テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
百鬼清風
863
#イケメン
高遠すばる
1,329
#初小説
鬼卍。
70
マーガレットが我が家を訪ねてきたと聞いた時、私は名前を聞き間違えたのかと思った。
お兄様と私を見かけるたび、殿下の隣から勝ち誇ったように見ていた人だ。その彼女が、わざわざアシュフォード家へ来る理由が思いつかない。
応接室へ入ると、マーガレットはソファから立ち上がった。栗色の巻き髪には薄桃色のリボンを飾り、胸元にはいつもの薔薇のブローチを付けている。ただ、今日は殿下が一緒ではなかった。
「突然お訪ねして、申し訳ありません。マチルダ様、どうかお話を聞いていただけませんか」
「私に、ですか?」
「はい。二人だけでお願いしたいのです」
私は入口にいた使用人を下がらせ、向かいのソファに座った。扉が閉まるまで、マーガレットは何も話さなかった。
膝に置いたハンカチを握り、私が続きを促すのを待っている。
「それで、どのようなお話でしょう」
「殿下を、お止めいただきたいのです」
マーガレットの頬を涙が伝った。自分のハンカチで拭っても、すぐに次の涙がこぼれる。
殿下がまた何かしでかしたのだろうか。私達へ文句を言いに来たのなら、文句を言いたいのはこちらだ。
「エドワード殿下のことで、何かあったのですか」
「この国を出るとおっしゃるのです。私も一緒に来いと。二人で竜帝国へ行くと仰って……」
「竜帝国へ?」
私は思わず聞き返した。
グランデル帝国。二年前、我が国へ攻め込んできた竜人族の国だ。お兄様が戦った相手でもある。王太子である殿下が、どうしてそこへ。
「陛下のお許しは出ているのでしょうか」
「いいえ。誰にも伝えずに出ていくとおっしゃっています」
「それは、亡命するということですか」
「そうです。私と駆け落ちしようと……私は、そんなことを望んでいないのに」
マーガレットはハンカチを両手で握ったまま、私へ身を乗り出した。
「王太子のお立場はどうなさるおつもりなのですか、とお尋ねしました。でも、そんなものは捨てればいいと。十分に金はある、後は私さえいれば構わないとおっしゃって」
それはまた、随分と思い切ったことを。
殿下なら、相手が喜ぶ言葉だと思って口にしたのかもしれない。けれど、目の前のマーガレットは困り果てていた。少なくとも、愛する方との駆け落ちに胸を躍らせているようには見えない。
「マーガレット様は、ご一緒するお気持ちがないのですね」
「あるわけがありません」
あまりにも即座に言い切ったので、私は返す言葉を失った。
マーガレットはハンカチを膝へ戻した。まだ涙の跡は残っていたが、話す声からは先ほどの頼りなさが消えている。
「私は、王太子であるエドワード殿下に期待していたのです。いずれ国王になる方だからこそ、お側にいたのです。それを自分から捨てるなんて、何を考えているのでしょう」
「殿下ご自身をお慕いしていたのではないのですか」
「何もかも捨てて付いていく気はありません。あの男には、もう愛想が尽きました」
マーガレットの顔を見つめた。
私の前で、そこまで言ってしまっていいのだろうか。殿下の隣で、あれほど幸せそうに振る舞っていたのに。
だが、自分もお兄様やアシュフォード家を捨てて殿下についていっただろうかと考えると、その気持ちも理解出来た。義務感で婚約関係を続けていただけで、とてもそんなことは出来ないだろう。
「知らない国へ連れていかれて、どう暮らせというのですか。私はブラウン公爵家の娘です。駆け落ちなどして、家を捨てるつもりはありません」
言いたいことは分かった。分かったけれど、なぜ私に頼むのだろう。
元婚約者だから、話が出来るだろうと思われたのだろうが、あまりに無神経ではないか。
婚約を破棄された上に、新しい恋人との揉め事まで持ち込まれるとは思わなかった。殿下が何を考えているのか、私の方が教えていただきたいくらいだ。
「そのお気持ちは、殿下に直接お伝えになるべきではありませんか」
「お話ししても、聞いてくださらないのです。私が怖がっているだけだとおっしゃって。ですから、マチルダ様から説得していただけませんか」
「私が申し上げて、殿下がお聞きになるでしょうか」
「以前は婚約者でいらしたでしょう。私より長く、お側にいらしたのですから」
その婚約を終わらせた時、あなたも隣にいたでしょう。
危うく口に出しかけて、私は膝の上で両手を重ねた。マーガレットは再びハンカチを頬に当てている。
「お願いです。思いとどまっていただけるなら、それでいいのです。私には、もうどうすればいいのか」
彼女を慰める気にはなれなかった。
それでも、王太子が竜帝国へ亡命するという話を、二人で解決してくださいと追い返すわけにはいかない。殿下は王家の方だ。国を出れば、恋人同士の揉め事では済まない。
「お話は分かりました。私から殿下を説得できるとはお約束できませんが、このままにはいたしません」
「本当ですか。ありがとうございます、マチルダ様」
マーガレットは、ようやく安堵したように微笑んだ。
私は玄関まで彼女を見送り、もう一度礼を言って帰っていく姿を見届けた。最後まで、私にこの頼み事をすることについての謝罪はなかった。
マーガレットが帰った後、私はお兄様の部屋を訪ねた。
中へ入ると、お兄様は椅子をこちらへ向け、私の顔を見て尋ねた。
「どうした。マーガレットと何かあったのか」
「あったのは、エドワード殿下との関係だそうです」
私は、お兄様に先ほどの話を伝えた。殿下が竜帝国への亡命を計画していること。マーガレットにも同行を求めたこと。そして彼女には付いていくつもりがなく、元婚約者の私に説得を頼んできたこと。
お兄様は途中で口を挟まず、最後まで聞いてくれた。
「殿下とお会いしてお話しするべきでしょうか。私の言葉では、お怒りになるだけかもしれませんが」
「いや。お前が会いに行く必要はない」
「ですが、放っておいて、本当に国を出てしまわれたら……」
「分かっている。万事、俺に任せろ」
お兄様は立ち上がり、私のそばへ来てくれた。
「よく話してくれたな。お前が一人で抱えることではない」
私は、お兄様の服の袖をそっとつかんだ。あの二人のことまで頼るのは申し訳なかったが、自分で殿下を訪ねるよりもずっと安心できた。
「よろしくお願いいたします、お兄様」
「ああ」
お兄様は穏やかに微笑んだ。何をするつもりなのかは教えて下さらなかったけれど、私は袖を離して頷いた。
コメント
1件
わあ〜最新話読み終えたよ😭✨ マーガレットがああいう形でマチルダのところに来るとは思わなかった…! しかも殿下への想いが打算的だったってバレちゃった感じすごい生々しい…「愛想が尽きた」って言い切るところは正直ビビったよ。 でもマチルダはちゃんと冷静に対応してて、兄様に任せるところがまた頼もしすぎる…! 駆け落ち話、この先どうなるんだろう、続き気になりすぎる🥺💕