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荒れた街は、戦いの爪痕をまだ色濃く残していた。
崩れたビル、ひび割れた道路、折れた街灯。
それでも、人々は少しずつ立ち直ろうとしていた。
瓦礫を片付け、新しい家を建て、子どもたちの笑い声が戻り始めている。
そんな街の外れ、かつての商店街の裏手に、小さなアパートがあった。
古びた木造二階建てで、外壁は剥げ、階段はきしむ。
家賃は安く、誰もあまり気にしない場所。
ルナはそこに、部屋を一つ借りた。
最初はただの思いつきだった。
「ここなら、みんな私だけを見てくれる」
家族の視線がいつもレクトに向くことに疲れ、
影魔法を認めてもらいたいという、静かな渇望が背中を押した。
荷物は最小限。
魔法書二冊、着替え数着、わずかな貯金。
影を操って夜中に家を抜け出し、誰にも告げずにこの街へ来た。
部屋は六畳一間、狭くて埃っぽい。
窓からは隣のビルの壁しか見えない。
でも、ルナにとっては、それが心地よかった。
朝、目覚めると、窓から差し込む薄い光が床に長い影を描く。
影がゆらゆらと揺れて、まるで「おはよう」と挨拶するように。
ルナはベッドに座ったまま、指を軽く動かす。
影が蛇のように床を這い、壁を登り、天井を泳ぐ。
自分の魔法だけが、味方だという実感が、胸を温かく満たす。
昼間は街へ出る。
瓦礫の下に埋もれた人を救い、
倒れた看板を持ち上げ、
夜道を脅かす野犬を影で追い払う。
人々は驚き、感謝し、称賛する。
「すごい! 影魔法ってこんなに便利なんだ!」
「お嬢さん、毎日助かってるよ。本当にありがとう!」
「英雄だね、君は!」
その言葉が、ルナの心に染み込む。
甘くて、温かくて、初めて味わう感覚。
家族では得られなかった、純粋な賞賛。
ここでは、誰も「弟」のことを言わない。
誰も「フルーツ魔法の方がすごい」と比べない。
ただ、ルナだけを見て、ルナの影魔法だけを褒めてくれる。
夕方になると、帰り道に子供たちに見つかって集まってくる。
「ルナお姉ちゃん、影で遊んで!」
ルナは照れながらも、影を鳥やウサギの形に変えてみせる。
子どもたちは目を輝かせ、キャッキャと笑う。
その笑顔が、ルナの孤独を少しずつ溶かしていく。
夜は、屋上で一人で過ごす。
街の灯りが遠くに瞬き、空には星が散らばっている。
風が冷たく頬を撫で、影が足元で静かに寄り添う。
ーここが、私の桃源郷……ー
ルナは小さく呟いた。
家出して初めて、心から安らぐ瞬間だった。
家族のことは、できるだけ考えないようにする。
でも、時々胸がちくりと痛むのは、仕方ない。
楽しい生活が、こうして続いた。
一週間、二週間。
ルナは少しずつ普段の顔つきも明るくなっていった。
街の人たちとも自然に話すようになった。
影魔法は日々洗練され、
かつてないほど自由に、強く、優しく操れるようになった。
そんな甘い思いが、ルナの心を満たしていた。
──
一方、サンダリオス家。
夕暮れの広間は、重い沈黙に包まれていた。
暖炉の炎がぱちぱちと音を立てるだけで、
誰も口を開かない。
レクトが寮から久しく帰ってくると、
父パイオニアと母エリザが、疲れた顔でソファに座っていた。
テーブルの上には、ルナの部屋から見つかったメモ。
短い一文だけ。
『少し一人になりたい。心配しないで。』
「……ルナが、いなくなってもう数日……っ」
エリザの声は震えていた。
目元が赤く、編み物を握る手が白くなる。
パイオニアは煙草をくわえたまま、深いため息をついた。
「炎魔法で探しているが、影魔法の達人だ。
自分の影に隠れて、完全に気配を消している」
レクトは荷物を置いたまま、立ち尽くした。
胸が締め付けられる。
姉の冷たい視線、あの日の喧嘩、
「私の魔法が一番サンダリオス家に相応しい」と吐き捨てた言葉が、
すべて頭の中で渦巻く。
「……そういうことか」
小さく呟くと、両親が顔を上げた。
「レクト……?」
レクトはゆっくりと息を吸い、
二人に向き直った。
「俺の魔法を、特別扱いしないであげて。
姉ちゃんは、ずっと自分の影魔法を強くしようと頑張ってるんだ。
一人で鍛錬して、誰にも言わずに……
それなのに、俺との関係が戻ってから、俺のことばっかり見て。
姉ちゃんは、それを寂しく思ってたんだと思う」
言葉は静かだったが、確かな重みがあった。
「俺のフルーツ魔法が世界を救ったって、
それはもう過去のこと。
これからは、姉ちゃんの影魔法も、
同じくらい大事にしてあげて。
家族なんだから……!」
パイオニアとエリザは、互いに顔を見合わせ、
ゆっくりと頷いた。
「……そうだな。俺たちも、ルナを傷つけてしまったのかもしれん」
「ごめんなさい、レクト……
あなたが戻ってきて嬉しくて、つい……」
レクトは小さく首を振った。
「いいんだよ、
今は、探さないと……!」
三人は立ち上がった。
外はすでに夜。
星が冷たく瞬き、風が木々を揺らす。
パイオニアは魔法の杖を握り、
エリザは外套を羽織り、
レクトはバナナを一つ手に——。
家族三人、夜の街へ出た。
影のように素早い長女を、
今度は影に隠れないよう、優しく探しに。
ルナの家出生活は、まだ続く。
楽しい日々の中で、
でもどこかで、家族の声が聞こえ始めていることに、
彼女自身、まだ気づいていない。
夜風が吹き、
影は長く、ゆらゆらと揺れた。
桃源郷は、いつまで続くのか——
次話 1月17日更新!