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昨夜までは殺戮の場であった広大な公爵邸のホールは、何事もなかったかのように磨き上げられ
厳かな静寂を取り戻していた。
漂っていた凄惨な血の臭いは
私が独自に調合した、神経を麻痺させるほど強い香水の残り香によって完璧に隠蔽されている。
「……終わりましたね。お疲れ様でした」
アルベルトは濡れた手を清潔な布で拭い、私の頬に触れた。
その指先は相変わらず氷のように冷たく、そこに体温という名の慈悲は宿っていない。
「ええ、ひとまず1つ目の約束は完了ね。これで、貴方の未来を脅かす『ノイズ』はすべて消えたわ。……これで私たち、本当の意味で対等になれたんじゃない?」
「ええ、あとは【外部からの鬱陶しい干渉を遮る『隠れ蓑』】として、ほとぼりが冷めるまで夫婦を遂行して下されば問題ありません」
私たちはもう、光差す世界へは戻れない。
けれど、恐怖など微塵もなかった。
この世界で唯一、互いの正体を知り、互いの血で汚れを拭い合える怪物同士。
私たちは朝日が地平線を割る前に、この血塗られた静寂を後にして、バーに向かった。
◆◇◆◇
夜は明けたばかりだった。
吐息ひとつで曇る窓ガラス越しに、薄暗い街の片隅にポツンと浮かぶ小さな灯りを見つける。
それが目当てのバーだと気づいた瞬間、自然と足取りが速くなった。
夜風に乗って微かに流れてくるクラシック音楽。
その旋律に心地よく溶け込むように、扉のカウベルがかすかな音を立てる。
店に入ると、そこは昼間の喧騒を知らない静寂の世界だった。
薄暗い照明、磨かれた木目の床、そしてカウンターの奥に並ぶ琥珀色の酒瓶たち。
その中でひときわ目を引くのが、カウンターの中でシェイカーを振るマスターの存在だ。
「いらっしゃいませ、マダム。ようこそ、我が城へ」
低く、柔らかく、それでいて芯のある声。
振り返る彼の瞳は、バーの淡い光を吸い込み、深淵へと誘うような輝きを放っていた。
私は軽く会釈をして、いつもの席へ腰を下ろす。
「ここは本当に静かね」
差し出されたメニューには、どれも洒落た名前のカクテルが並んでいる。
私はリストの一番上にある「ベルベットハンマー」を指差した。
濃厚なチョコレートリキュールとダークラムをブレンドしたその飲み物は、まるで血の味がするかのように濃密で甘美だった。
一瞥で私が選んだ意図を見抜いたマスターは、滑るようにシェイカーを操る。
わずか数秒で完成したグラスをカウンターに置く音は、まるでナイフが骨を断つ音のよう。
私は一口含む。