テラーノベル
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nappa
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7月下旬、土用の丑の日。
赤坂のマンションには、窓を開ければ近隣の苦情が来そうなほど、芳醇で暴力的な「タレ」の香りが充満していた。
天利「シズちゃん、本当にいいの?
老舗うなぎ屋の特等席、まだキャンセル間に合うよ?
あそこの大将、俺が睨みをきかせれば……あ、いや、丁重にお願いすれば、焼き加減をシズちゃん好みに……」
シズカ「天利さん、しつこいですわよ。
専門店のうな重も乙ですけど、スーパーの特売で買ったうなぎにひと手間加えて美味しくいただくのが、蓼原家流の『夏の風情』ですわ」
俺は渋々、タンクトップになり、うちわを握った。
シズちゃんは1度タレや油を洗い流し、フライパンでふっくらと酒蒸しに蒸し上げたうなぎに、秘伝のタレを塗り、グリルで仕上げる。
天利「……火力が逃げないように……!
もっと炭を……あ、ここマンションだった。
換気扇!」
シズカ「叫ばないでくださいまし。
ほら、いい色になってきましたわよ」
2人がうちわを交互に振り、タレが焦げる香ばしい音に目を細める。
それは、どんな血生臭い抗争よりも真剣で、それでいて穏やかな「共同作業」だった。
そこへ、俺に招かれた庸介くんが、少し所在なげに現れた。
庸介「……お邪魔します。
……すごい匂いですね。
マンションの火災報知器、鳴りませんか?」
シズカ「あら、御厨さん。いらっしゃいませ。
今ちょうど焼き上がったところですわ」
シズちゃんは庸介くんをダイニングチェアに促し「外は暑かったでしょう?」と麦茶を渡す。
庸介「ありがとうございます」
シズカ「どれがいいですか?」
そう言って彼女が差し出したのはフラワーアレンジメント風の編みぐるみ。
庸介くんが怪訝そうな顔をしつつも赤い薔薇のものを選ぶとシズちゃんは花の部分を取り外し広げる。
庸介「えっ……?」
シズカ「コースターです」
天利「それ、シズちゃんの手編みなんだよ。
すごくない?」
庸介「えっ!?これを作ったんですか?」
シズカ「ただの手慰みですよ。
集中力がないから小物しか作れなくて……。
時間もかなりかかってしまうし……」
庸介「だとしても器用ですね。
これはどのくらいかかったんですか?」
シズカ「1週間くらいですかねぇ……?」
天利「いや、1週間でこれは凄いって!」
シズちゃんは照れ笑いしながら用意した豪華な料理を食卓に並べる。
メインは、2人で焼き上げたうなぎを使用した「特製うな重」。
さらに、出汁と薬味(刻み海苔、ワサビ、三つ葉)を用意した「ひつまぶしセット」。
肝吸いと肝串という王道に加え、和食に飽きている庸介くんのためにシズちゃんが腕を振るった『うなぎとクリームチーズの洋風テリーヌ』や、『夏野菜のゼリー寄せ・バルサミコソース』といった彩り豊かな洋風アレンジ料理が並んだ。
庸介「……これ、蓼原さんが?
……プロじゃないですか」
天利「だろ? うちの軍師は、胃袋を掴む技術も『名刀』級なんだよ」
シズカ「そんな大袈裟な……」
「いただきます」の声とともに、3人の奇妙な、けれど温かい夕食が始まった。
庸介くんも、ひとくち食べるごとに少しずつ表情が解けていく。
庸介が「……これ、バルサミコですか?」
シズカ「ええ、お口に合うかしら?」
庸介「はい……」
食後、シズちゃんがデザートの準備でキッチンへ席を外した瞬間。
リビングの空気が、わずかに密度を増した。
俺が、グラスの中の氷をカランと鳴らす。
天利「……庸介くん。この家の場所、ちゃんと覚えといてくれ。
……万が一、何かあった時は、ここを君の避難場所にしていい。
シズちゃんにも話してある」
庸介くんは箸を止め、俺をじっと見つめた。
天利「……火種は常に燻ってる。
……だから、君の家の場所も、シズちゃんに教えておいてくれないかな。
万が一の時、彼女が君を頼れるように……君が、彼女を保護できるように」
庸介「……僕に、蓼原さんを守れって?
