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第八章 闇が還る月夜
第十一話 微笑む闇
暗い。
静かな闇だった。
音もない。
感覚も曖昧で。
自分がどこにいるのかも分からない。
ただ遠くから、微かな泣き声だけが聞こえていた。
ジントはゆっくり顔を上げる。
黒い空。
白い霧。
そしてその中心に、一人の少女が座り込んでいた。
闇に溶け込む黒い服。
長い黒髪。
白い肌。
月光みたいに淡い輪郭。
少女は膝を抱え、静かに泣いていた。
ぽたり。
ぽたりと。
涙が闇へ落ちていく。
ジントは息を呑む。
見たことがある。
この少女を。
夢の中で、何度も。
「君は……?」
少女の肩が、小さく震える。
けれど、顔は上げない。
ジントはゆっくり歩き出した。
足元には、黒い水みたいな闇が広がっている。
歩くたび、波紋が揺れた。
近付きたい。
触れたい。
この悲しそうな少女を、一人にしたくない。
けれど、どれだけ歩いても、距離が縮まらない。
まるで、世界そのものが拒んでいるみたいに。
「……っ」
ジントは唇を噛む。
まただ。
また届かない。
夢の中でいつも。
手を伸ばしても、届かなかった。
少女はずっと泣いている。
孤独の中たった一人で。
その姿が、胸を締め付けた。
ジントは立ち止まる。
黒い瞳が揺れる。
苦しい。
悲しい。
胸の奥が、張り裂けそうだった。
そしてふと、脳裏へ様々な光景が浮かぶ。
ダイチの笑顔。
秘密基地。
旅の夜。
一緒に食べた食事。
抱き締められた温もり。
『何があっても、オレがそばにおるから。』
あの声。
あの熱。
あの手。
ジントの瞳が、ゆっくり見開かれる。
そうだ。
自分は、一人じゃなかった。
ダイチがいた。
ハヤト達も。
怖かった。
苦しかった。
それでも自分には、手を伸ばしてくれる人がいた。
なら、この少女にも。
ジントはもう一度、前を向く。
そして、静かに口を開いた。
「……大丈夫だよ」
「俺が、傍にいるから」
その言葉が、静かな闇へ溶けていく。
その瞬間だった。
少女が、ゆっくり顔を上げた。
濡れた黒い瞳。
そこには、深い悲しみと。
微かな光が宿っていた。
ジントは目を見開く。
その瞳を見た瞬間。
胸の奥で、何かが弾けた。
温かい。
不思議な感覚。
今まで、瘴気へ触れる度に感じていた、冷たい恐怖、押し潰されそうな闇。
それが、ゆっくり溶けていく。
まるで、凍り付いていた心へ、月光が差し込むみたいに。
苦しくない。
怖くない。
黒い闇は、もう“恐怖”じゃなかった。
ジントの周囲で、静かに光が揺れる。
淡い銀色。
そして、少女が、小さく微笑んだ。
泣いていたはずの瞳は、今はどこか穏やかだった。
その姿を見た瞬間、ジントの胸の奥へ、静かな感情が広がる。
――還りたい。
その想いが、何故か自然に理解できた。
闇は。
魔物は。
ただ消えることを望んでいるわけではない。
どこかへ帰りたがっていた。
静かに。
あるべき場所へ。
その瞬間。
ジントの身体を覆っていた、黒い闇がゆっくり流れ始めた。
まるで呼吸をするみたいに。
穏やかに。
優しく。
そして、世界が白く弾けた。
◇
「……は……っ……!」
ジントが目を開ける。
視界へ飛び込んできたのは、白い天井。
皇城の客室だった。
荒かった呼吸が、ゆっくり整っていく。
「……ジント!?」
すぐ傍から、ダイチの声が響く。
ジントはゆっくり身体を起こした。
不思議だった。
身体が軽い。
ずっと胸の奥で暴れていた何かが、
静かになっている。
確かに、周囲にはまだ瘴気が満ちている。
