テラーノベル
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「俺、タクシー代出してやるからさ。タクシー呼ぶよ。家どこ?」
「気持ち悪い……」と急に歩道に屈み込んだいっちゃんのバッグを、慌てて漁る。スーツのポケットも片っ端から確認したが、こいつ、財布もスマホも持ってない。
「くすぐったいですぅ。いつきくん、やめてくらさぁい……」
「いっちゃん、しっかりしてよ! 財布とスマホ、どこに置いてきたの?俺、お前の家わかんないよ!」
念のため自分のスマホから発信してみるが、虚しくコール音が響くだけで繋がらない。店に忘れたのか? それにしても、財布までないなんて大問題だろ。
「……財布は、お家に忘れてぇ。スマホで……ピッて……さっきまではあったんれすけど……。だめだ、吐きそう」
「マジ、勘弁してくれよ……」
こんなことになるなら、大人しく家飲みしていればよかった。そうすれば、外で酔っ払いの相手なんてしなくて済んだのに。……もう、うちに連れて帰るしかないんじゃない?
「いっちゃん、立てる? 俺んち行くよ?」
「え?! 行っていいんすか?! 行きます! スマホとか明日でいいです!」
「おい、立てんじゃん! 仮病かよ?! タクシー呼ぶからな?」
「……俺んち遠いから、五万くらい借りられますか?」
「バカ! そんなに持ってねぇわ。しかもそれ絶対嘘だろ!」
もういい。変なやり取りを続けるくらいなら、一刻も早く家に帰りたい。元々来る予定だったわけだし、飲み代も浮いた。一晩寝かせるくらいなら問題ないはずだ。
一瞬正気に戻ったかと思えば、今度は「眠たい」と言い出して地べたに座り込むいっちゃんを、無理やり引っ張り上げる。これ、一人じゃ無理だ。だいきを呼ぶか? それとも、りゅうせい……は、さっき断った手前、呼びづらい。
結局、どうやって帰ったかほとんど覚えていない。少しでも楽をしたいとタクシーに飛び乗り、一瞬で千円札が飛んでいった記憶があるだけだ。
「マジで……疲れた……」
玄関で項垂れているいっちゃんの上着を脱がせ、ベッドまで引きずっていく。なんだか死体を運んでいるみたいで、ひどく嫌な気分だ。
汗だくになった体を流そうと、すぐにシャワーを浴びる。お湯に打たれていると、脱衣所の方で物音が聞こえた。いっちゃん、起きたのかな。起きたらマジで文句を言ってやろう。そう思って顔を上げた、その時だった。
「うわっ! 何やってんだよ?!」
「……俺も、入ります」
「バカ! 狭いんだから無理だって!」
「だってぇ~、修学旅行みたいで楽しいじゃないっすかぁ~」
「無理なもんは無理!」
「……りゅうせいに怒られるからでしょ~?」
ニヤニヤしながら指を差してくるいっちゃんに、俺は絶句する。そんなこと、一秒も考えてなかったわ!
とりあえずドアを閉め、内側から鍵をかける。風呂場の鍵なんて、この家に住んでから初めてかけた。
「もぉ、いっちゃん! パンツ履いて!」
ベッドに大の字、しかも全裸で爆睡しているいっちゃんのケツに、床に脱ぎ散らかされていたパンツを投げつける。マジで! こいつは2度と家に上げない!人のベッドに「直」なんて前代未聞すぎるだろ!
触るのもおぞましいが、そのままにしておくわけにもいかず、諦めてタオルケットをバサッとかけておいた。今の姿を写真に撮って、明日LINEで社員全員に送りつけてやろうか。
……いや、そんな気力もない。泥のような疲労感に襲われ、俺はそのままソファに吸い込まれるように眠りについた。ほんと、もう、今日りゅうせいが来なくて良かった。こんな地獄絵図に巻き込まなくて、本当に良かった。
「いつきくーん! おはようございます」
「……ん? もう朝? 早くない?」
聞き慣れた声に揺り起こされ、重い瞼を開ける。カーテンの隙間から差し込む光が、妙に眩しい。
「もう、お昼ですよ? お弁当、一緒に食べましょ?」
「……え? りゅうせい? ……いっちゃんは?」
「インターホン押したらいっちゃんが出てきて、その後すぐに帰りました。スマホがなくてめっちゃ焦ってましたよ」
え、あいつ、命の恩人への謝罪もなしに? まあ、あのパニック状態じゃ仕方ないか。
「……ベッド、すごい荒れてますね? 何したらこんなことになるんすか?」
「それは、違う! ほんと、違うから!」
「……冗談ですよ。何もないっていっちゃんが言ってました」
冷ややかな視線を向けてくるりゅうせいが、洗濯でもしようとしたのかシーツを手に取ろうとする。俺は反射的にその腕を掴んで止めた。ダメだ、それはいっちゃんの「直」が触れたやつだ!
「それ、汚れてるから!」
「……シーツが、ですか?」
「そう、いっちゃん、そこに直づけしてたんだよ」
「……直」
「あ! 変な意味じゃないよ?! ほんと、違うから!」
「……俺、ただの部下だし、文句言えない立場ですし。……なんか、悔しいですけどぉ」
「だから、何もないって」
むうっと唇を尖らせるりゅうせいに、苦笑しながら「本当だよ」と繰り返す。……俺、なんでこんなに必死になって言い訳してるんだ。
「まあ、食べましょ? 昨日断っちゃったの勿体なかったなって後悔して、突撃訪問したんです。……でも、いっちゃんがいるとは思わなかったなぁ」
ふふっと笑ったりゅうせいの目から、ポロッと一粒の涙が溢れた。
……これは、見て見ぬ振りをしなきゃいけないやつだ。ここで変に慰めたりしたら、きっと、こいつをもっと辛くさせてしまう。
「……うわ、うまそう! 寝起きで肉を食えるなんて最高に幸せだな」
わざと明るい声を出し、広げられたお弁当に手を伸ばす。
「でしょ? 昨日いつきくんがお酒を抜いたから、きっと美味しく食べられると思って奮発したんです!」
「ありがとう。今度の給料日に、お昼奢るわ。食べたいもの考えておいて」
「ふふっ、はいっ!」
涙を指先で拭い、ぱぁっと花が咲いたように笑う。
それにしても、昨日俺の体を心配して帰してくれた優しさが、今更ながら胸にくる。
最近のグイグイくるりゅうせいなら、無理にでも泊まっていったはずなのに。
ダメだなぁ、俺。どんどん、こいつのこと好きになってるわ。
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萩原なちち