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取締役会が始まって一時間。
会議室内に残ったのは二十七名だった。
席を立ったのは、ホールディングスとフィナンシャルの専務、観光と建設の常務、開発と観光の監査役、フィナンシャルの社外取締役。
実に七名が『ご勇退』された。
年齢を考えれば納得できる人もいたが、まだあと十年は役員を務められたであろう人まで『ご勇退』の道を選んだ。
騒然とする会議室内に、進行役は十五分の休憩を提案し、父さんも咲も了承した。
内藤社長は取り巻きを引き連れて、早々に会議室を出て行った。
俺は咲に声を掛けようか迷って、今はやめておくことにした。
「いい女だな、お前の彼女」
徳田さんが椅子をグイッと俺の方に向けて、言った。
「知って……たんですか?」
「他に気付いてる奴がいるかは知らないけど、内藤社長の慰労パーティーに来てただろ。黒のロングドレスを着て、充副社長にエスコートされて」と、徳田さんが目を輝かせて言った。
「よく……わかりましたね……」
「あれだけの美人、忘れねーよ」
忘れてたけど……、徳田社長は根っからのタラシなんだ……。
今でこそ聞かなくなったが、徳田社長の女性遍歴は有名な話だ。数知れない噂があったが、関係のあった女性が社長を悪く言ったことは一度もないという。
「父親ほどの年ではないし、俺にチャンスねーかな」
「ちょっかい出したら徳田社長でも刺しますよ?」
俺は半分冗談、半分真剣に言った。
「お前、余裕ねーな」と、徳田社長が苦笑いをした。
最近、よく言われるな……。
「ないですよ。繋ぎ止めておくのに必死ですから」
「で、お前の『美人な上に恐ろしくキレ者』の彼女は何を考えてる?」
俺はため息で返事をした。
「なるほど。それがわかればもう少し余裕を持てるって? 振り回されてるねぇ、お前」
徳田社長はケラケラと笑った。
内藤社長と取り巻きが戻ってきて、徳田社長を睨みつけた。
「おー、こわ。あちらさんも余裕ないねぇ」
休憩時間は残り五分。
徳田社長の表情が百八十度変わった。真剣な面持ちで俺を見る。
「蒼。確認しておくが、彼女はお前の意思を知っているんだよな?」
「はい」
「なら、お前の目的の邪魔はしないな?」
「はい」
俺は自分でもビックリするほど、確信を持って頷いた。
「では、第二部を楽しもうか」
休憩を終え、席に戻った重役たちの表情は硬かった。恐らく、『ご勇退』の道を避けて通ったことが正しかったのか、自信が持てないのだろう。もしくは、これから何が起こるか不安でたまらない、といったところか。
何千人もの社員を統率する企業の重役が、社会人になって十年も経っていない若い女に恐れをなしている。
俺より咲の方が、よっぽど会長に向いてるんじゃ……。
表情に出さないようにと務めたが、内心は咲への敗北感でいっぱいだった。
「では、時間となりましたので、取締役会を再開いたします。えー、先ほど退職されました七名の取締役の後任選出について、筆頭株主の成瀬咲さんからご提案があるそうです」
そう言うと、進行役が席を離れ、咲が立ち上がった。
「取締役員の交代に際して、グループの改革案を提示させていただきます」
進行役が会議室の扉を開いた。満井くんと春田さんが資料を抱えて入って来た。春田さんが資料を脇のテーブルに置き、二人で満井くんが持っている資料を配り始める。
二人の後から、俺が良く知った顔ぶれが並んで入って来た。
「改革案について議論に入る前に、退職されました取締役員の後任の三名をご紹介いたします。なお、この三名の取締役就任は株主の総意ですので、決定事項です」
完全に、咲の独壇場だった。
小声で文句を呟く重役たちを尻目に、咲は話しを続けた。
「T&Nホールディングス情報システム部部長、新条百合。同じく情報システム部次長、館山侑。同じく総務部部長、藤川真」
紹介された三人は一礼した。
「彼らは我がT&Nグループの発行済株式の十パーセントを保有しておりますので、規定にあります通り取締役会での議決権を与えられております。なお、役職につきましては改革案の説明の中でお伝えいたします」
侑と真さんが俺を見て、一瞬だけニヤリと笑った。
やってくれたな——!
俺は二人を睨みつけた。
百合さんだけは全く違う方を見ていた。
和泉兄さん——。
俺は百合さんの視線の先を見て、場所と状況が違ったら椅子から転げ落ちそうなほど驚くものを見た。それは、俺だけでなく、充兄さんも気がついた。
百合さんの姿を見た和泉兄さんは、冷静沈着で人前では決して表情を崩さない、爽やかな『築島和泉』ではなくなっていた。目を見開き、口をポカンと開けて、完全にマヌケ顔だった。
充兄さんは笑いを堪えるのに必死のようで、手で口元を押えていた。
和泉兄さんは、隣の慎治おじさんの咳払いでようやく表情を整えた。
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