テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#探偵
橘靖竜
5,571
上野文
6,874
【前回までのあらすじ】
偽サクラ、優しすぎて秒バレ。
◇◇◇
黒い霧の渦が、私たちをぐるりと囲んでいた。
『記憶ゴト、喰ラウ……』
千年間、「一番会いたい人」に化けて獲物を食べてきた魔物。
その千年無敗の記録を、うちのサクラお姉ちゃんの理不尽が壊した。
ちょっとだけ誇らしい。状況は最悪だけど。
『エスト、下がりなさい! 精神干渉体は物理攻撃が通りにくいわ! 魔法も、この霧の中では軌道が読まれる!』
「じゃあ、どうするの?」
『考えてるわ! 最適解を計算中──』
その時だった。
渦が、ぴたりと止まった。
「……あれ?」
黒いもやもやが、ぐにゃりと形を変え始めた。
まるくなって。
平べったくなって。
きつね色になって。
じゅわ……っと、油の音がした。
そして、霧の中に、それが現れた。
全長二メートルの、巨大なトンカツだった。
全員が、固まった。
「え!」
思わず、私の声が弾んだ。
「あれは……?」
辰美が、理解できないものを見るように目を細めた。
『……は?』
ダリアお姉ちゃんの光が、止まった。
皿も、キャベツもない。
ただ、巨大なトンカツだけが宙に浮いていた。
……そんなことは、今はどうでもよかった。
最初に来たのは、匂いだった。
揚げたての油の、香ばしくて、あまくて、おなかの底を直接つかんでくる匂い。
「……ぅ」
次に、音。
……サクッ。……サクッ。
トンカツが、自分の衣を、わざとらしく鳴らした。
「ぁ……」
そして、湯気。
ほかほかの白い湯気が、ふわぁ……っと、私の方へ流れてくる。
断面のお肉は薄桃色で、じゅわっと肉汁が光ってる。
「と……」
辰美が、私の顔を覗き込んだ。
「エストちゃん?」
「トンカツだぁぁぁぁ……」
私の口から、ヨダレと声が同時に出た。
『エスト!? しっかりしなさい! あれは魔物よ!!』
「でも、揚げたて……」
『揚げたての魔物よ!!』
『エスト……オイデ……』
トンカツが、喋った。
私の足が、勝手に一歩、前に出た。
「エストちゃん!?」
辰美が慌てて私の両脇を抱えた。
でも私の足は、ずりずりと前に進もうとする。
「エストちゃん、正気に戻ってください! あれは罠です!!」
「でも、衣がサクサク……音でわかるもん……」
『……さっきの偽サクラは、一瞬で見抜いたのに』
「だって、こっちは衣がサクサクだもん」
『…………』
『……そう。サクラより、衣なのね』
ダリアお姉ちゃんの光が、すぅっと暗くなった。
トンカツが、じゅわじゅわと音を立てながら、優しく囁いてくる。
『オイデ、エスト……熱イウチニ……冷メタラ、モッタイナイ……』
「冷めたら、もったいない……」
『……復唱してるわ』
『……ねぇ、火竜。私、今なにを見せられているのかしら』
辰美が、私を羽交い締めにしたまま、目を逸らした。
「私の口からは、なんとも……」
辰美が押さえてくれてるのに、私の体はずるずる引きずられていく。
視界の真ん中に、もう、きつね色しかない。
サクサク。
じゅわじゅわ。
ほかほか。
『千年ノ経験ガ告ゲテイル……人間ハ、愛スル者ニハ疑イヲ持ツガ……食欲ニハ、無防備ダ……』
『…………』
『……反論が、思いつかないのだけれど』
*
その時、トンカツが、ぴたりと囁きを止めた。
『……ム?』
もやもやの奥の“目”みたいなものが、すっと動いた。
……辰美の方を、見た。
「……え? 私を見てる?」
辰美が、きょとんとした。
