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冷たい石の床が背中に当たっていた。 金属の扉が軋み、遠くで鍵のかかる音がした。
――ここは、牢だ。
薄暗い部屋の中、鉄格子の隙間から細い光が差し込んでいる。
空気は湿っており、鼻を突く鉄の匂いがした。
目を開けると、両手には手枷。足にも鎖がつけられている。
「……ここまで、やるか。」
頭がまだ重い。
さっきまでの出来事が、夢のように断片的に浮かんでは消えた。
セラの言葉――「あなたは記録に残る」。
それが耳の奥にまだ残っていた。
金属音が響く。
扉が開き、二人の男が入ってきた。
黒い軍服に金の刺繍、肩には王国の紋章。
「立て、リオの仲間。」
「……俺は仲間じゃない。」
「嘘をつくな。名を名乗れ。」
「雲賀ハレル。」
「どこの所属だ。」
「……俺は、この世界の人間じゃない。」
「この世界ではない、だと?」
男の一人が鼻で笑う。
「転移者か。面白いことを言う。」
その言葉が、ハレルの頭の奥で反響した。
――転移者。
まるで、それが“分類名”のように聞こえた。
この世界には、俺のような存在が他にもいるのか……?
もう一人の男が机の上に何かを投げた。
それは、焦げた銀のネックレスだった。
「これは貴様の物か?」
ハレルの心臓が跳ねる。
「……どうして、それを……」
「現場に落ちていた。」
――ネックレスが、現場に?
確かに、捕まる直前まで首にかけていた。
なぜ、それがそこにある?
「リオはどこにいる?」
「知らない。」
「白を切るか。お前たちが王を脅かす“魔導反逆組織”の一員であることは分かっている。」
ハレルの頭の中で、涼――リオの顔が浮かぶ。
彼がそんなことをするはずがない。だが、この世界の彼は……。
「……彼は、そんな人じゃない。」
言葉が漏れた瞬間、兵士の一人が机を叩いた。
「ならば証明してみろ。“観測記録”に残るお前の行動が、罪かどうかを!」
観測記録――その言葉にハレルの背筋が冷たくなった。
数時間後。
牢の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、一人の女性。
白い外套を纏い、長い髪を三つ編みにしている。
金属の瞳が光を反射し、無表情にハレルを見つめた。
「あなたが、転移者?」
声は低く澄んでいるが、冷たい刃のようでもあった。
「私はアデル。王国警備局の“記録官”。
あなたの“観測ログ”を確認するために来た。」
「ログ……?」
「この世界で起こった行動は、すべて記録されている。
嘘をつけば、映像として再生される。」
アデルが差し出した金属板が淡く光る。
その表面には、ぼんやりと映像が浮かび上がった。
――自分が衛兵に捕まる直前の場面。
確かに見覚えのある光景だ。だが、そこに映る自分は――違っていた。
黒いフードを被り、手には血のついた短剣。
倒れた男の傍らで何かを呟いている。
「なっ……これは、違う! 俺じゃない!」
「これは“記録”だ。改竄できないはず。」
アデルの声が冷ややかに響く。
ハレルは言葉を失った。
自分が見た記憶と、映像の記録が――食い違っている。
「記録が……歪んでる……?」
アデルの表情がわずかに動く。
「“歪み”を認識できるとは……あなた、まさか――」
彼女の言葉を遮るように、金属板が突然ノイズを発した。
光が弾け、部屋の照明が明滅する。
「……停電?」
アデルが警備官を呼ぼうとしたが、その声が廊下に吸い込まれる。
鉄の扉が開き、別の兵士が顔を出した。
「記録室が……異常反応を。全端末が勝手に再起動して――」
「私が行く。」
アデルは短く言い、ハレルを一瞥した。
「戻るまで動くな。」
扉が閉まる。
ハレルは再び静寂に包まれた。
夜が更けた。
牢の外の松明がパチパチと音を立てる。
ハレルは膝を抱え、天井を見上げた。
――転移者。
この世界で、自分のような人間は他にもいるのか。
もしそうなら、涼も……。
思考が深く沈みかけたそのとき、足音が近づいた。
見張りの兵士が、無言で鍵を回している。
「……今、開けるのか?」
返事はない。
兵士はぼんやりとした表情のまま、扉を開けた。
その瞳には焦点がなく、まるで夢遊病者のようだった。
「出て。」
女の声。
廊下の陰から、銀灰色の髪が揺れた。
「セラ……!」
「静かに。彼の意識は私が抑えている。」
セラが指先を動かすと、兵士の体が微かに揺れ、再び無言のまま廊下の奥へ歩き去った。
「どうやって――」
「観測の一部を“書き換えた”だけ。彼の記憶から、あなたを消したの。」
ハレルは息を呑んだ。
“記録を歪める”――その行為は、彼女自身がさきほど語っていたものと同じだった。
「来て。長くはもたない。」
二人は廊下を抜け、静まり返った警備局の裏門へ向かう。
外の空は濃い青色で、雲が月を隠していた。
セラが一瞬だけ振り返る。
その瞳の奥に、淡い哀しみが宿っていた。
「この世界の“記録”が、誰かに書き換えられている。
そして――あなたの存在も、その中に刻まれた。」
ハレルは答えられなかった。
ただ夜風の中で、自分の心臓の音だけがはっきりと響いていた。