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「私が練習している『トランペットが吹きたい』も吹くんですねぇ」
「…………お前が練習しているのをチラッと聴いて、現代曲もいいな、と思ったまでだ。それに、お前も六月のコンクールで吹く予定なんだろ? レッスンするのに師匠の俺が吹かないわけにはいかんだろう」
思えば、侑がコンサートに出演とか、ここの所なかったような気がする。
瑠衣が学生の頃に見てきた響野侑は、演奏家のイメージだったが、今は、二つの音大で教えている講師のイメージが強い。
(先生、何か思う事があるのかな。在学中は、音大で教えながらJ響に入団して演奏活動してたのに……)
言いにくい事は承知で、瑠衣は侑に聞いてみた。
「先生、規模が小さいとはいえ、コンサート出演は久々ですよね?」
「…………ああ、そうだな」
「私が学生の頃に見てきた先生は……演奏家って感じでしたけど……今は二つの大学の講師のイメージです。演奏から指導へ方向転換したんですか?」
瑠衣の質問に、侑は腕を組みながら答えを考えているようで、逡巡した後、冷めたコーヒーを口にしながら遠くを見つめた。
「…………まぁ、そういう事だな。演奏するのも楽しいが、今は後進の指導に力を入れている。ラッパが好きだけど、伸び悩んでいる人たち、もっと上達したいと思っている人たちに、手伝いをしたいって気持ちが強いな。それに……」
侑が筋張った手を伸ばし、瑠衣の頬に触れる。
「演奏活動は家を空ける事が多くなる。特に地方公演となれば尚更だ。お前がいるから、長期に渡って家を空ける事は極力避けたいと思っている」
「そっ……そうだったんですね」
言いながら瑠衣は頬を赤らめ、顔を俯かせる。
冷徹な侑の口から考えもしなかった言葉が飛び出した事に、彼女は羞恥に包まれていくのを感じていた。
***
侑と瑠衣は、御茶ノ水にある中倉楽器本店に来ている。
彼は選定会の後にミニコンサートが控えているため、グレーのスーツにネイビーと白の細かい市松模様のネクタイを合わせている。
瑠衣も受付の仕事を手伝う事もあり、ダークネイビーのパンツスーツで来店した。
この日は土曜日という事もあり、来店客も多く、吹奏楽部の学生や楽器を趣味で続けている社会人が多い。
吹奏楽専門誌『バンドファン』にも、選定会とミニコンサート開催の記載があったようで、『イケメントランペット奏者の響野侑』に選定してもらえるとあり、女性客も多く来店している。