次の瞬間。
「──……ぁ」
辰美の言葉が、途中で止まった。
その目が、とろん、と揺れる。
「辰美?」
返事がない。
辰美は、何もない宙を見つめて、ぽーっとしてる。
「辰美!? どうしたの!? なにも、ないよ?」
私には、なにも見えない。
辰美の見てる先には、ただの暗闇があるだけ。
『……頭の中ね。あの魔物、火竜の頭に直接なにか流し込んでるわ』
「頭の中!? 辰美、何を見せられてるの!?」
私が肩を揺すると、辰美は焦点の合わない目のまま、ぽつりと呟いた。
「……握りが、深い……」
「え?」
辰美の頬が、うっすら赤い。
「遠心力を余さず伝える、あの完璧な手首の返し……ああ……あの角度……私、あの角度で投げられたこと、あります……」
私とダリアお姉ちゃんは、同時に黙った。
辰美は、うっとりしたまま続ける。
「頬を切る風……敵に向かって一直線の、あの解放感……っ」
私は、はっとした。
「まさか!? 辰美ミサイルの幻!?」
『何それ兵器なの!?』
「サクラお姉ちゃんが辰美を敵に投げつける技の名前だよ」
『倫理観!!』
「……私……また……投げられたい……」
『性癖のクセがすごい!!』
「願望が具体的すぎるよ!?」
『会いたい者ですらないのよ!? この竜、「されたいこと」で釣られてるのよ!?』
──だけど。
次に辰美がとった行動は、私たちの予想の、遥か斜め上だった。
ぼうっ。
辰美の体が、赤く光った。
「え?」
足元から炎が駆け上がって、皮膚に紅蓮の鱗が浮かんで──
次の瞬間、そこには真紅のドラゴンがいた。
「辰美!? なんで竜に!?」
『何をする気なの!?』
竜になった辰美は、とろんとした目のまま、ゆっくりと翼を広げ──
トンカツとは、まったく関係ない方向。
誰もいない、ただの岩壁に向かって。
全力で、飛んだ。
ドゴォォォォォンッ!!!
奈落の底が、揺れた。
「壁に自分から!?」
『壁に自分から!?』
私とダリアお姉ちゃんの声が、綺麗に重なった。
岩壁に頭からめり込んだ辰美が、ずるずると落ちてくる。
そして、うっとりした顔のまま、ぽつりと呟いた。
「……はい。今、投げられました」
「投げられてないよ!? 自分で飛んだよ!?」
私が駆け寄って叫んでも、辰美は聞いてない。
『セルフミサイル……』
「……サクラさんの手を、感じました……」
辰美が、自分の肩をそっと抱いた。
『そう……火竜の貴女もそっち側なのね……』
ダリアお姉ちゃんの光が、力なく明滅する。
「私、大きくなっても辰美みたくならないようにする」
辰美の目は、まだとろんとしたまま、どこも見ていない。
完全に、頭の中の投擲を反芻してる。
……そして、聞こえてきた。
『待テ』
トンカツが、動揺していた。
『違ウ……ソッチジャナイ……我ハ、コッチダ……』
「魔物が困ってる!?」
『幻ヲ見セタノハ我ダガ……ナゼ、勝手ニ飛ンダ……』
ダリアお姉ちゃんが、ぼそりと言った。
『……ねぇ。私、鑑定と精神のサポートが仕事なのだけど』
「うん」
『なぜ今、揚げ物と、自分で壁に刺さる竜の間に立っているのかしら』
私は、少し考えてから答えた。
「わかんない」
『……そう』
ダリアお姉ちゃんから光が消えた。
*
私の足が、また勝手に動き始めた。
ずり。ずり。
トンカツまで、あと三歩。
衣の一粒一粒が見える。
断面から、肉汁がとろりと垂れた。
あと二歩。
『エスト』
ダリアお姉ちゃんの声が、静かになった。
『……もういいわ。好きになさい』
「え?」
『どうせ止まらないんでしょう。貴女、そういう子だもの』
「……うん」
『ただ、ひとつだけ』
あと一歩。
