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梨沙は返事に窮した。
2年間引きこもっていた人間が妊娠した。
そのありえない現象の答えを探していた。
だが、今、電話の向こうにその答えの一端を知っていると思われる人物が現れ、梨沙の頭は真っ白になった。
電話の男はそれを悟ってか自分から話を進めた。
「色々お聞きになりたいことがあるでしょうが、今は質問に答えている時間がありません。胎児の心音を測る機械を今後必ず24時間肌身離さず身につけておいてください……あなたのためです」
そう言って電話は一方的に切れた。
一歩前進したはずなのに余計に後退した気もした。
肝心なことはわからないまま男の登場で謎が増えただけな気もする。
丸山に電話のことを伝えると、丸山は眉間に皺を寄せた。
「その人、信用できるの」
「わかりません……」
ピピピピ
その時、心拍の計測器からアラーム音が鳴った。
計測器は心拍が140を超えると数値の色が白から赤に変わりアラームが鳴り出すように設定されていた。
一般的に胎児の心拍は1分間に110~160くらいらしい。
起きている時は交感神経が優位になり心拍数が上昇しやすいので140〜160程度にあがひ、
眠っている時は副交感神経が優位になり心拍数が落ち着いて110〜130になるのだそうだ。
「やっぱり、その機械外した方がいいんじゃないかな」
「え?」
「送り主にどんな思惑があるのかわからない。綿貫さんを殺そうとした人間の仲間かもしれないよ?」
「そうですね…」
丸山にはそう返事をしたが梨沙は心拍を計測する機械を外すつもりはなかった。
情報は多い方がいい。
それにお腹の中の子供の心拍も確認できる。
(……私は子供の無事を祈ってるのだろうか?)
梨沙にも自分の本心がわからなかった。
梨沙がお腹の子の母親であることは間違いない。
そのことが梨沙の思考に影響を与えているのかもしれない。
ホルモンの影響か。
それとも、これが母性というものなのだろうか。
「そういえば、調べてみたら、いくつか綿貫さんと同じような事例が見つかった」
「……本当ですか?!」
丸山は調べてくれるとは言っていたが、正直それほど期待はしていなかった。
だから梨沙と同じような境遇の人がいると聞いて心底驚いた。
丸山はオンラインミーティングのチャット欄にURLリンクを貼った。
リンクをクリックすると、ある女性のSNS投稿が表示された。
女性のSNS投稿には妊娠検査薬の陽性を示す写真が添えられていた。
『妊娠した。ありえない。誰とも関係なんてもってないのに』
その後、女性は経過をSNSにつづっていた。
『病院で説明したけど信じてもらえない。子供の父親と相談するようにさいさん言われた』
1週間ほど時間が経過した投稿にはお腹が膨らんだ写真が投稿されていた。
『どんどんお腹が大きくなってる、ありえない、ありえない、ありえない』
妊娠への不安と体調不良についての投稿がしばらく続き、ある日を境にぷっつりと投稿がストップしていた。
「似ていると思わない?綿貫さんに起きていることと」
「……似てます」
「この女性は誰にも信じてもらえなかったみたい。虚言だって。ひどいもんだよ、誹謗中傷が」
「……この人、急に投稿しなくなってますけど、どうしたんでしょう」
「わからない」
単純に考えるなら投稿するのをやめたということだろうが、投稿できないような状況に陥った可能性も考えられる。
梨沙は我が身に置き換えて空恐ろしい気持ちになった。
翌日、梨沙は眠りから覚めて目を疑った。
お腹が明らかに膨らんでいる。
手でなぞると腹部がせり出していて盛り上がりがはっきりとわかった。
まだ妊娠周期でいえば7周目。
お腹が膨らむには早すぎる。
尋常でないスピードでお腹の子供が育っているということだ。
『どんどんお腹が大きくなってる、ありえない、ありえない、ありえない』
昨日丸山に教えてもらった女性の投稿を思い出す。
やはり普通の妊娠ではないのではないかと梨沙は思った。
梨沙のお腹の中に何が宿っているというのか。
再び謎の男から電話がかかってきたのはその日の午後のことだった。
「体調はいかがですか?」
「あまりよくありません……あの、あなたは誰なんですか?」
「石倉といいます。しがない公務員です。今はそれでご勘弁を」
「知っていることがあるなら教えていただけませんか?……どうして私は妊娠したんですか?」
しばしの沈黙。どう答えるか考えているのだろう。
「最近、いつもと違う水を買ったり飲んだりしませんでしたか?」
水…?