……自分を『殺す』と約束した男の女を?」
庸介くんの問いは、氷よりも冷たく俺の胸に突き刺さり、疼き出した『蜘蛛』を抑え込む。
救いを求めて『終わらせてくれ』と願った少年に、俺は最悪の呪いを背負わせちまったのかもしれない。
だが、今の俺には彼らしかいないんだ。
天利「君が『生きたい』と願うなら、なかったことにしてもいいよ……。
俺も積極的に殺したいわけじゃないしね……。
子供を手にかけたことはないし……」
俺は自嘲気味に微笑み、視線を落とした。
天利「俺は、2人を巻き込む気はないよ……。
でも、抗争になれば何が起きるかわからない。
……大丈夫、女の子って俺たち男が思ってるより何倍もしたたかで強いし、 シズちゃんは更にその数倍強い女性だから。
それに、彼女の背後には……」
天利の脳裏に、今川組の若頭補佐・牧村の冷徹な顔と舎輪組の組長・輪島の老練さを感じさせる顔が浮かぶ。
天利「(……あいつらが動けば、牧村補佐の背後にいる今川組や輪島組長率いる舎輪組、舎輪組の上部組織の二重組、引いては大判組全体を巻き込む大抗争に発展しかねない。
だが、闘争そのものに価値を見出す奴ら、死線の渦中にいてこそ生を実感する野生の獣のような奴らが渡世にはゴロゴロいるし、。
暴対法に爪と牙をもがれ、警察の目を盗んで小銭を稼ぐだけの今の極道の在り方に不満を溜め込んでいる奴らもいるはずだ)」
天利「彼女たちなら、かならず何とかしてくれるはずだ。
……でも、物理的な『隠れ家』として、君の存在が必要なんだよ。
俺としても、今、君に死なれたら困るしね」
庸介くんは、しばらく黙って自分の指先を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
庸介「……わかりました
でも僕の家、普通の1Kなんですけど……」
天利「そこは2人で話し合ってどうにかして。
……俺以外に殺されないでね」
口に出せば冗談にしか聞こえないが、それは俺の本心だった。
庸介くんが呆れたように視線を外す。
俺はグラスに残った氷を見つめ、静かに息を吐いた。
天利「(……背負わせたくない、こんな血の匂いは。
シズちゃんには、ただの『可愛いおじさん』だと思われてるくらいが丁度いい。
……あの子の幸せを汚す奴は、それが例え旧友だろうが、俺がこの手で片付ける)」
俺の手が血で汚れるのは構わない。
だが、この2人の未来だけは『獣たち』に食い散らかされてたまるかという、漆黒の殺意が腹の底で渦を巻いた
その時、廊下から涼しげな足音が近づいてきた。
シズカ「ひや〜こい!ひや〜こい!
お待たせでありんす。
冷や水でありんすよ〜」
シズちゃんが戻ってくると、俺は瞬時に『御焼組の天利組長』の顔を剥がし、情けない『天利おじさん』の面を被り、「おっ、美味そうじゃん!」と声を上げた。
シズカ「(……あら、少し空気が変わったわね。
……でも、これでいい。
殿方には、殿方同士の『網』があるのでしょうから)」
シズカ「1杯4文、砂糖増し8文、 砂糖増し増し12文でありんす」
天利「モンってなんの単位?!!
あと、なんで花魁みたいな口調なの?」
庸介「文は、江戸時代のお金の単位ですよ……」
シズカ「え〜?ノリですかね?」
彼女は全部わかってるんだろうな。
時代錯誤な花魁言葉でおどけてみせるのは、俺たちの影を吹き飛ばすための、彼女なりの『軍法』なんだ。
1杯4文だか何だか知らないが、彼女が注いでくれた麦茶は、どんな高級酒よりも五臓六腑に染み渡った。
コメント
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第34話、読み終わりました。うなぎの香りがしてきそうな描写に思わずお腹が空きました(笑)。シズカさんの編みぐるみコースター、あれ手編みってすごいですよね。1週間って言うけど、あのクオリティなら納得。 で、食後の天利さんと庸介くんの会話がもう……。天利さんが「避難場所」としてこの家を覚えておいてほしいって言うところ、そして「俺以外に♡♡♡れないでね」って冗談めかして言うところに、彼の本当の優しさと覚悟が滲んでて、胸がぎゅっとなりました。シズカさんが全部わかってて花魁言葉で流すところも、彼女のしたたかさと優しさが感じられて、3人の関係性がすごく好きです。