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「お願いがあるんだ」


と彼は言った。その目は虚ろで、こちらを見ているはずなのに焦点が合っておらず、どこか遠くを見ているようだった。


「復讐をしなきゃいけない」


全く感情のこもらない、無機質な声。そして彼はゆっくりと微笑んだ。綺麗な弧を描く口元をみながら、初めて自分は彼のことを恐ろしい、と思った。やがてその唇の隙間から漏れ出すようにして、彼はくつくつと笑い始めた。おかしくて堪らないというように、肩を震わせながら両手で顔を覆う。その姿は泣いているようにもみえた。守らなくてはいけない。咄嗟に彼を抱きしめた。自分が彼を守る必要がある。そう何度も心の中で自分に言い聞かせた。



「藤澤さんは何か人間関係でトラブルを抱えていましたか?もしくは誰かに恨まれるとか」


「そんなのないです、前にもそう答えた」


大森は相変わらず椅子の背もたれに体重を預けるようにしてだらりと座ったまま、虚ろな目で田村を見ている。


「藤澤は……あの通り穏やかで、明るくて、誰かに恨まれたりとかそんなの有り得ないんです。もちろん人間関係だって良好で……」


「ご自身とも?」


その言葉を遮るようにして発せられた田村の質問に、大森はぴくりと微かに瞼を動かした。


「僕と藤澤の関係について聞いてるんですか?」


こいつは何を言ってるんだ、と言わんばかりに片眉を器用にひそめて、顎を軽く持ち上げる。


「そうです。別れ話とか……別にめずらしい話ではないでしょう」


は、と大森は力無く、息を吐くようにして笑った。馬鹿らしくてものもいえない。身体中でそう言っているのがこちらにも伝わってくる。


「別れ話なんて……しませんよ。俺だって涼ちゃんだって」


「そうですか?じゃあ怖くて言い出せなかったのかもしれない。日常的に暴力を振るわれていたのなら」


はた、と大森の動きが止まった。こちらを見据える目には暗い光がひとすじ宿っていた。


「……どういうことですか」


呟くような、しかしよく通る声が取調室の中に響く。さすがボーカリスト、と田村は場違いなことを思った。


「藤澤さんの身体に誰かから暴力を受けたような傷があったこと、それからあなたがたの関係がどうも上手くいってなかったのではないか、というような証言が出ているんですよ」


「誰がそんなこと……いや、聞いても無駄だな。それにそんなの別に誰だっていい。でも、他人に何が分かるっていうんです?」


大森は薄ら笑いを浮かべているが、その表情はどこか泣きそうにもみえた。


「藤澤さんの身体の傷跡について何か心当たりは?」


「知りません。それに仮に涼ちゃんが俺と別れたがっていたとしても、今回の失踪とは何の関係もない」


涼ちゃんが、か。少なくとも大森は別れたいという考えはなかったのかもしれない、そうなれば動機は離れていこうとする恋人が許せなくて、とでもいうのだろうか。田村は大森から目を離さないようにして、その表情の細部の変化すら見逃すまいとする。


「関係ないと言い切れるかはあらゆる証言をもとに判断します、あなた1人の話では決められない」


「なんとなくそんな気はしてたけど、今は僕が疑われてるんでしょう?刑事さん。それで僕の動機を探してる。でも大事なこと忘れてませんか?僕はあの日『ずっと家にいた』んです。どうして僕に何か出来ると思うんですか」


確かにそうだ。大森には確たるアリバイがある。しかし、それは大した問題ではなかった。彼に藤澤を誘拐もしくは(考えたくもない最悪のパターンだが)殺す理由があるとすれば、人を雇うことだってできる。問題は現在の藤澤の所在なのだ。彼が直接手を下していないにしても指示役と分かれば問い詰めて、それを吐かせれば事件は解決する。

田村はファイルから一枚の写真取り出した。大森の注意を引くようにゆっくりと、もったいつけるようにしてそれを彼の方へ差し出す。大森はそれにちらと視線をやると、ほんのわずか——よくよく注意してみていなければ見落としてしまうくらいのほんの一瞬──明らかに戸惑いを見せた。田村はそれを見逃さなかった。そして内心ほくそ笑んだ。やはり俺の読みは正しかったのだ──。


