「あの時の快感が忘れられない。殺されるかも知れない恐怖に、そこからの起死回生に! 僕は、魅せられた。この暗殺者の世界に!」
綴の語った過去は、壮絶なものだった。
帰国子女と言っていたが、実際の親も分からないため本当にハーフか、クォーターか、それともイギリス人かも分からない。だが、問題はそこじゃない。
何も知らない、教えて貰えない世界で、自分で式を無視して答えを見つけた結果、過程をすっ飛ばしたせいで今の綴が出来てしまった。もし、そこで先生が綴に手を差し伸べなかったら、もっと酷いことになっていただろう。だが、綴が狂っているのは紛れもない事実だった。誰も教えてくれる人も、叱ってくれる人もいなかったから。
今の自由で、間違った、子供のままの純粋故の狂気を纏った綴がそこにいる。
(確かに、俺と似ているのかも知れない)
俺は綴の話を聞いた後、自分が如何に狭い世界でたった一人の暴力に耐えてきたかを知った。俺と綴なんて天秤にかけてはかるものではないし、それぞれの価値感や生れた場所の文化や歴史というものがあるだろう。だから一概にどっちが辛かったとは言い切れない。だが、同じような境遇の綴を前にして、俺は同情というものを抱いてしまう。
綴は俺を同類だと言った。理解してくれると言った。
理解したくないが、何となく理解できてしまう自分が恐ろしい。
でも、綴が本当に求めているものは、共感や同情じゃないだろう。
「僕は、恐怖性愛者だよ。恐怖を、死に追いやられ、死ぬって感じると興奮するそんな暗殺者なんだ。だから、梓弓クンが感じた違和感ってそれ。何で僕が、梓弓クンの攻撃をかわせるのに、受けているかって。痛みをいっぱい感じたいからさ!」
「……狂ってんな」
「褒め言葉♡」
そう言って、綴はニヤリと笑って見せる。
その笑顔は、先ほどまで浮かべていたものとは違う、どこか無邪気さを感じさせた。
でも、その瞳の奥は爛々と輝いている。まるで新しい玩具を手に入れたかのように。
そうして、再びナイフを構えるとこちらに向かってくる。その動きはさっきよりも格段に速く、そして重い。
ガキンッ! 何とか、ナイフを受け止めるがすぐに次の攻撃が襲い掛かってくる。それを必死に受け止めながら、隙を見て蹴りを入れようとするが、その足を掴まれそのまま投げ飛ばされる。ドサッ 地面に背中から倒れ込むが、すぐに身を翻して起き上がる。すると、いつの間にか目の前に綴が立っていて、その手に持つナイフが俺の首筋に当てられていた。
ヒュンっと音を立てながら首元で止まったそれは、あと数ミリで皮膚を突き破り血が流れる。ドクンドクンと心臓が早鐘を打ち、額から汗が流れ落ちる。
(あぶ……ねぇ)
詰んだかも知れないと思いつつ、頭ではこの状況から抜け出す方法を考えている。
俺を睨み付けていた綴は、不満げに口を開いた。
「梓弓クンって、弱い奴?」
「さあ、苦手なだけだ」
「……あっそ、僕を楽しませてよ。じゃないと、本気で殺っちまうぜ!?」
そう言うなり、綴は持っていたナイフを投げ捨てる。その行動に首を傾げるが、その理由はすぐに分かった。
ドンッ! 鈍い音が聞こえたと思ったら腹部に強い衝撃を感じる。一瞬の出来事に目を白黒させれば、すかさず追撃が跳んでくる。
「……くっ」
痛みに耐えながら、何とか避けきって俺は口にたまった血を吐き出す。
ライフルバックを背負ったままではやはり動きづらい。下ろしてしまえばいいが、自分の武器をみすみす相手の前で下ろすと言うことは自滅行為だ。それに、相手が暗殺者でそれなりのプライドがあるのなら、きっと勝ちに来るだろう。
「一流の暗殺者じゃないのかよ、梓弓クン」
「お前も違うだろ」
「僕は、先生のお墨付きを貰ってる。僕は、一流の暗殺者だ!」
(先生が……か)
やっぱり、あの時俺に声をかけた先生というのは綴にとってとても大切な存在なのだろうか。それがどういう意味なのかは分からないが。
そんなことを考えていれば、また綴の攻撃が飛んできたため、今度はそれをかわすとそのまま相手の腕を掴み思いっきり投げる。綴は地面にたたきつけられ、その身体が数度バウンドする。