はじめはピンとこなかったが、梨沙は思い出した。
ちょうど8週間くらい前。
ネットスーパーのビニール袋に注文した覚えがないミネラルウォーターが入っていたことを。
梨沙は自分が注文したのを忘れているだけと思ってその日のうちに開封して飲み干した。
「……飲みました。ネットスーパーの商品の中に、買った覚えのないミネラルウォーターが入っていて」
「やはりそうでしたか」
「水と私の妊娠と何の関係があるんですか?」
「あなた以外にもありえない妊娠を経験した女性を確認しています。共通点は『水』なんです」
「水?変な水を飲んで妊娠したってことですか? 」
「はい」
「待ってください。水を飲んだだけで妊娠するなんて、ありえないですよね?」
「我々の常識で考えればそうです。ですが、現実に起きてしまっている」
我々の常識で……。
石倉のその言葉が引っ掛かった。
これは超常現象だとでもいうのか。
「お腹の子供は……普通の子供なんですか?」
梨沙は踏み込んで聞いてみた。
「綿貫さん、今お伝えできることは正直あまり多くないんです。どうかそれをご理解いただきたい」
誤魔化された。通報した時の警察と同じ感じがした。
警察……。
「公務員って警察関係ですか?」
沈黙。それが余計に梨沙の気持ちを逆撫でた。
「私は殺されかけたんですよ!でも警察はまともに調べてくれませんでした。なんでなんですか?」
またも沈黙。
「あなた達は私を殺そうとしているんじゃないですか?」
数秒の沈黙。それが答えだと梨沙は思った。
「今はまだ話せないんです。ですが、私はあなたの味方です 。どうかそれをご理解くださ……」
梨沙は通話を切って、すぐに丸山に連絡を取った。
石倉から折り返しがかかってきていたが無視した。
「丸山さんの言う通り。あの人、信用できません。私を殺そうとした人の仲間かもしれない」
「今すぐその家から逃げた方がいい」
「でも……」
外に出るのは正直怖い。
外の世界は梨沙を傷つけボロボロにして安寧を奪う。
「大丈夫。俺がオンラインでサポートするから」
丸山の言葉に梨沙は2年のブランクを乗り越える決心をした。
できれば丸山が直接助けにきてくれたら心強かったが、それは口に出さなかった。
梨沙は丸山に言われた通り数日分の着替えと生活用品だけバッグに詰め込んで荷造りを済ませ用心のために家の裏口から出た。
周囲を見渡しても不審な車や見張っている人間の姿は見えない。
梨沙は、2年ぶりの外の世界へ足を一歩踏み出した。
その時だった。
突然、強烈な照明の光を浴びせられ梨沙は目が眩んだ。
「女が逃げるぞ!」
いくつもの赤色が目に飛び込んできた。
梨沙の頭や胸に赤外線ポインターが浮かびあがっていた。
向かいの家の屋根、マンションの一室、通り、色々な場所からライフル銃の照射用赤外線ライトが梨沙に向かって伸びていた。
家を取り囲まれている?一体いつの間に……。
『引き返しなさい』
拡声器の声がした。
『あなたはその家を出られません。繰り返す。引き返しなさい』
有無を言わせない淡々とした業務的な声色だった。
梨沙は混乱した。
「なんなんですか!説明してください!」
梨沙が身じろぎした瞬間、パンと乾いた炸裂音がして、近くにあった植木鉢が弾けて吹き飛んだ。
梨沙は短い悲鳴をあげた。
家を取り囲んでいる連中は本気で梨沙を殺そうとしていた。