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血筋良し、見栄え良し、都でも一二を争うモテ男──少将、守近《もりちか》の正妻、徳子《なりこ》の房《へや》は、宴もたけなわであった。
女房達が、麗しき女主《おんなあるじ》を前に円を組み、ペチャクチャと他愛ない事を喋りながら、数々の高杯に盛られる様々な菓子に見入っている。
「皆、ご苦労様でした」
徳子の、鈴を振るような声が流れると、一瞬にして、かしましさは消えさり、女房達は、うっとりと羨望の眼差しを主《あるじ》へ向けた。
「ああ、お方様。何を仰られますことやら。私どもは、ただただ、お方様に従っただけのことでございます」
白髪まじりの女房が、袖を目頭に当てて涙ぐむ。
「まあ、武蔵野は、大袈裟ね」
よよよっと、泣き崩れている古参の女房、武蔵野の有り様に、徳子は目を細め、他の女房は、顔を見合わせ含み笑った。
「重陽《ちょうよう》の節句の宴が、無事に終わったのは、皆のお陰です。今日は、好きなだけ召し上がりなさい」
徳子の労《ねぎら》いの言葉に、「あいっ!」と、勢いの良い幼子の声が響く。
「わっわっわっ!沙奈《さな》、控えなさい!お方様、申し訳ございません!」
慌てふためくのは、守近の側仕え童子、長良《ながら》である。
沙奈は、長良の腹違いの妹で、行儀見習いと称し、徳子の側付き女童子《めどうじ》として、兄、長良と共に守近の屋敷に住み込んでいる。
地方貴族の家に産まれた二人だが、都を離れてしまえば、貴族と云えども暮らし向きは芳《かんば》しくない。成人前の子供は、あれこれ理由を付けて、都の遠縁に預けられる。長良と沙奈も例外ではなかった。
一種の口減らしとも言えるが、そこには、我が子に一旗挙げさせて、一族揃って都へ登ろうという、親の魂胆も見え隠れしていた。
ともあれ、仕え先が守近の処ならば、先々の事は一安心。
沙奈《さな》に至っては、田舎貴族に嫁ぐより、都で良縁に恵まれた方が豊かに暮らせるはずという、両親の思惑もあってか、わずか五歳で送られてきた。
いくら、兄、長良《ながら》が共にいるとはいえ、まだ、五つ。 家が恋しかろうと、徳子も女房達も、沙奈をいたく可愛がっていた。
さて、妹の屋敷での馴染み具合に、肝を冷やしているのが、兄の長良である。
今年、十二の少年は、妙なところで義理堅く、お世話になっている身でありながらと、沙奈の子供らしい奔放な振舞いに目くじらを立てていた。
が、しっかりしているようでも、菓子をお上がりと、女房に誘われるまま座を共にして、女人の集まりに男の自分が混じっているということに気がついていないようでは、長良も、まだまだ子供ということか。
「あら、長良、忘れたの?沙奈 は、宴で、大活躍だったじゃない!」
「そうそう、あの菊酒のふるまいぶりときたら!」
「ほら、余興の蹴鞠《けまり》の時だって!」
女房達は、宴の席での出来事を口々に囃し立てた。
重陽《ちょうよう》の節句とは、菊の節句とも呼ばれる行事のことで、その香りが、邪気を払うと信じられている菊花の力にあやかって、無病息災や長寿を願う催しである。
各々の屋敷で開かれる宴では、菊の花びらを浮かべた菊酒を嗜み、自慢の菊を持ち寄って比べ合う。
招く側は、料理やら設えやらに力を入れ、招待した公達《きんだち》を唸らせるべく趣向を凝らす。
守近の宴席では、沙奈の存在が一役かった。
女房達の真似をして、色気を振りまこうとしたり、奏でられる雅楽《おんがく》にあわせ、おぼつかない仕草で舞おとしたり。挙げ句は、守近に乞われて参加した、余興の蹴鞠《けまり》。 鞠を蹴り上げるつもりが、足を滑らせ、すてん、と転ぶ……。
その姿は、愛らしくもあり、滑稽でもあり、貴公子達の笑いを誘うものだった。