(ここは一旦ひいて、体勢を立て直すべきか……)
綴が起き上がる前に一度この場を離れた方がいいかと考えた。だが、先生に言われたことが突然頭の中に響く。
『梓弓の弱点は、つまり近接戦での立ち回り、受け流しだ。技術を持っていたとしても、反射的に動けない。近接戦にめっぽう弱いんだ』
(反射的に動けない……それは何故か)
先生の言葉を自分なりに咀嚼し考える。反射的に動けないのは、つまり相手の動きを見ていないからだ。焦りの方が増さり、下手な受け流し方をして、追撃の隙を作ってしまう。
俺はライフルバックを背負い直し、もう一度血を吐き出す。
「実戦を詰まなきゃ成長しない。出された課題は、しっかりクリアする」
「……っ、何だ、何だ!? ようやく、本気を出してきたのか!?梓弓クン!」
嬉々として声を上げる綴の声を聞きながら、俺は綴の動きを観察する。先程までは、俺が一方的に攻撃され続けていたが今は俺が綴を追い詰めている形になっている。綴は楽しんでいるようだが、顔には焦りが見えてきている。だが、綴はそれを快感として拾ってしまう体質、ド変態なので追い詰めているはずが、興奮させていると言ったなんとも言えない状況になってしまっているのが悔しい。
綴の攻撃を往なし、その反動を使って蹴りを入れる。綴はそれを軽々と避けると、反撃とばかりにナイフを向けてくる。それを受け流しながら、綴の足を引っ掛ける。すると、綴は見事に転び顔面から地面へとダイブした。
「いったぁ~い」
「そんな風には全然見えないが」
「ハッ!? 痛いもんは痛いんだよ! でも、その痛みさえも、最高。矢っ張り、梓弓クンは最高だった!」
と、凄い手のひら返しで起き上がり、赤くなった顔を俺に向けた。恍惚と興奮して赤くなっているのか、顔面をぶつけて赤くなっているのか分からなかったが、両方だと思い、俺は呆れてため息が漏れる。
綴の攻撃は一度見切ってしまえば簡単だった。
先ほどは冷静さが欠けていた。だからこそ、見えたものも、見えなかった。綴の攻撃は単純だった。トラップを仕掛けるのは上手く、その身のこなしは軽やかだが威力に欠ける。そして、手を使った攻撃はナイフ以外ないため、足の癖を見つければそこはかわせる。
(もう、見切った)
綴は、全然攻撃が当たらなくなってきたことに気づいたらしく、攻撃が単調になってきている。俺が、綴の攻撃を受け流すと、綴はそのままバランスを崩し、尻餅をつく。その隙に、腹に蹴りを入れれば、綴は簡単に吹っ飛び壁にぶつかる。
「……は、ハハ。僕の攻撃全然当たんねえ」
「それは、お前が単純だからだ」
そう言って、ライフルバックからハンドガンを取り出すと、銃口を綴に向ける。綴はそれを見て、ニヤリと笑うと両手を広げ降参のポーズをとった。
その行動に眉を寄せれば、綴は楽しげに口を開く。
その表情は、先ほどの愉快な笑みで、まるでこの瞬間を望んでいるようにも覚えた。
(もう一つの、違和感はこれだな……)
「なあ、早くその引き金引いてくれよ。うずうずしてんだよ。僕をイカせてくれるんだろ?なあ、早く、早く!」
「……お前」
自ら銃口を額にこすりつける綴をみて、その異常っぷりに言葉を失った。
はぁ、はぁ……と息を荒くし、頬を紅潮させながら、綴は目を細める。
こんなにも、自分の欲に忠実な人間を見たことがなかった。今まで出会った暗殺者はどこか、一線を引いていた。殺されたくないから、意地でも逃げると、そんな臆病で卑怯者になっても逃げる奴がいた。いなかったとしても、素直に敗北を認め自害する奴の方が多かった。
俺の目の前にいる綴からは、それが一切感じられない。
まるで死を望んでいるかのようだった。
「焦れったいんだって、僕は、自分より強い奴を見つけた。それが、梓弓クンお前だった!梓弓クンとは本当に運命の赤い糸で結ばれてるのかも知れねえな!僕は、僕は梓弓クンにぐちゃぐちゃにされて殺されたい!」
さあ、早く!
