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「まあ、にぎやかですこと」
房《へや》の戸口から、鈴を振るような声が流れてくる。
守近と長良は動きを止めて、声の主《ぬし》へ顔を向けた。
「おや、徳子《なりこ》姫。いかがなされました」
「守近様の楽しそうなお声に導かれて参りました」
柔らかな笑みをたたえる華奢な女人──、守近の正妻、北の方、徳子《なりこ》が、女房達を引き連れ立ち止まっている。
裏方の仕事の途中なのだろうか、連れている女房達は各々、菊の鉢植を抱えていた。
その鉢植を見て、守近は、重陽《ちょうよう》の節句が近いことを思い出す。徳子は、その準備に追われているのだろう。
ここで、今年の宴は、どうするのかと問うのは、野暮の極み。守近は、気が付いていない振りをする。
徳子に任せておけば、大丈夫。今年も、皆が驚く、趣向を凝らした宴を開くに違いない。守近は、期待した。
こうして、主人の面子を保ち続けるのが、奥を守る正妻のお役目。
その采配次第で、家の繁栄が決まると言っても過言ではない。
「ところで、守近様。これは、一体……」
散らばる紙切れを、徳子《なりこ》は見る。
「ああ、長良がね、手習いが上達しないと、癇癪《かんしゃく》を、起こして、紙を、ビリビリと。せっかくですから、気晴らしに……」
守近は、言って、長良に視線を送る。
先程の事を思い出した長良は、両手で口を押さえ、こくこく、頷いた。
「……そう、このように。あれ!お気をつけなさい。吹雪ですよ!」
徳子へ向けて、守近は、紙切れをふわりと投げる。
きゃっ、と、挙がった小さな悲鳴と、ははは、と、からかう笑い声が被さった。
「ああ、これは大変だ、徳子姫が凍《こご》えてしまう!」
言いながら、守近は、徳子にかかった紙を払ってやった。
寄り添う二人の姿に、まるで、絵巻物から抜け出したかのような見目麗しさと、女房達は、はぁと、憧れのため息を漏らしている。
「……黄紅葉《きもみじ》ですか。お似合いですよ」
萌黄色と、黄色を品よく合わせた、纏《まと》う衣の色目を、守近は徳子の耳元で、囁《ささや》いた。
その甘い呟きに、徳子《なりこ》は、頬をうっすら染めると、こつんと守近の胸元へ頭を添えた。
と──。
「あら、守近様にもこんなに。女人の暮情が、降り積もっておりますわ。まあ、大変」
やおら、徳子がふうっと息を吐き、守近の肩にかかっている紙切れを吹き払う。
「おお、徳子姫の暮情が、こんなところにまで?」
精一杯、反撃する守近に、
「もう、意地悪!」
徳子は拗《す》ねた。
こうして、時おり見せる嫉妬心《しっとこころ》を、守近は、気に入っていた。
もう少し、いじめてみようかと思ったその時、
「長良、根《こん》をつめてはなりませんよ。どうです?私《わたくし》の房《へや》へ、来ませんか?珍しい唐菓子が手に入ったの」
菓子と聞き、長良は、顔をほころばすと、はい!と大きく返事をした。
「ふふふ、手習いが、何処まで進んでいるか、細かく、話してちょうだいね」
徳子は、女房達を連れて、しずしずと歩み、その後を、子犬のように、飛びはねながら長良が続く。
(あー、徳子には、お見通しか。長良よ、お前、菓子に釣られて、ペラペラ喋るんじゃあないぞ)
気を揉みながら、守近は、一行を見送った。