コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
脳内が停止した。
俺を掴んでいる若菜の手とその熱さが、停止した脳を揺さぶろうとする。
“ここで寝て”
手を出さないように―――若菜が安心するように床で寝ようとしたのに、その若菜が俺の腕を離さない。
若菜は真っ赤だった。
頬を膨らませ、睨むようにこちらを見つめる若菜に対し、しどろもどろの声が出る。
「あっ、や、え……っと……」
「………」
「…………うん」
「じゃあ、寝よ」
若菜は俺の腕を引っ張って、ベッドの奥側へ横になる。
反射的に俺も体を横たえようとするが、頭の中は真っ白になったままだ。
一瞬、身を起しかけた。
でもここで横にならなければ、若菜が怒るのは目に見えている。
心を決めて、ぎこちない手で若菜を腕の中に納めると、若菜の髪が自分の喉元にあたった。
一緒に横になると決心したのに、心臓がばくばく言っている。
こうしたい、と思ったことはあるし、付き合ったんだから、いつかは一緒に寝ることだってあるとは思っていた。
でも唐突にその機会が訪れると、スマートになんてできない。
それに、今は今で、若菜にどう思われているかが気になって仕方がなかった。
そろ、と若菜の髪を撫でると、せっけんの香りがふわりと立った。
何度か撫でるうち、緊張より愛おしさが沸き上がってくる。
そうなると、すこしだけ力が抜けた。
「……寝れそう?」
「……まだわかんない」
「そっか」
若菜は身じろぎして俺の胸に顔をうずめる。
とりあえず、寝られるまで背中を撫でていよう。
そう決めて優しく撫で続ければ、若菜の身体の力も抜けてきた。
「……ありがと。ちょっと落ち着いた」
「そっか」
「……さっきの」
「え?」
「変に思った?……ベッドで寝てって言ったこと」
「いや。ほんとはそういうの、俺が言わなきゃいけないかもって思いはした」
「ほんとだよ。湊が言ってくれてたら、顔から火が出そうにならなくて済んだのに」
若菜がうらめしそうな声で言う。
その後、ふっと吐息を吐くように笑った。
息がかかってくすぐったく感じながら、俺も小さく笑みを浮かべる。
「そうだな。今度からは気をつける」
「うん」
若菜の身体が動いた。
そのまま顔をあげた若菜と、目が合う。
顔が触れそうな距離だった。
豆電球の薄明かりの中、お互いの目が合った。
ドキッとしたのは俺だけじゃないと、若菜の表情を見てわかる。
この空気が気恥ずかしい。
恥ずかしくて目を逸らしかけた。
でも俺がとった行動は、目を逸らすでも、照れ隠しに抱きしめ直すでもない。
顔を近づけ、若菜の額に触れるだけのキスをする。
それは本当に無意識で、愛おしさが熱されて、膨らんで、頭より先に体が動いた。
若菜が息をつめたのがわかった。
同時にぶわっと熱が沸き上がる。
やばい。
嫌だっただろうか。
自分でも予想外の行動に動転して、思わず体を離そうとした。
その時、胸のあたりに新たな感触を感じる。
「――――――」
若菜が俺の服を掴んでいた。
それはとても小さな動きだったけど、俺のしたことが“嫌でない”とわかるのには十分で―――ただそれだけで、今のを受け入れてくれたのだとわかってほっとした。
力が抜ける。
もう一度同じ場所に小さく唇をつけた。
衝動といえば衝動的な行為。
でもさっきよりは“そうしたい”という意志があって、ドキドキしているのに、気持ちは落ち着いていた。
若菜が好きだ。
この気持ちはずっと昔から胸の奥にあったものだけど、関係が壊れるのを恐れた俺が、無意識に見ないように、意識しないようにしてきた部分だった。
でももう隠す必要もないし、若菜も俺が好きだと思ってくれている。
一度、二度と口づければ、胸の奥から抑えがたいなにかが沸き上がってくるのを感じた。
若菜は動かない。
嫌がっていないのは感じるけど、どう思っているのかわからないから、こっちを見てほしいと思う。
キスをやめれば、若菜の力がすこし抜けた。
長年一緒にいたけど、こんなことしたことがないから、緊張していたんだろう。
後ろ髪をぽん、ぽん、としながら、愛おしさの塊が言葉になって滑り落ちた。
「若菜。好きだ」
恥ずかしいとか、かっこ悪いとか、そういうことをとっぱらった、正直でまっさらな気持ちだった。
普段これを言うのは、俺にとって勇気がいる。
でもこうして距離が縮まれば、触れ合っていれば、込みあがってくる温かな気持ちがそのまま言えた。
「……うん。私も、湊が好き」
小さな、でも、確かな声が胸元から聞こえた。
胸が温かく震える。
お互いのことを言葉にしなくても分かり合えていると思っていた。
それでよかったし、それでも満足していた。
でも、今言葉にして、言葉にしてもらって、よりお互いの気持ちが確かだとわかる。
若菜といて温かな気持ちになることは何度もあったけど、感じたことのない満ち足りた気分だった。
好きだ。
シンプルで温かくて絶対的な想いが、心の真ん中から浮き上がってくる。
それからはもう、あんまり覚えていない。
若菜の柔らかさだとか、ぬくもりだとか、絡め合った手の力強さだとか……そういったものが断片的に思い出されて、自分の中に吸い込まれて焼き付くようだった。
息ができないほど若菜を求めて、若菜に溺れて、大事にしたいと何度も何度も思って。
若菜にしがみつかれたところが熱くて、焦がれるように痛くて、ただ全身で若菜を感じて、愛を覚えた。
終わった後は、若菜を抱きしめながら、言葉にならない気持ちも抱えていた。
喜び。安堵。ぬくもり。
そしてなにより、“ようやくここへ来られた”という気持ちが、一番近いかもしれない。
ひねくれて気づかないふりをしていたけど、本当は、若菜とこうなりたかった。
今これだけ満たされていたら、こんなに満ち足りた気分なら、『若菜と恋人になりたかった』と素直に認めざるを得ない。
腕の中に若菜がいる。
今、本当の意味で一番近くにいる。
これからもこの先もずっと―――この場所にいたい。
“幼なじみ”
俺たちを表すものは長年『幼なじみ』だった。
それだけの関係は卒業して『恋人』へ、その先は『家族』へ向かって進んでいきたい。
薄いカーテンの裏から、陽の光が射してくる。
穏やかなに眠る若菜から目を外して、何気なく光のほうに視線を向けた。
気持ちが高揚していたからか、眠らないまま夜が明けた。
不思議と眠気はない。
心は穏やかで、いつまでも若菜の髪を撫でていられそうだった。
光が明るさを増し、部屋の中も次第に明るくなる。
若菜を起こさないようシャワーを浴びて部屋に戻ると、若菜はまだ眠っていた。
……寝顔を見たのは、若菜が居酒屋で眠りかけた時以来かな。
あの時は俺のベッドで若菜が眠っているなんて、想像することすらなかった。
自然と頬が緩む中、スマホを手に取る。
時計表示は07:57。
(若菜は13時から仕事だって言っていたっけ)
ここから電車で二時間はかかるし、そろそろ起こさないといけないか。
ローテーブルに置きっぱなしだったコップをさっと洗うと、そこに水を注いで飲んだ。
その時、後ろで気配が動く。