「こちらの場所に見覚えが?」


大森は小さく息を呑んだ。


「ないです」


「嘘はつかない方がいい」


間髪入れずに声を上げると、大森は視線を写真から田村の方へと移した。そこには動揺などいたってみられない。丁寧に隠している。


「そう言われても、こんな1枚だけじゃどこだかさっぱり分からない。確かに行ったことがあるかもしれないけれど、こんな海沿いの……公園のような写真、いろんなところが当てはまりそうだ」


「そうですか。ちなみに今朝、ここでこれが見つかったんです」


田村はもう一枚の写真を同じように彼の前に差し出す。そこには白地にライトグリーンのラインの入ったランニングシューズが、公園の草むらの上に無造作に置かれた状態で写されている。


「正確にはぼろぼろのビニール袋に入った状態でみつかったんですがね。これは藤澤さんのもので……」


間違いないですか、と確認を取ろうとしたが、大森は途端に声を上げて笑い出したために田村の声は途中で遮られる形となった。あはははっ、と甲高い笑い声が部屋中に響く。それは「狂っている」としか表現できない様相だった。


「大森さん」


呼びかけるも応答する様子はない。かと言って暴れ出しそうな気配もない。戸惑った様子で田村の方を見てくる補助の刑事に、動くなと目で伝える。


「大森さん、落ち着いて聞いてください」


「ふふ、あははっ、ごめんなさい。ねぇ、刑事さん。確認ですけど、それは本当にその1枚目の写真の公園に捨てられてた?」


ゆらりと持ち上がった頭、その前髪の隙間から彼の黒い瞳が覗く。田村が黙ったままでいると、大森は再び笑い出す。悪魔のようだと田村は思った。それと同時に、今この瞬間に関してはまったく「演技ではない」とも。その後の聴取は継続不可能と判断され、大森は一度自宅に帰されることになった。

その夜のことだった。

大森が自殺未遂を図ったと田村のもとに連絡が入ったのは──。




最初はちょっとした出来心だった。でも彼は自分のその行動にひどく心を痛めた。それも想像以上に。意外だった。自分は、彼にそれほどまでに愛されている自信が無かったから。嬉しかった。彼の愛をまざまざと感じることが出来たから。だから自分はその行為を重ねた。傷つく彼を見る度に、自分は満たされる。歪んでいる自覚はあった。そしてその歪みは、自分だけでなく彼さえも歪めてしまうのだと気づいたのは、もう手遅れになってからだった。



追い詰められたがゆえの自暴自棄になっての自殺、とは到底田村には思えなかった。しかし、それは先日の聴取の際に感じた直感にすぎず、なんの根拠もない。そのために彼はそれをうまく言葉にすることが出来なかった。だから「大森犯人説」が滔々と固められていく会議の場で、そのわずかな違和感をどう持ち出すべきか悩んでいた。


「危なかったよなぁ」


休憩時間に同期の男が田村の肩を叩く。


「これでうっかり死なれてたら、ホシを死なせたってお前も無事じゃすまなかったろ。聴取に問題が云々とか言われてさぁ。マスコミも特にうるさいし」


どうも彼は、今日田村がずっと険しい表情で言葉が少ないのを、聴取に責任を感じているせいだと思っているらしい。


「なぁお前もやっぱり大森が指示したと思うか?」


なんだよ急に、と男は怪訝そうに眉根をひそめる。


「最初に大森説を持ち出したのは、田村、お前だぜ。あの証言引っ張ってきてさ」


「そうさ、そうなんだが、昨日大森と話して違和感があった。おそらく……彼はシロだ」


「違和感?」


「それが……上手く言えないんだ」


呆れたように男はため息をつく。買ってきたばかりらしい缶コーヒーは汗をかいていて、男はそれを大きな手のひらでぬぐってからキャップをまわした。途端に缶コーヒー特有の香料くさいにおいが辺りにただよう。


「なんだよお前も呑まれちまったのか?」


田村はそれには答えず、黙ったまま席を立った。あの不気味な男ともう一度話をしなければならない。そんな気持ちが彼の心の内を占拠せん勢いで湧き上がっていた。



最初は、またいつもの「家出」だろうと思っていた。最近の彼はよくこういうことがあった。時折ふっと姿を消して、でも戻ってくる。最初の頃こそ、何か事件に巻き込まれたのではないかとか、いよいよ自分のもとに帰ってこないつもりなのではないかとかそういった不安にとらわれていたけれど、今ではおそらくこれは彼に必要な「時間」なのだろうと思った。完全に壊れてしまわないために、歪みきってしまわずに俺と居続けるために、彼なりに見つけた方法なのだと。だから毎回ちゃんと、俺の元に戻ってくるのだ。今回も期間は長いだけでそういうつもりなのだろう。