窓の外から、濃密な闇の気配が流れ込んでくる。
けれど、怖くなかった。
ジントは静かに自分の手を見る。
黒い瘴気が、指先へ自然に寄ってくる。
まるで、帰る場所を見つけたみたいに。
ダイチが心配そうに肩を掴む。
「おい、大丈夫なんか!?」
けれど、ジントはゆっくり顔を上げた。
「……うん」
穏やかな声。
「もう、大丈夫」
その瞬間。
ダイチは一瞬、言葉を失った。
今まで何度も聞いた。
“大丈夫”と言いながら、本当は苦しんでいたジントの声。
でも、今の声は違った。
黒い瞳は、今までよりずっと静かだった。
そしてはっきりと、その瞳の奥の光が強くなっていた。
その瞬間だった。
ジントの周囲へ漂っていた黒い瘴気が、ふわりと揺れる。
呼吸をするみたいに。
ダイチが息を呑んだ。
「……ジント?」
さっきまでとは違う。
空気が違った。
今まで瘴気は、ジントを苦しめていた。
押し潰そうとしていた。
けれど今は、黒い霧が静かにジントへ寄っていく。
襲い来るのではなく、縋るように。
還る場所を見つけたみたいに。
ジントはゆっくり立ち上がる。
ダイチが慌てて肩を掴んだ。
「お、おい!まだ寝とかな――」
「大丈夫」
ジントが振り返る。
その顔は、驚くほど穏やかだった。
「俺、わかったんだ」
静かな声。
「だからもう、怖くない」
その言葉を聞いた瞬間。
ダイチの胸が、妙にざわついた。
怖くない。
その言葉は、嬉しいはずなのに。
なぜか一人で、遠くへ行ってしまいそうで。
「ジント……」
するとジントはそっとダイチの手へ触れた。
温かい。
ちゃんと、いつものジントの手だった。
「ありがとう」
小さく笑うその表情は、いつもより柔らかかった。
まるで、長い悪夢から解放されたみたいに。
その時。
――ギィィィィッ!!
外から鋭い咆哮が響いた。
続けて悲鳴。
怒号。
シュンタが窓際へ駆け寄る。
「やば……!」
窓の外。
皇城の外庭へ、数体の魔物が侵入していた。
騎士達が応戦している。
けれど、倒したはずの魔物の周囲で、再び黒い瘴気が蠢き始めていた。
「魔物が、再生しとる……!」
シュンタの顔が青ざめる。
ダイチも舌打ちした。
「キリないやんこんなん……!」
その時だった。
ジントが静かに窓の外を見る。
黒い瘴気。
苦しげな咆哮。
闇。
けれど今のジントには、それが違って見えていた。
怖くない。
あれは、苦しんでいる。
還れずに、彷徨っているだけだ。
ジントはゆっくり歩き出す。
「ジント!?」
ダイチが止めようとする。
けれどジントは振り返らなかった。
白いローブが、月光を受けて揺れる。
月の光に導かれるようなその姿は、どこか神秘的だった。
廊下へ出る。
一歩進むごとに、周囲の瘴気が静かに集まり始めた。
黒い霧が、細い帯となってジントへ寄っていく。
シュンタが息を呑む。
「……なんやこれ」
今までと違う。
吸い込まれているんじゃない。
自ら、還っていっている。
ジントはそのまま、皇城の外庭へ辿り着く。
夜空には満月。
白い光が、静かに降り注いでいた。
その中央で、巨大な獣型魔物が、騎士達を追い詰めていた。
咆哮。
瘴気。
恐怖。
騎士達の顔には、疲労と絶望が滲んでいる。
その時、一人の騎士が、ジントへ気付いた。
「……っ!?」
白いローブ。
黒髪。
そして。
周囲へ渦巻く黒い瘴気。
騎士達が息を呑む。
魔物もまた、ぴたりと動きを止めた。
赤い瞳が、ゆっくりジントを見る。
その瞬間。
魔物の身体を覆っていた瘴気が、
ふわりと揺れた。
それはまるで、懐かしいものを見つけたみたいに。
