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進路希望調査票の回収日。
ホームルームの終わりに、
西尾先生が一枚ずつプリントを受け取っていく。
「はい、第一志望“未定”のやつ、だいぶ減ってきたなー。
“仮”でもいいから書いてあると、こっちとしても助かる」
そう言いながら、前の列から順番に用紙をめくっていく。
俺の番になったとき、先生の目が一瞬止まった。
「ほう」
軽く声が漏れる。
『第一希望 東西市立大学 人間社会学部』
先生はそこだけ、少し丁寧に読み上げた。
「ついに具体名を書いたな、安藤」
「“仮”ですけど」
条件反射みたいに付け足すと、
先生は口元だけで笑った。
「いいよ。“仮”で十分。
“どの辺のレベルを狙うつもりか”が見えれば、こっちも動きやすい」
用紙を束に重ねながら、
ぽつりと一言。
「……悪くないラインだ」
その言葉が、思ったよりも胸に残った。
◇
昼休み。
屋上へつながる階段の踊り場で、
村上とコンビニおにぎりをかじっていた。
「で、西尾に何か言われた?」
「“悪くないラインだ”って」
「おお、それ褒められてね?」
「どうだろ。“頑張ればワンチャン”って意味かもしれん」
東西市立大の名前を口に出すと、
やっぱり少しだけ背中がむず痒い。
「でもさ、仮にそこ目指すとして、
今の模試判定どんなもんなん?」
「CかD。科目によってはE」
「E出てんのかよ」
「国語な」
村上があー、と納得した顔をした。
「お前、模試のときも現代文で死んでたもんな」
「だから今、一番足引っ張ってんの国語なんだよ」
自分で言って、ため息が出る。
でも同時に、
「どこが足を引っ張ってるか分かっている」状態は、
前よりはマシなのかもしれない。
◇
その週末、
俺はまた塾の小さなブースに座っていた。
目の前の机には、
前回山本さんと一緒に描いた“進路の地図”と、
新しい紙が並んでいる。
「じゃ、今日は“仮のゴール”の現実チェックからね」
山本さんは、ノートパソコンを開きながら言った。
「東西市立大学・人間社会学部。
共通テストは、5教科7科目。
二次試験は国語と英語。配点はこんな感じ」
画面には、大学の入試概要のページが表示されている。
「共通テストでだいたい何割、
二次でどれくらい取れると安全圏か、って話になるんだけど……」
山本さんは、簡単な表を紙に書き始めた。
「今の君の模試の成績だと、
正直、“このままだとちょっと届かないライン”」
その言葉は、覚悟していたけど、やっぱり少し刺さる。
「どれくらい届かないんですか」
「ざっくりね」
山本さんは、俺の模試の結果を横に並べながら、
ペンの先で数字を指していく。
「英語と世界史は、今のペースでちゃんと上げていけば、
十分間に合う可能性がある。
一番問題なのは──」
「国語ですよね」
先に言うと、山本さんは苦笑した。
「そう。
今のままだと、特に現代文がかなり厳しい。
共通テストで国語を落とすと、
他の科目で相当カバーしないといけなくなる」
紙の上に書かれた数字が、容赦なく現実を示していた。
「ここでさ」
山本さんが、ペンを置いてこちらを見る。
「“無理だな”って思って、目標を一段下げるのもアリだし、
“今の時点では届かないけど、それでもここを狙いたい”って思うなら、
そのための計画を一緒に考えるのもアリ」
「……どっちが正解なんですかね」
気づけば、すぐに“正解”を聞こうとしていた。
山本さんは、少しだけ苦笑して首を振る。
「どっちも正解だよ。
“今の負荷と、自分の性格と、他のカードとのバランス”で決めることだから。
ただ、一つだけ言えるのは──
“怖いから”だけで下げるのは、あとで後悔する可能性が高い」
“怖いから”。
図星を刺されて、黙り込む。
「安藤くんが、
今、東西市立を第一志望にしてる理由って何だったっけ?」
前回話した内容を、頭の中で繰り返す。
「家から通える。
学費的にも国公立の中では現実的。
文系で、社会系・歴史系にそれなりにつながりそう」
「うん。
“なんとなく名前を知ってたから”とかじゃなくて、
ちゃんと条件の中から選んでるよね」
山本さんはうなずいた。
「だったら、“怖いから”だけで変えるのは、もったいない気がする」
「……じゃあ、どうするべきですか」
「だからさ、それを決めるのは安藤くんだって」
苦笑しながらも、山本さんの声は少しだけ真面目になる。
「一応、先生として言えるのは──
今の時点では、“十分チャレンジする価値のあるライン”だと思うよ。
無謀でもないし、“余裕で受かる”わけでもない。
だから、“ここを目指して頑張ってみて、
夏の模試でどうなってるか見てから判断する”っていうのが、現実的な落としどころかな」
夏の模試。
その言葉が、ひとつの区切りみたいに感じられた。
「……夏まで、ですか」
「うん。
そこまでに、例えば──」
山本さんは、新しい紙を取り出して書き始める。
「・次の模試で、国語の偏差値を○○くらいまで上げる
・英語はキープ+ちょい上げ
・世界史はこのまま伸ばして“得点源”にしていく
みたいな“中間目標”を決めておく」
数字が具体的に書かれると、
逃げ場がなくなる感じがして、同時に少しだけ安心もした。
「……もし、それで夏になっても全然届いてなかったら?」
「そのときもう一回、
“ここにこだわるか、少し軸を変えるか”を考えればいい。
“ダメだったら全部終わり”じゃなくて、
“そのときの自分の状態を見て、もう一回選び直す”」
それは、宮崎さんが言っていた
“決めたあと変えるのはアリ”という話とも、つながっていた。
「……分かりました。
とりあえず、夏まではここを“仮のゴール”のままにしておきます」
自分でも意外なくらい、ハッキリそう言えた。
山本さんは、少しだけ表情をやわらげた。
「うん。いいと思う。
じゃあ、勉強のほうは
“国語ガチ強化月間”にしようか」
「うわ、一番しんどそうなやつ」
「でも、避けて通れないやつ」
二人でちょっとだけ笑ったあと、
山本さんはプリントの束を出してきた。
「現代文の読み方、基礎から一緒にやろう。
“感覚で読んでなんとなく答える”から、
“線を引いて根拠を決めて選ぶ”に変えていく」
「……はい」
国語の勉強を“ちゃんとやる”と決めた瞬間、
腹の底がずしっと重くなった。
でもそれは、
“何も考えずに嫌ってた重さ”とは、少し違う気がした。
◇
家に帰って、机の上にメモ帳を広げる。
いつものページの下に、新しく一行を書き足した。
『10話:はじめて“仮のゴール”として大学名を書く』
そのすぐ下に、今日のことを書く。
『11話:その“仮のゴール”が、今の自分より高いことを数字で突きつけられた』
そして、さらにもう一行。
『でも、“怖いから”だけで下げるのは、やめてみることにした』
ペンを置いて、しばらくその三行を眺める。
――点数で見ると、けっこう遠い。
でも、“届く可能性がゼロじゃない遠さ”なら、
試してみてもいいのかもしれない。
そう思いながら、
俺は国語の問題集を、久しぶりにちゃんと開いた。
(第11話 おわり)