「優奈が嫌がれば戻ってくる。そうじゃないなら優奈の自由だ」
「お前んとこに? バカじゃねぇの? 奥村のとこ行くかもじゃねーか」
「…………優奈が、そう決めるなら、あいつの自由だ」
「本気かよ? だったらもうちょいシケたツラなんとかしろよ」
非難する声とほぼ同時に車はスピードを落とす。
自社の入るオフィスビルに到着したためだ。
「ハッキリ言っとくけど、奥村で納得できなかったんならな? お前多分他のどんな男でも優奈ちゃんの隣に立つこと許せねぇと思うぞ」
琥太郎の言葉。すぐに昨夜のはじめのセリフに変換されて雅人の頭の中に重く響く。
奥村が『瀬戸さんのこと好きだと思ってます』と、雅人に律儀にも告げてきた日。
ホッとした。
仕事はそつなく真面目にこなす、それでいて行動力もある。プライベートは深く知らないが、ごくごく普通に人並みの恋愛をしてきてたと思うぞ。と、他社から奥村を引き抜いてきた張本人である琥太郎が証言した。
だが、それも束の間。
奥村が優奈と距離を縮めていこうとする様子を目の当たりにしている日々は、酷く雅人の心を揺さぶった。
優奈の顔を直視すれば、それを否定する言葉を我慢できずに発してしまうだろう恐怖。
「結婚したくないのはわかるぞ。俺も落ち着く気がまだないし、好きに過ごしたいし。でもそれは飛び出た一番がいないからだ。お前違うだろ」
「……優奈は、お前の言うそれとは違うんだがな」
「違わねぇ。なんで頑なに迎えに行かねぇの」
琥太郎の問いに雅人は暫く腕を組んで黙り込んだ後。
「……母親が、別居していた父親とまた一緒に暮らし始めてるらしい」
「へー、いい話じゃねぇか」
「いや、それを見たくない」
「…………はぁ?」
口をポカンとあけてマヌケな顔を晒し続ける琥太郎は、珍しかった。
――車の出入りが多かった為、琥太郎に駐車を任せ、先に自社の入る五階へと到着した。
そのまま経営企画室の奥にある自席を目指す。ドアに手を掛けたならタイミングが良いのか悪いのか。
優奈と鉢合わせてしまった。
もう帰ろうとしているところなのだろうか。肩にはバッグが掛けられていている。
「優奈、もう帰るのか?」
「はい。今日は日中、坂下さんと高遠さん以外揃ってたので早く片付きました」
優奈はニッコリと穏やかな笑みを浮かべているが、雅人を見つけ……幼い頃の面影残る弾けるような愛らしい笑顔ではなく。
見知らぬ、女性のような。
「そう……か。帰るって……」
一体どこに? そう聞き出そうとする自分に気がつき戸惑っていると。
まるで再会したばかりの頃……いや、それよりも更に距離を作るかのよう、固い表情の優奈が先に言葉を発した。
「そちらに荷物置いたままですみません。量は少ないので、早いうちに引き取りに行きます。お世話になったお礼も改めてさせて下さいね」
言い終わるよりも前に深々と頭を下げて、優奈は雅人の左側をすり抜けるようにして歩き出した。何故だか凛々しく映る、その後ろ姿。
一切こちらを振り返らない優奈と、言い訳だと吐き捨てたはじめの顔がまるで雅人の足を地面に張り付かせるかのようで。
どうしてだ。
優奈に関わる全てのことに対し、雅人にとっての理想と現実がかけ離れている。
気持ちを抑えることなど簡単だと思った。自分は優奈の幸せを願える理性ある人間だと思っていた。
(気持ちを、抑えるだと……?)
頭に浮かぶ、優奈の肩を抱いた高遠はじめの姿。身体の奥から制御し難い熱が湧き上がってくる。
そもそも何故自分は優奈との未来を恐れるんだ。
何故、自分自身を信用できないのか。
何故、いつまでも逃れられない感情に支配されるのか。
(クソ……っ!)