夜風が、静かに吹き抜ける。
騎士達は誰も動けなかった。
目の前の光景が、理解できない。
巨大な魔物。
黒い瘴気。
満月。
そして。
その中心へ立つ、一人の黒髪の青年。
白いローブが、月光を受けて淡く揺れている。
ジントは静かに魔物を見つめていた。
恐怖は無い。
逃げたいとも思わない。
胸の奥へ流れ込んでくるのは、怒りでも憎しみでもなく。
苦しい。
帰りたい。
そんな感情だった。
「……っ」
魔物が低く唸る。
その赤い瞳が、ゆっくり揺れた。
まるで迷っているみたいに。
騎士達が息を呑む。
あり得ない。
魔物が、この青年を見て、動きを止めている。
ジントはゆっくり歩き出した。
一歩。
また一歩。
周囲の瘴気が、さらさらと流れ始める。
黒い帯となって、ジントへ集まっていく。
騎士の一人が震える声を漏らした。
「瘴気が……吸い込まれて……」
違う。
それだけじゃない。
瘴気はまるで、安堵しているみたいだった。
長い放浪の末、ようやく辿り着いたように。
ジントは魔物の目の前まで来る。
巨大な爪。
獣の咆哮。
普通なら、一瞬で噛み殺される距離。
それでも。
魔物は襲わなかった。
赤い瞳が、じっとジントを見つめている。
ジントはそっと、手を伸ばした。
触れた瞬間。
――ドクン。
黒い瘴気が、一気に揺れる。
周囲へ吹き荒れる闇。
騎士達が思わず後退る。
けれど、ジントは目を閉じなかった。
逃げなかった。
静かな声が夜へ溶ける。
「……還ろう」
その瞬間。
巨大な魔物の身体を覆っていた瘴気が、一斉に崩れ始めた。
黒い霧が、ジントへ流れ込む。
けれど今度は、苦しそうな様子はない。
ジントの周囲へ、淡い銀色の光が揺れていた。
月の光を宿しているみたいに。
瘴気は荒れ狂わない。
静かに、穏やかに。
細い帯となって、ジントへ還っていく。
魔物が、最後の咆哮を上げる。
けれどその声は、少しずつ弱まっていった。
やがて黒い身体は霧となり、静かに消えていく。
最後に残った瘴気も、一筋の帯のようにジントへ吸い込まれた。
誰も声を出せない。
それは討伐ではなかった。
苦しむものを、静かに受け止めるような救いの光景だった。
騎士達の顔から、困惑が広がっていく。
「……なんだ、あれは」
「本当に……人間なのか……?」
恐怖。
畏怖。
理解できないものを見る目。
その中で、ダイチはずっとジントを見つめていた。
安心している。
誇らしい。
でも。
胸が苦しい。
ジントどこか、自分の手の届かない場所へ行ってしまいそうで怖かった。
ジントはゆっくり目を開ける。
その黒い瞳は、満月の光を静かに映していた。
そして城壁の向こうから、再び無数の咆哮が響き渡る。
夜はまだ、終わっていなかった。
コメント
3件
今回とっても濃いお話でしたね。騎士達と同じように私も息を飲んじゃいました。ジントが1人じゃないと思えたのはダイチのおかげなのかなと思うと心が温まりますね☺️
うわあ……第31話、すごく良かったです🥀 ずっとジントを苦しめてた瘴気が、彼の中で“還る場所”に変わっていく瞬間が美しすぎて……。自分の中の闇と向き合って、恐怖じゃなくて“帰りたい想い”だと気づくシーン、胸がぎゅっとなりました。 それに、ダイチの「遠くへ行ってしまいそうで怖い」って気持ちも分かるなあ。強くなったジントが、それでも隣にいてくれることを願いたくなります。 comiさんの描く“闇の優しさ”が本当に素敵でした。続きもゆっくり読みますね🌙
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