなたのご主人に対する愛情も俊哉に対する愛情も、お金次第って聞こえるわ」


「違うわよ! 俊哉くん、私そんなこと――」


「――わかってるよ」と、俊哉が里奈を優しく抱き締める。


「けど、そう言われても仕方がないことを、俺たちはしたんだ。きみにご主人を責める資格はないし、俺はご主人に請求された額を支払うつもりだ」


「そんな――!」


「そうしなければ、俺たちは一緒にはいられないんだよ」


胸糞悪いこと、この上ない。


俺は、早く満月と二人になりたいのに。


フッと俊哉が視線を上げた。


さっきとは少しだけ立ち位置が違うせいか、顔がはっきりと見えた。


優しそうな、年相応の男。


四十半ばの年齢に相応しく、髪は染めているであろう黒髪で、顔には深い皺が刻まれている。イケオジ、という言葉があるけれど、そう言えるほど、若い頃はイケメンでモテていた風でもない。ただ、とても穏やかで誠実そうな印象を受けた。




誠実なら不倫なんかしないか……。




里奈が、年上好きだとは意外だった。


俺も、俺の前の男も同い年。


同じものを見て、同じノリで話ができる相手を好んでいたはずだ。


俊哉は里奈を離し、三歩だけ俺に近づいた。俺との距離は五歩くらいだろうか。


そこで、彼は姿勢を正し、直角に腰を折った。


「申し訳ありませんでした」


潔い人だ、と思った。


満月を抱いて、満月の夜に抱かれて

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コメント

1

ユーザー

本当に清い人なのかな?

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