ならば彼が困ることは何か?それは自分の居場所を探し当てられることだろう。警察が本気で捜したら彼の「家出先」なんて簡単に見つかってしまうだろうに、そういうところ詰めが甘いんだよな。ならば少しでも注意を逸らすために自分がしばらくの間「容疑者役」を買って出てあげよう。愛する彼のためならそれくらいなんて事ない。これは彼が、俺の元に戻ってくるために必要な「時間」なのだから。



昨晩あんなことがあったばかりなので、しばらく話はさせてもらえないだろうと思っていたが、意外なことにもすぐに田村は病室に通された。大森が「昨日の刑事さんなら話す」と言ったのだという。


「こんばんは、刑事さんて大変ですねこんな時間まで」


なぜ病室というものはこれほどまでに白いのだろう。大森の無造作に伸びた黒い髪と、そこから覗くふたつの瞳が強調されるようだった。


「気分はどうですか?」


どうもこうも!と大森はわざとらしく声を立てて笑う。


「面白い人だなぁ田村さんは。気分のいい人間が自殺しようとしますか?」


「……なぜこんなことを?」


「それは『どっち』の話ですか?」


彼は口元にうっすらと笑みを浮かべたままこちらを見つめている。しかし不思議なことに、彼は田村を見ているようで見ていなかった。視線はこちらに合わせているのに、まるで遠くを、別の誰かをみているようだった。


「田村さん、俺にとって曲を作るっていうのは好きっていうよりかは、自分でいるために必要な行為なんです」


大森は穏やかな表情のまま、でもなぜか楽しそうな声音で話し始めた。


「曲を作ることで自分に存在価値を与えて、それで生きる理由を納得させてる。作った曲が世に出て、世間の評価を得て、その評価とともに俺の元に戻ってくる時に、ようやく俺の存在価値が認められる気がするんだ」


めんどくさいでしょう?そういうやつなんです俺、と彼は照れくさそうに笑った。田村は初めてこの男が笑うところを見た、と感じた。


「でも今の俺は曲を作れません。こんな状況になってアーティストとして活動ができないから、発表する場がないから、というのもあるけれど、昨日確信しました。俺はもう作れないんです」


「……だから生きる意味を見失って自殺に及んだとでも?」


ふふ、と笑う彼は少し視線を下げて、そして今度は本当に田村を見据えた。彼は仮面を被ったのだった。


「刑事さん」


形のいい唇から耳障りのいい声が紡がれる。


「僕が、今回の事件の首謀者です」




同じ頃、署では大変な騒ぎが起こっていた。行方不明となっていた藤澤涼架本人が、署に現れたのである。彼は血の気の失せた真っ白な顔で、乾いた唇を震わせながらしばらく立ち尽くしていた。失踪したときに身につけていたランニングウェアではなく、無地のTシャツにジーンズ、足元はサンダルという出て立ちだった。そして、ようやく口を開いてこう言ったという。


「僕が、今回の事件の首謀者です」






※※※

梅雨で涼しくていいなぁなんて油断してたら今日はぴかぴかの晴れだし暑いし週明けからはもっと暑くなるというし……夏が苦手なわたしはもう不貞腐れています

この時期のお花といえば紫陽花

わたしのプロフィール画面に設定している涼ちゃんと紫陽花の写真はめちゃくちゃお気に入りのものです

パソコンのデスクトップにもしています、癒し……

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コメント

10

ユーザー

圧巻。 言葉の海に溺れます。 大森さんの声が、画面の中から聴こえてくる。大森さんの表情が再現されています。🫠

ユーザー

いやもう圧巻の一言に尽きる、、、 すごすぎない?いろはさんの文章にはいつも魅せられっぱなしなんだけど、今回のは特に文章力だけじゃなくて、構成力というかなんだろう、頭よすぎません?? 続きが気になりすぎる!課金して先読み機能とかほしいー!

ユーザー

いろはさん、凄すぎます🫣 もう昨日からドキドキハラハラです💦 私もこの季節の変わり目、しんどいな〜と思いつつ、いろはさんのお話で補給してます🍏💕 いつもありがとうございます!

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