と、綴は興奮気味に言う。誰が自分を殺してくれ何て言う暗殺者がいるのだろうか。いいや、いるわけがない。それに、綴の場合は――
「は?」
「俺はお前を殺さない」
俺は、引き金をひこうとした指を止めた。
ここで、殺すのは容易い。だが、それでは駄目なのだ。
「何で……」
「お前を殺すと、空澄の居場所を聞き出せない。さっき、お前があの黒服達を殺したせいで、お前の属している組織に繋がるものが全部パーになった」
「は、は……はあ!?」
綴は狂ったように叫んだ。
待ち望んだものがえられず、思い通りに行かず駄々をこねるような子供のように。そうして、俺の拳銃の引き金に自ら指をかける。俺の手を固定して、逃げられないというように。
瞳孔が開かれ揺れ、そして、わなわなとその手が震えていた。ボロボロになった顔は口はいびつに歪んで、俺を見つめていた。アメジストの瞳がやけに空っぽで寂しく見えた。
「梓弓クンは僕に勝った! 勝利条件は、僕を殺す事! じゃあ、じゃあ、殺さないといけねえだろうがよ!」
「……」
「はぁ、あ……っ♡ この瞬間を待っていたんだ。脳汁どばどば出てる、本当にイきそう……は、ハハッ。梓弓クンがひかないっていうなら、僕がひくだけ――ッ!?」
一人気持ちよくなろうとしている綴の手を払って、俺は綴の胸倉を掴んだ。ダンッ! と綴の股の間に割って入るように足を入れて、逃げられないようにする。紫色のマフラーは血の臭いが濃かった。
「え、あ……ぁ?」
俺の行動が理解できないというように綴は目を見開いた。俺はそんな綴にすかさず言葉を投げた。
「お前は、一流の暗殺者でも何でもねえッ!ただ、死に場所を求めているだけの死にたがりだ!」
そうだ、綴はそうなのだ。
幼い頃に仲間が殺されて、心が壊れた子供だ。どれだけ成長してもあの時に置き忘れた心が、壊れた心のピースが埋まらず生きていた。恐怖を感じると興奮する、だが、こいつのもっと深くにあるのは、ずっとしに場所を求めていたと言うこと。
仲間がしんでいくのを目の当たりにして、そうして自分だけ生きていることに絶望を感じた。
そうして、それが分からない、無自覚のまま綴は暗殺者になった。それが、今こいつを創り上げているものだ。
死にたがり、死に場所を求め人を殺すだけの哀れな子供。暗殺者なんて言えない。
綴は理解できないというように、首を横に振った。自分でも本気で気づいていなかったのだろう。
「……しに、たがり……?」
「お前の、深層にあるのはそれだ! それを言いように解釈するな、この死にたがりがッ!」
俺は、そう言って綴のマフラーから手を離し、思いっきり綴の顔面に拳をたたき込んだ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!