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離婚前に里奈と関係を持ったことは誠実ではなかったが、きっと他のことに関しては真面目な男なんだろう。
そうでなければ、満月が結婚するはずがない。
「謝って済むことではないとわかっています。彼女が無断で離婚届を提出なんてしたのは、私が不甲斐なかったせいです。彼女がなんて言おうと、私からあなたに事情を説明し、謝罪するべきだった。本当に申し訳ありません」
ひと回り以上年の離れた相手に頭を下げるなんて、どれほどの人間が出来るだろう。
本当なら、妻を寝取られたと怒り狂ってぶん殴ってやりたいのが俺の心情なのだろうが、そんな気にはなれなかった。
「慰謝料を、払ってください」
「それはっ――! もちろんです」
「そんなお金、ないじゃない! あの女に全部取られちゃったんだから!!」と、里奈が満月を指さす。
そうだろう。
俺は、満月が二人に請求したのと、同額を請求した。
里奈に三百万、俊哉に二百万。
満月は逆だったが、総額五百万。
二人合わせて一千万など、いくら大手企業の経理部長とはいえ、簡単に用意できる額ではないはずだ。まぁ、里奈が満月に支払った金は、俺から持ち逃げした金だったわけだが。
「慰謝料の意味、知ってる?」と、満月が言った。
「精神的苦痛を与えた相手に対する謝罪と、慰めに支払う金銭」
「そんなこと、知ってるわよ!」
「だったら、どうしてあなたは俊哉と一緒に頭を下げないの?」
「……っ」
「ねぇ、私とあなたのご主人は、何をしたの? どうして、こんなひどい屈辱を受けなければならなかったの?」
冷たい風が吹いた。
誰も、自分の身体を抱き締めたりしなかったが、コートが舞い、髪が揺れ、確かに寒かった。
俺は、出会った時のように満月を抱きしめたいと、思った。
「あなたたちはいいわ。家庭を壊しても構わないほどの愛を貫くんだから、傍から見てどれだけ滑稽でも幸せでしょう? でも、私とあなたのご主人は違う。どうしてこんなことになったのだろうと、悩み、苦しみ、自分を責めたりもするかもしれない。周囲から好奇の目で見られ、詮索され、『仕事ばかりしてるから旦那に愛想を尽かされたんだろう』とか『旦那は鬼嫁から逃げ出したんだろう』とか噂されるの。それは、なぜ? どうして裏切られた方が、苦しまなければならないの? 裏切った方は罪悪感があってもそれを共有できて慰め合える相手がいる。私にはいないのに。せめて謝って欲しい。それを形にして欲しい。そう思うのは間違ってる? その形が金銭であることが、一番理に適っているから、慰謝料という言葉と制度があるんでしょう?」
俊哉はどうして、満月を捨て、里奈を選んだのだろう。
どこからどう見ても、満月の方がいい女だ。
だから、だろうか。
男は、自分よりデキる女を認めようとしない。
代わって、里奈は男の庇護欲をそそる女だ。俺も、そばで守ってやりたいと思って付き合い出した。
年齢だろうか。
そんな浅はかな男には見えないが。
「私はいいわ。謝罪がなくとも慰謝料を受け取ったから、それで終わり。もう、あなたたちと関わることもないし、関わりたくもない。でも、あなたのご主人は違うでしょう? よく考えなさい」
里奈に、満月の優しさは届いているのだろうか。
感情で責め立て、罵る権利が、満月にはある。それをせず、里奈に自分の行いの重大さと責任を諭すのは、彼女の優しさ以外の何物でもない。
俺に対しても、そうだ。
旦那の浮気相手の旦那なんて放っておけばいいだろうに、そう出来なかった。
満月は、優しすぎる――。
「慰謝料を払ってください。それで、終わりです。俺も、これ以上あなた方に関わりたくない」
そう言うと、俺は駆けだした。
満月の元へ。
彼女の手を取り、足早にその場を立ち去った。