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『(ハイヤー)って何ですか?』
やり手少女漫画雑誌編集長の「阿部」がデスクトップ画面のモニターの向こうで言う、その問いに桜子が慌てて答えた
「ハ・・・「ハイヤー」って「タクシー」のことよ?知らない?」
キッパリ『聞いたことありません!』
「そう・・・」
桜子は笑顔のまま、頬の筋肉がひきつるのを感じた、画面の隅に映る自分の顔がほんの少し引き攣っている
『うちの読者さんに理解していただくために、ここの「ハイヤー」の表記を「タクシー」に統一します』
「はい・・・」
初めての大手出版社からの依頼で、桜子の書き下ろし「女性漫画原作企画」のリモート会議の日、桜子はすっぴんに眼鏡、首元の伸びたTでシャツ姿で画面に現れた
てっきり女性担当編集者との一対一の打ち合わせだと思い込んでいたからだ、ところが会議の途中で画面の隅に新しい枠がぱっと開き、ずらりとスーツ姿の男性を引き連れた、版元の社長が映った時は桜子は本当に驚いた
『美木先生、初めまして、いつもお世話になっております』
そう丁寧に挨拶してくれたものの、モニター画面から版元の社長と関係者の視線がまるで品定めのように「コイツが(あの虹)の作者か?」と桜子に注がれているのを感じた
あの時は思わず恥ずかしくて冷や汗が出た、ここでも今まで孤独に仕事をしてきていた桜子がまだ、「企画を大勢で作り上げる人付き合い」に慣れていない証拠だった
それ以来、桜子は法外な印税のおかげで、弱い40過ぎで初めての一人暮らしのために借りた3LDKの賃貸マンションの一室を、リモート会議部屋にし
会議をする時は化粧も服装も気合を入れて、人気作家を気取って乗り切るようになった
そして今もモニターの向こうには、担当編集長を中央に、二十代半ばの若い女性編集者が四人整然と並んでいた、桜子と彼女達との年齢差は、一番若い子で四捨五入すると二十歳差・・・
手元には原稿ではなく全員タブレットとノートパソコンを抱えている、背景には洒落た会議室の白い壁と、棚に並んだ少女漫画の単行本・・・その一冊一冊が桜子にとっては、自分の知らない世界の標識のように見えた
桜子の漫画原作で書き下ろした文章を、こうして編集会議にかけられ、Googleドキュメント上で共有するのはいいが、ここで厳しく審査された内容は、あまりにも書き直しが多いので、桜子は毎月このリモート会議で、自分の文章を公開処刑されているような気分になり、すっかり自信を無くしてしまうのだ
『それと・・・23ページの部分ですが・・・これも編集会議で議題に上がった点なんですが・・・』
編集長は、右画面で共有しているGoogleドキュメントの文章をオレンジ色でマーキングしていく
『どうして、車のブレーキランプ5回点滅で「アイシテル」のサインになるんですか?』
「ええ?知らないの?ほらっ!ドリカムの歌の歌詞よ、愛し合っている二人にしか分からない、別れ際の挨拶で、彼女の家に送ってもらって、彼が別れ際に5回ブレーキを踏んでランプを灯すの!とってもロマンティックじゃない?」
桜子は身振り手振りで伝えるが、画面の向こうの編集者達は眉をひそめるばかり
「ド・・・ドリカムよ?日本のミュージシャン!みんな知らないの?」
キッパリ『編集部、誰も知りませんでした』
「じゃ・・・じゃあ、流行らせたら?」
『一般道でブレーキを連続で踏むのは危険行為ですし、交通違反です!』
―物語の中の話なのに・・・そんなこと言ってたら何も書けないわ―
こんな感じで、毎回桜子は彼女達とのジェネレーションギャップにとても悩まされていた
自分の青春時代の恋愛の憧れも、桜子の年代では誰もが知っていたはずの歌も、ドラマのシチュエーションも画面の向こうの彼女達にはまったく通用しないのだ
コメント
2件
10年ひと昔と言うけれど…20歳の年の差だもんね😥 桜子の当たり前が通じないよね
うわー、めちゃくちゃリアルな創作現場のジレンマが描かれていて、読んでいて桜子さんの居たたまれなさがひしひしと伝わってきました。「ハイヤー」を「タクシー」に直されるあたりとか、ブレーキランプ5回点滅のロマンティックなサインが交通違反扱いされるとか…世代間ギャップって切ないですね。でも、身振り手振りで「流行らせたら?」って言い返す桜子さんのしたたかさに、ちょっと笑っちゃいました。こういう現実的な苦労話、好きです。続きも気になります!
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