「ごめん、康二、デキてた」
一人で行った病院の帰り、佐久間大介はパートナーである、向井康二に電話で言った。
すると、電話口に出た康二は黙った。
いつもは陽気で、黙っている時間の方が短い康二の、深刻そうな沈黙に耐えきれず、大介は言った。
「にゃはは〜!嘘だよーん!ビビった?嘘だって」
『へっ!?』
今度は素っ頓狂な声を上げ、康二は大きく息を吐いた。『あせったぁ〜!変な冗談やめてや〜!』明るいいつものトーンで明らかにホッとした彼の声がする。
冗談っていうのが、嘘なんだけどね…。
心の中で大介は一人呟くと、そのまましばらく雑談を続けて、何事もなかったかのように電話を切った。切る時に、康二はいつもどおりに『愛してるで♡』と言った。これまで一度たりとも康二からの愛情を疑ったことなどなかったけれど、この時の康二の愛してるほど、空虚に響いたことはなかったなと今思い出しても大介は思う。
「可哀想だけど、諦めるしかないかあ……」
そんなふうに思わず呟いてしまった後で、お腹の子に聞かれたことが申し訳ない気がして、まだ平らのままの自分の腹部を大介はさすった。
蓮を授かった時、大介は大学2年の夏を迎えていた。なんだか体調が悪くて、夏バテだと思い、総合病院にかかったところ、思いがけず産科に行くよう勧められた。心当たりがあった大介は、どうか悪い冗談であってくれと、医師から妊娠を告げられるまでは祈るような気持ちでいたのだ。
しかし、身体が母への準備をするのと同時に、心構えも変わっていたのか、医師から『おめでとうございます』と、本当に妊娠を告げられた時、大介は驚くほど冷静だった。
康二のことは好きだが、年下で経済力もなく、到底、父親になれるとは思えなかった。
康二に負担を掛けるわけにはいかない。
康二は、学生ながら、趣味を超えるカメラの腕前を持ち、マイナーながら学生写真家として少しずつ頭角を表してきていた。専門学生でありながら、今では有名な写真家について、アルバイト兼付き人のようなこともやらせてもらっている。
もちろん金はない。デートもお金のかからないことが条件だった。実家暮らしの大介と違って、関西から単身、師匠の住むこの街へやって来ていた康二は、いつも何かと支払いに追われていた。そんな康二と隣の生活音が丸聞こえのボロアパートで、数回愛し合っただけで、まさか子供が出来てしまうなんて、大介にとっても青天の霹靂だった。
「貧乏人の子沢山を地でいってどうする…」
康二との電話を切った後、診察時間がぼちぼち終わりかけて、人が減ったロビーの椅子に座ると、目の前に若くて綺麗な男の子が、自分と同じように項垂れているのが見えた。腕には小さな赤ん坊を抱いている。自分がそういう境遇になったからだろうか。普段、気にも留めない他人の子を見て、何となく彼の子供なのかなと思った。
「あの、すいません」
何となく話してみたくて、大介は青年に声をかけた。顔を上げた彼はやはり美しくて、でも、泣いたのか、赤い目を少し腫らしていた。腕に抱えた赤ちゃんはなんだか弱々しく、小さな声でふにゃふにゃと泣いている。
「何か…?」
「いや、可愛い子ですね」
「そう…ですかね?」
青年は赤ん坊を見た。腕の子を見る目が優しい。きっとお母さんなんだなと大介は確信した。
「実は俺、も、なんです」
「え?」
「俺の子は、まだ、お腹の中にいるんですけど、あっ、俺も子供、出来ちゃって」
「ああ…」
「彼氏に連絡したら引かれちゃって…。で、ちょっと頭を整理したくてここにいたんです」
「そうなんだ」
青年は初めて、にこりと笑うと、隣どうぞ、と横の席を勧めた。笑うと幼い彼に、大介は思い切って聞いてみた。
「俺は佐久間大介っていうんだけど、君は?」
「渡辺翔太、です。この子は亮平。もう8ヶ月なんだけど、全然、大きくならなくて」
確かに赤ちゃんは小さかった。しかし、大介が指を伸ばすと、力強くしっかりとそれを握りしめ、きゃはは!と声を出して笑った。その笑顔がまるで地上に舞い降りて来た天使のようで、大介は思わず感嘆を漏らした。
「えっ!天使?むちゃくちゃ可愛い!赤ちゃんってこんなに可愛いんだ……」
大発見のように大介が叫ぶと、そのまま翔太に頼み込んで抱かせてもらった。そして、腕の中で頼りなげに自分を見上げるつぶらな二つの瞳に、大介はメロメロになってしまった。
「うわあ!お母さんも美人だと、子供もこんなに可愛いんだね?いやー、こりゃ、将来モテてモテて大変だよ、キミ」
そう言って亮平に頬擦りする大介を見て、つられて翔太も笑う。二人の間に和やかな空気が流れた。
「この辺の人じゃないの?翔太」
「うん。色んなところを転々としてる。住み込みできるところを中心に働いてたんだけど、出産してからは働くところもなかなか決まらなくて。はっきり言って今、ピンチなんだよね」
翔太は大介と同じ学年で、まだ19歳だった。気心が知れて来て、少しずつ敬語も取れて来た。行き場がなく俯く翔太を、大介は半ば強制的に自分の実家へと連れて帰る。そして、勢いに任せて、両親に頭を下げ、自分自身の妊娠も告げた。
当然、母親は泣き、父親は怒ったが、二人とも翔太と亮平の手前もあり、あまり大事にはならなかった。そして大介は、何とか康二のことも明かさずにその場をやり過ごした。
しかし、その夜、同じ部屋に寝ることになった翔太に、こう言われたことが大介の胸に刺さったのだった。
「俺はさ、自分で望んで二人で生きてくって決めたけど、他の生き方もあったのかなって今では思う。一人で乗り越えられないことでも、二人なら乗り越えられる時もあるから。彼氏にきちんと話してみてから、一人で産むか決めても遅くないんじゃない?」
天使のような亮平を見て、大介は心に決めていた。
何が何でも、お腹の子供を産もうと。
たとえ、康二と別れることになっても…。
「すんませんでしたっ!!!」
話を聞くなり、菓子折りを持って、大介の実家に康二が突撃したのはそれからすぐのことだった。床に頭を擦り付けんばかりに頭を下げる康二を見て、大介の両親は呆気に取られていた。
居候である身の上を気にして、仕事を探しながら家のことをできる限り手伝い、亮平の面倒も頑張ってみている大介と同い年の翔太を見て、大介の両親も少しは気が変わったらしい。そして、家の中を明るくしてくれる亮平の笑顔が、何よりもみんなを明るく、前向きにしていた。
「君は、大介と結婚するつもりはあるのか?子供を認知する気はあるのか?」
大介の父親の重たい一言に、康二は何度も頭を下げて答える。
「もちろんです!僕にはさっくんしかいません!」
こうして、蓮が生まれるまで、大介の実家に康二が通う生活が続いた。翔太は、仕事と住まいが決まると、亮平を抱えて家を出た。それも大介の強い要望で近所のアパートに決めたから、亮平は翔太を始め、大介と康二、そしてその両親に守られながら、すくすくと育ったのだった。
コメント
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面白かったです🖤💚
出会い編🤭🤭