するとお兄ちゃんは、今度はわたしを怖い顔で見た。
「日菜、どういうことだ。今日はバイトだろう?お兄ちゃんに嘘をついて、この男と遊び歩いてたのか?」
「ちがいます!これも仕事の一環で…」
「おまえは黙ってろ」
割って入った晴友くんに冷ややかに言い返すと、お兄ちゃんは見下すような口調で続けた。
「おまえ、日菜のバイト先のヤツだろ?ちっぽけな店のバイト風情が、うちの日菜に手をだすなんて百年早いぞ」
「……」
「日菜は俺と同じ、名店の将来を担う有能な後継者なんだ。それをたぶらかしやがって。俺はおまえを絶対に許さないからな」
あまりにひどい言葉。
晴友くんがどれほどお兄ちゃんに憧れているかも知らないで、勝手に決めつけて…。
尊敬する人にこんなことまで言われて、晴友くんはどんなに傷ついたか…。
わたしは生まれて初めて、お兄ちゃんに怒りを覚えた。
晴友くんは、下を向いたままゆっくりと立ち上がった。
無視してお兄ちゃんはわたしを連れて行こうとした。
けど。
「…ちょっと過保護すぎるんじゃないすか。あんた、日菜の気持ち、一度でも考えたことあるんすか?」
静かな、けれども強い気持ちを込めて、晴友くんが言った。
「正直がっかりだ。こんな独りよがりのきめぇ人だとは思わなかった…」
「…なんだと?」
「本当に大切なら、独り立ちしたいって思う日菜に気づいて、見守ってやるべきなんじゃないすか?」
「…生意気言いやがって…!」
逆上したお兄ちゃんが、晴友くんの胸倉をつかんだ。
すぐに逃れられたはず。
けれども、晴友くんはされるがまま、歯を食いしばった―――。
「やめてっ!」
とっさにわたしはお兄ちゃんに飛びついていた。
「もうやめて…!晴友くんにひどいことしないでっ!…ごめんなさい、全部わたしが悪いの…。今日はもう帰ります…。帰って罰は受けるから…」
「日菜…」
泣きそうになるのを必死にこらえながら言ったわたしに驚き、そして涙を浮かべたのは、お兄ちゃんの方だった。
「俺の日菜が…変わってしまった…。俺より、こんなどこの不良かもわからないような男をかばうなんて…」
お、お兄ちゃん…!?また感情的に…!
「な、泣かないで…。本当にごめんなさい…。けしてお兄ちゃんを悲しませるつもりはなかったの…」
ハンカチを差し出し、歩くのもままならないほど泣き濡れているお兄ちゃんの手を取る。
駅の近くに停まっていたお兄ちゃんのBMWにむかいながら、なかばポカンとなっている晴友くんに振り返った。
「晴友くん…ごめんなさい…」
「い、いや…。俺の方こそ、悪かった…」
にっこり微笑んでみせ、まだ何かいいたげな晴友くんに後ろ髪ひかれる想いを感じながらも、車に乗り込む…。
お兄ちゃんといい、カンナさんといい…
近づきつつあったわたしと彼との距離は、遮られようとしていた…。
車の窓を見ると、晴友くんがまだ立っていた。
わたしを見つめてくれるその姿は、車が加速するにつれて、どんどんどんどん遠くなっていった…。
※
お兄ちゃんはやっぱり気になったみたいで、わたしとの電話を切った後にリヴァージに行ったそうだ。
そこでわたしがホールに入っていないのを見て、『ラ・マシェリ』に行ってないかと訊いたら、『先ほどに似た子を店外で見た』と聞き…そして駅でわたしたちを見つけた次第…。
「日菜、あいつとはいったいどういう関係なんだ。お兄ちゃんに嘘をつくような相手なのか」
「そ、そんなわけじゃ」
「じゃあどういうわけなんだ」
やさしいけど過保護すぎるのが困ってしまう…。
高校生になっても干渉は増すばかりで、さすがにつらく感じることが多くなっていた。
『高校生になったのにそんな頼りない子に見えるの?』って悲しくて苦しくて…家に帰るのが嫌で悩んでいた時、リヴァ―ジを知って晴友くんのケーキに出会った…。
わたしだって、いろいろがんばっているよ…。
好きな人にだって振り向いてもらいたくて、一生懸命なのに…。
「もうあのバイトはやめなさい」
「え…」
「日菜のことは、お兄ちゃんが面倒みてあげるからいいだろう?あんなヤツと一緒にいさせるわけには」
「わ、わたしはもう、子供じゃないよっ」
はっとなった。
つい声を荒げてしまった。
お兄ちゃんに大声で口答えしたのなんて初めて…。
お兄ちゃんはびっくりしている。
わたしも…。
「…もういい。今日はお兄ちゃんに謝る気になるまで居間で過ごしていなさい」
と、お兄ちゃんは出て行き、居間にはわたし一人が残された。
点けっぱなしのテレビには、ちょうどクイズ番組が映っていて…カンナちゃんが出ていた。
お笑い芸人さんに笑いを取られてニコニコしている姿は、素敵な芸能人として輝いて見える。
愛本カンナちゃん。
『物怖じしない性格で機転がきいて明るく、大人顔負けの容姿に反して屈託のないギャップが受ける。私生活でも外交的な面を見せ、モデルやアーティストとも親交があり…』
とあるのはネットの評判…。
すごいな…カンナちゃんの話題ばかり…。
綺麗な笑顔と大人っぽい身体つき…。
わたしとは何もかもが正反対…。
わたしはお兄ちゃんにすら認めてもらえないのに…カンナさんは厳しい世界で結果を残している…。
この人が晴友くんが好きな子…。
ポタポタ
気づけば涙が出ていた。
がんばってきたけれど、もう堪えられない。
わたしのちっぽけな心は、もういっぱいいっぱいだった。
今日はきっと、人生で一番最低最悪の日だ…。
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