『その肉、貴女に一口もくれないわよ』
──ぴたり。
私の足が、止まった。
「……ん?」
『エスト!? 気づいたのね!? そう、それは魔物──』
ダリアお姉ちゃんの光が、ぱっと戻り──
「──ソースがない」
『……また千年くらい寝たい』
戻った光が、どす黒く濁った。
「トンカツには、ソースだよ? ソースがないトンカツなんて、変だよ」
『……あっそ』
ダリアお姉ちゃんが、力なく傾いた。
『ソ……ソース……ッ!?』
トンカツが、明らかに動揺した。
『ま、待テ……今、用意スル……ソースとハ、何ダ……茶色イ……液体……?』
トンカツの横に、黒いもやもやが慌てて茶色い水たまりを作った。
……なんか、違う。
とろみが、ない。
照りも、ない。
あれはただの茶色い水だ。
「……それ、ソースじゃない。麦茶」
『マ、待テ! モウ一度……! 今度コソ、正確ニ……ッ』
黒いもやもやが、必死に茶色い液体をこねくり回し始めた。
とろみを足して。
照りを出して。
……ちょっと、それっぽくなってきた。
『ドウダ……! コレデ、ソースハ……ッ!』
「……あ、でも」
『……ナニ』
「ポン酢もほしい」
『……ソースハ?』
「ソースもほしい」
『ドッチダ!!』
「両方。半分ソースで食べて、途中でポン酢にするの」
私は、両手を広げて説明した。
「味変」
『アジヘン……?』
「うん。味変」
『…………』
トンカツが、動かなくなった。
『我ハ……千年……』
「味変は、正義だよ?」
『…………ソウカ』
トンカツが、静かに呟いた。
『……ソウ、カ』
『味変ハ……正義ダ……』
『我ノ千年ニハ……味変ガ、ナカッタ……』
「でしょ?」
『ウム……』
『一分でいいから黙っててくれない?』
割り込んできたのは、ダリアお姉ちゃんの声だった。
「え?」
『貴女たち、今なんの話をしているの。私は今、何を聞かされているの』
「トンカツだよ?」
『ウム』
『そうだけど! そういうことじゃないでしょ!? 魔王と、精神干渉体が、揚げ物の食べ方で分かり合っているのよ』
ダリアお姉ちゃんの光が、弱々しく点滅した。
『一分。一分でいいから、揚げ物の話をしない時間をちょうだい』
『ポン酢ノ再現ガ……間ニ合ワヌ……ッ』
トンカツの衣が、ぱらぱらと剥がれ落ちた。
その瞬間、壁際で辰美の目に光が戻った。
「……はっ!? 私、今、何を……」
辰美が、頭のたんこぶを押さえて飛び起きる。
「頭から壁に刺さってたよ」
「なぜ!?」
『自分で飛んだのよ』
「私としたことが……で、でも、あの投擲フォームの再現度は本物で……」
『まだ言うの!?』
頭の中の、きつね色の霧が、晴れていく。
目の前には、ソースを添えた、二メートルのトンカツ。
……ポン酢は、ない。
……おいしそう。今でも、おいしそうだけど。
でも。
私は、すぅっと息を吸った。
「魔物さん。あのね──」
(つづく)
◇◇◇
──【今週のサクラ語録】──
『うまい話には、ソースがない』
解説:
サクラ式・詐欺回避術。
うまい話は、だいたい細部が雑だ。
根拠のソースも、味のソースも、
無いなら疑え。以上。
なお、この教えを授けた本人は、
ソースがあれば大体なんでも信じて食べる。
コメント
1件
うわっ、まさかのトンカツ魔物登場で笑ったw 偽サクラは一瞬で見抜いたのに、揚げたての衣サクサクには秒で堕ちるエストちゃんが可愛すぎるし、辰美さんがまさか自分で壁に特攻して「今投げられました」って言い切るとは思わなかった…セルフミサイルで笑い死にするかと思った。味変の話で魔物が納得しちゃうのも、この作品らしい理不尽さで大好き。