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その夜は、いつもより静かに始まった。
部屋の明かりは明るいのに、外の世界だけが先に眠っているみたいだった。
パソコンの前に座って、配信画面を開く。
そこにはいつも通りの準備された自分がいる。
莉犬としての自分。
笑う準備ができている顔。
声を出す準備ができている喉。
でも今日は、少しだけ違った。
⸻
「なんか今日さ、変な感じするんだけど俺だけ?」
そう言いながら笑った。
本当は、変な感じの正体を知っている気がしていた。
でも言葉にするのは怖かった。
⸻
画面の向こうからコメントが流れる。
「みんなそうだよ」
「特別な日だもん」
「一緒にいようね」
その文字を見て、少しだけ息を吐く。
そっか、と心の中でだけ言う。
⸻
時計はゆっくり進んでいるのに、時間だけが重い。
カウントダウン配信なのに、どこか“終わりに近づく音”みたいに聞こえる。
⸻
俺はずっと、考えていた。
27歳。
この数字をどう扱えばいいのか分からなかった。
誕生日は嬉しいはずなのに、嬉しいだけじゃなかった。
⸻
27で終わるかもしれないって思ってた時期があった。
それは誰にも大きく話したことじゃない。
でも本当は、ちゃんとそう思っていた。
やめる理由を探していた時期もあった。
いや、違う。
やめる理由じゃなくて、“続けない理由”を積み上げていたのかもしれない。
⸻
でも結局、やめなかった。
やめるって決めたはずなのに、気づいたらここにいた。
そのことが、ずっと自分の中で引っかかっている。
⸻
「正解だったのかな」
何度も思った。
誰にも聞かないまま、自分の中でだけ繰り返していた。
⸻
配信の空気は、どんどん静かになっていく。
みんなが同じ時間を見ているのが分かる。
0時に近づいていくたびに、心臓の音がうるさくなる。
⸻
俺は笑っていた。
ちゃんと笑えていると思う。
でもその笑いの奥で、ずっと手が震えていた。
⸻
「俺さ」
気づいたら、言っていた。
「27で終わるかもしれないって思ってた時期、ちゃんとあったんだよね」
言った瞬間、少しだけ怖くなった。
でも止めなかった。
⸻
画面の流れが変わる。
コメントが一瞬止まる。
あ、言ってしまった、と思った。
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でも誰も離れなかった。
そのまま、そこにいてくれた。
⸻
「でもさ」
続ける。
声が少しだけ軽くなるように意識する。
「やめなかったんだよ。やめるって決めてたのに」
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言いながら、自分でも不思議だった。
どうしてここにいるんだろうって。
どうしてまだ続いているんだろうって。
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「正解だったのかなって、今でも思うときあるよ」
それは本音だった。
隠すつもりもなかった。
ただ、怖かった。
⸻
でもそのあと、少しだけ息を吸う。
そして、ゆっくり言う。
「でもさ」
⸻
「今日こうしてみんなといるとさ……間違ってなかった気がするんだよね」
その瞬間、胸の奥が熱くなる。
言ってしまったあとに、やっと気づく。
ああ、これを言いたかったんだって。
⸻
カウントダウンが始まる。
10。
9。
8。
声を出しているのに、どこか遠くにいる気がする。
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3。
2。
1。
0時。
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一瞬、世界が止まる。
そしてすぐに、壊れたみたいに通知が溢れる。
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「おめでとう」
「28歳おめでとう」
「生まれてきてくれてありがとう」
「続けてくれてありがとう」
⸻
画面が埋まる。
追いつかない。
読めない。
なのに全部見えてしまう。
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「うわ……」
笑ってしまった。
でもその笑いはすぐに崩れた。
「これ、無理だろ……」
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手が止まらない。
でも頭が追いつかない。
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スタッフの声がする。
「外、出てください」
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立ち上がる。
足が少しだけ重い。
ドアの前で、一瞬だけ止まる。
⸻
開ける。
そこには事務所があった。
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風船。
ケーキ。
紙吹雪。
そして、泣きそうな顔の人たち。
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「お誕生日おめでとう!!!」
その声を聞いた瞬間、全部が崩れた。
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ああ、これはダメだって思った。
ずるいって思った。
でも嬉しいって思った。
全部が同時だった。
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「……なにこれ」
それしか言えなかった。
⸻
誰かが笑って言う。
「サプライズだよ」
その声も少し震えていた。
⸻
そのとき、はっきり思った。
ああ、この人たちは知ってるんだ。
全部知ってるんだ。
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27歳で終わるかもしれなかったこと。
やめようとした夜があったこと。
そして、やめなかった今がここにあること。
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その全部を見た上で、ここに立っている。
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俺は少しだけ笑う。
泣いているのか笑っているのか分からない顔で。
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「こういうの、ほんとずるいって」
声が震える。
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その瞬間、気づく。
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ああ、俺はずっと怖かったんだ。
続けることも、やめることも。
どっちも選べなかったんじゃなくて、どっちも怖かった。
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でも今ここにいる。
それだけは確かだった。
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夜が終わる。
でも配信は続いている。
まだ誰かが見ている。
まだ誰かが泣いている。
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そして次の日の朝。
目が覚める。
世界は静かになっている。
でも心だけがまだ昨日のままだ。
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スマホを開く。
まだ通知が残っている。
「おめでとう」
「ありがとう」
「生まれてきてくれてありがとう」
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それを見て、少しだけ息を吐く。
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「俺、ほんとにここにいていいんだな」
誰にも聞こえない声で言う。
でも、それで十分だった。
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昼になる。
世界はいつも通り動いている。
学校へ行く人。
仕事へ行く人。
何もなかったように過ぎていく日常。
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でも俺の中だけは、まだ続いている。
あの夜のまま。
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続けると決めた夜。
続けてしまった夜。
続いてしまった今。
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「続けてよかったのかな」
その問いはまだ消えない。
でも少しだけ形が変わる。
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「続けてよかったんだろうな」
まだ確信じゃない。
でも、もう逃げる言葉じゃなかった。
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そして最後に思う。
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あの夜、誰かが泣いていた。
でも一番泣いていたのは、多分自分だった。
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でもそれでもいいと思えた。
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続けるって、こういうことなのかもしれない。
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その夜から、少しだけ世界がやさしく見えるようになった理由を、俺はまだうまく言葉にできないまま生きている。