「あんなに良さそうな人なのに……ですか? やっぱり、思い出せないこと自体が、痛みに変わっているのでしょうか」
アルベルトの目は虚空を見つめ続けた。
「分かりません。ですが……この家の中に入ったとき、急に景色が歪んだ気がしました。……現実が、偽物に置き換わるような、そんな感覚です」
そのとき、控えめな、けれどどこか粘り気のあるノック音が響いた。
「お茶ができました。入ってもいいですか?」
コロナリータの声だ。私たちは互いに視線を交わし、私は一つ頷いた。
「どうぞ」
扉が開き、彼女がお盆を持って現れた。
その瞬間、部屋の空気が微かに冷え、密度が増したような気がした。
テーブルにティーセットを並べていく彼女の手つきは、流れるように滑らかだった。
カップに注がれる琥珀色の液体からは、芳醇な香りと共に湯気が立ち上っている。
「熱すぎない温度だと思いますけど……苦手でしたら、言ってくださいね」
彼女の笑顔は親しみやすく、同時に、今にも消えてしまいそうなほど儚げだった。
「ありがとう。いただくわ」
私がカップに手を伸ばすと、アルベルトもゆっくりと姿勢を変え、ダイキリもお茶を受け取る。
「それで……皆さんはどうしてここに?」
コロナリータが、探るような、けれど柔らかな口調で尋ねてきた。
「……貴方、アルベルトのことを兄と呼ぶけれど……今の彼には、過去の記憶が一切無いの。もしかして、故郷であるスラムに行けば、家族に会えば、記憶を取り戻すんじゃないかと思ってここに来たのだけど……」
私は事実を、毒を含ませないように柔らかく伝えた。
「そっか……そうなんですね……」
彼女は、すべてを諦めたような寂しげな微笑みを浮かべた。
「いいんです……私も、昔のことはちょっとしか記憶がないですから。似たもの同士、ということかもしれませんね」
「え、貴方も? 昔って……いつごろの記憶?」
私の追求に、コロナリータは視線を落とし、ぽつりぽつりと語り始めた。
「あれは……確か私が13歳ぐらいのころで……。家で父と母とお兄ちゃんと、家族団欒の食事をしていたときです。突然、知らない男が3人ぐらい、土足で家に入ってきて……」
「『こいつを買い取る』って、お兄ちゃんが連れ去られそうになったんです」






