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「優奈!」
湧き上がってくるものは怒りだ。何に対しての怒りなのかもはや理解できないが、誰に対してのものなのかだけはわかる。
荒々しく細い腕を掴み引き寄せると、優奈は嫌だと抵抗を見せる。二人の声にざわざわと空気が荒れて各フロアのドアから数人がこちらを覗き込んでいるが、正直体裁を気にかける余裕が雅人にはなくなってしまっていた。
離れようと力を込める優奈の足元がぐらりと揺れて、倒れようかというその瞬間。
「ちょ、ちょっと何!?」
「黙るんだ、優奈。これ以上注目されたくないだろう」
いっそ心配になるほどに軽い身体をひょいと持ち上げ担ぎ上げる。
「もう十分見られてるので降ろして……!」
「もう少し待つんだ」
仕事に身が入らない、日々見たくもないものを目の当たりにした疲労。優奈の態度や行動、自分の定まらない思考に感情。そのどれもにうんざりだった。
暴れる優奈を担いだまま歩き、受付からの動揺に満ちた「お、お疲れさまです……」の声を背に、雅人は乱雑に何度もエレベーターのボタンを押す。
到着を知らせるベル音と、開き掛けたドアに突進すると中から出てきた人物ともちろん衝突をするが、相手は吹き飛びはしなかった。
「おう、危ねぇな雅人……って、おおい!?」
「急いでる、どけ」
「ああ、悪いな……って違うだろ!? 何やってんだお前、俺が車停めてる最中に置き去りにして行きやがったかと思えばこれか!」
「違う、お前と打ち合わせするつもりだったが変わった」
「変わったって何がだ!?」そう叫ぶ琥太郎を背にエレベーターに乗り込む。
地下のボタンを連打している間にも優奈が弱々しく背中をポカポカと攻撃しているが、これに関してだけは本当に幼い頃と何一つ変わらない力具合だ。
「降ろして下さい!」
「どうせ行き先は同じだから大人しくしているんだ、優奈」
「同じって」
勢いだけで話していては優奈にも声を荒げてしまいそうだ。
雅人はひとつ大きく息を吸って、吐き出した。
(そう遠くなかったな)
これまでの数年、母親である沙苗から送られてきたメールは目を通したものやそうでなかったものもある。何となく知っている所在地を確認するべく、雅人は優奈に触れていないもう片方の手でスマホを取り出しながら『高遠一級建築設計事務所』と焦る指で打ち込んだ。
文字として目にすると、途端に湧き出る逃げ出したい衝動を抑え込む。
原動力は、もちろん形の定まらない怒りと、この優奈だ。
お互い距離を置くようになってからも、雅人の中で優奈の存在が揺らぐことなどなかったし、目の前で関わってこなかった分、他の男との幸せを願えているつもりになれていたのだ。
(思い込みも甚だしいな)
それが、どうだ。
いざ目の前で優奈が他の男の手で幸せになって行くかもしれない事実を到底受け入れられはしなかった。
(思わせぶりなこと……か)
昨晩の怒りや疑念に覆い尽くされた表情の優奈に言われた言葉は全くもってその通りで、否定などできない。
そして今も、自分の感情を明確な言葉にできないまま優奈をこの手で押さえつけている。どうしようもなく情けなく自分勝手な人間だ。
(見合いだなんだ……あの男の言うことを間に受けてるわけじゃねぇぞ)
それでも、今逃げたなら優奈はきっと、避けるなんて曖昧なこれまでではなく。
確実に雅人への想いを消化させ、新たに人生を歩み出すんだろう。