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「私はまた、うちの山を荒らしに来たのかと思ったわぁ」
顔をほころばせながら、そのおばあさん――岡安恵さんは僕らに麦茶を運んでくれた。
「本当にすみません、勝手に立ち入ってしまいまして」
深々と頭を下げたのは誰あろう、我らが代表の井口先生である。
あのあと僕らは安恵さんに『山の下から民家らしい痕跡が見えたから興味を惹かれてしまい、ついつい見に登ってしまった』と弁解。ついでに『ここの民家について解るかたはいらっしゃいますか』と訊ねたところ、安恵さんは最初こそ訝しむ様子だったが、榎先輩が『以前、うちの大学の丸山教授が、このあたりの昔話について調べていたらしいんですけど』と伝えたところ、
「あぁ、丸山さん。丸山さんのことなら覚えとるよ。なんね、あんたら丸山さんのところの学生さんね」
と納得してくれたのである。
ついでに榎先輩はその丸山教授に電話で連絡。そのまま事情を説明したところ、安恵さんに話を通してくれて、かつてそこに住んでいたお医者さんについてお話を伺えることになったのだった。
僕らは安恵さんの住む茶色い屋根瓦の大きな家にお邪魔して、その縁側に横一列に並んで座りながら、広い庭を眺めつつ麦茶を頂く。
「美味しい~!」
そう声をあげたのは真帆だった。
「すっごく美味しいです! ありがとうございます、安恵さん!」
「そう? そりゃよかった。おかわりはいる?」
「いただきます!」
にこにこと空になったコップを差し出す真帆。遠慮がない。
おかわりを注いでくれた安恵さんは真帆にそのコップを手渡すと、改めて榎先輩に顔を向けた。
「それで、あそこに住んでたお医者さまについて知りたいんだったね」
「あ、はい。そうなんです。あの山が安恵さんのおうちの山なのだとしたら、そのお医者さんについてもよくご存じってことで良いんですよね?」
「そうねぇ」と安恵さんは頷いて、「丸山さんからはどこまで話を聞いてるの?」
「不思議な術を使って、どんな怪我や病気でも治していたすごいお医者様なんだけれど、突然居なくなってしまって、あっという間にあそこにあったおうちも崩れてしまった、それくらいですね」
安恵さんは「そうなの」とひとつ頷いて、
「そうねぇ、だいたい、そんなお話を丸山さんにしたねぇ」
「安恵さんは、そのお医者さんに会われたことはあるんですか?」
確かに、安恵さんくらいの歳なら若い頃に件の医者に会っていそうである。医者が姿を消したというのが五十年ほど前。安恵さんが六十過ぎだと仮定しても、彼女が十歳前後の頃まではまだその医者はそこに住んでいたということになるのだから。
安恵さんは少しばかり困ったように微笑んで、
「……あるわよ。ただねぇ、これを言っても丸山さんもあまり信じてはくれなかったんだけど」
「教授も信じなかった?」
「えぇ、そう。きっとあなたたちも信じてはくれないかも知れんけど、あの方はお医者さまではなくて、ヤオビクニだったのよ」
「ヤオビクニ? それって、人魚の肉を食べて不老長寿になったって話が各地に残されてる、あの八百比丘尼のことですか? 女性だったんですか?」
「えぇ、そうなのよ。あの方はね、わたしのお爺さんがまだ子供だった頃からあそこの庵に住んでいて、一切歳を取らなかったのよ。怪我をしたり病気に苦しむ村人を不思議な術で治してくれて、それを知った遠方の方が、治療に訪れることもあったりして」
ふむふむ、と何度も首を縦に振る井口先生。
榎先輩は信じられない、という顔で眼を見張り、
「それ、本当なんですか? 八百比丘尼が、そのお医者さま?」
「えぇ、そう。とても美しいかただったわぁ。優しくて、お綺麗で、聡明で。話によると、数百年前にこの地を訪れて、うちのご先祖様の病気を治してくれたらしいの。それでうちの山に庵を結んで、代々うちが八百比丘尼さまのお世話するようになったって、お祖父さんから私は聞いたわ」
そこで一度、安恵さんは小さく息を吐いて、
「でもね、私がまだほんの小さかった頃、いつの間にか居なくなってしまっていたのよ。私のお父さんは何か知ってるみたいだったけど、どういうわけか決して居なくなった理由を教えてはくれなかった。きっと旅に出られたのだろうって、ただそれだけ言って」
「その八百比丘尼は実際に、どんな怪我や病気も治せたんですか?」
安恵さんはまた頷くと、
「凄かったわ。まるで魔法みたいだった。岩山から落ちて骨折した人の骨を一瞬でつないで見せたり、視力の落ちた老人の眼を見える程度に回復させたり、お医者さまにはもう治らないって言われていた不治の病を治して見せたり、他にもいろんな奇跡を見せていたの。まるで神様みたいに崇められていた時期もあったそうよ」
その言葉に、真帆はふんふんと鼻を鳴らして、
「じゃぁ、間違いなく魔女ですね。凄腕の魔女」
「――はい?」
安恵さんはそれに対して、きょとんとした顔で小首を傾げた。
「魔女?」
「そうですそうです。間違いなく稀代の魔女ですよ、その八百比丘尼さんは」
「あ、こら、真帆!」すかさず井口先生が口を挟んだ。「何言ってんだお前! そんな馬鹿らしい話は――」
「え~? 別に良いじゃないですか。わざわざ秘密にする必要あります? 安恵さんのお父さまもそれには気づいていたはずですよ」
「そういう問題じゃないだろ」
「皆さん気にし過ぎなんですって。魔女裁判の時代じゃあるまいし」
「いや、だからってお前なぁ」
「ちょ、ちょっと待って、それ、どういうお話?」
真帆と井口先生のやり取りに、安恵さんも眉をひそめて動揺した様子だった。
榎先輩も「え、言っちゃっていいの? ダメなの?」と真帆と井口先生を交互に見やる。
僕はその意味で言うと安恵さん側の人間なので、ただ見守ることしかできない。
「すみません、安恵さん。こいつの言うことは無視してください」
「違いますよ、安恵さん。無視しないでください、色々スムーズにお話ができるようになると思いますので」
言うが早いか、真帆は縁側からぴょんっとジャンプするように庭に降り立つと、庭の片隅に立てかけてあったホウキのところまで小走りに駆けていく。
「あ、こら! やめろ、真帆!」
井口先生もそれに気づいて慌てた様子で追いかけたが、時すでに遅し。
真帆はホウキに跨ると(いつもは身体を横にして腰かけるのに、今回は急いでいたからかサッとホウキの柄に跨った)、ふわりと空中に浮かびあがる。
「あ~ぁ」
とは僕の呆れた声である。
「え、なに? どういうこと? どうして空を飛んでるの? アレは何? 手品?」
目を白黒させる安恵さんに、真帆は上空から右手をぶんぶん振ってから、
「実は私たち、魔女なんです!」
にかっと笑みをこぼしながら、堂々と暴露したのだった。