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―――五月某日
早くも夏の気配を感じる今日この頃。
暑がりな僕は腕まくりをして、垂れてきた汗を拭き取った。
妙に静かな教室。
ひっそりとした雰囲気。
僕の視界に入るのは、いつもあの人だった。
窓際の前から二番目。
彼女の長い髪は、風が吹くたびに優しくなびく。
どうしても目が離せない彼女は
言葉に表せないほど美しかった。
ふと振り向いた時のあの顔。
僕の心には稲妻が走るような感覚を覚えた。
だけど、そう思うのは僕だけでは無い。
奥手な僕は、話しかけるきっかけさえもが見つからない。
そんな僕だけど
チャンスは突然訪れた。
―――その日の教室は、僕と彼女の二人だけだった。
僕は一人で本を読んでいた。
彼女とは少し席が遠い。
意識は明らかに彼女の方に行っている。
下を向いているように見えても
本当は彼女を見つめていたい。
僕は我慢できなくなった。
左斜め前の席に、居る。
ふと見てみた
彼女は何かを描いていた。
色鉛筆を手に、黙々と作業を進めている。
ここで僕は決意した。
―――チャンスは今しかないと。
「あの……っ」
彼女の方を軽く叩いてみる。
彼女は手を止める。
後ろを向く。
___笑顔になる。
「どうしたの?」
湖のように透明な瞳。
その瞳が僕の瞳を覗いている。
この事は一生忘れない宝物になるだろう。
そんなことを考えつつ、僕は気が張っている中質問してみる。
「その………」
「今、何を描いてたの…?」
そう呟いた瞬間
彼女は先程何かを描いていたスケッチブックを見せてくれた。
その一挙一動もが美しく見えてくる。
「私、漫画を描いているの」
「ちょっと恥ずかしいんだけど……」
彼女は何かを思い出すかのように
どこか遠くを見つめた。
窓から空を眺めているようだ。
「小さい頃、隣の家に漫画家のお兄さんが居たの」
「優しくて、とても頼り甲斐のある人だったわ」
「でね、よく遊びに行かせてもらっていたからか」
「ちょくちょく作った漫画を見せてくれるようになったの」
顔には笑みを浮かべている。
だけど、その表情の奥には 違う感情が見え隠れしていた。
「でもね」
「ある日突然、本人から引っ越しを宣言されたの」
「その頃、もう有名な漫画家になっていたみたいで―――」
「だから私は、幼いながらに考えたの」
「もう漫画が見れないんだって」
「あの優しさに甘えられないんだって」
「当時、胸が締め付けられたわ」
「今考えると、あれは恋だったのかも知れない」
そう話す彼女を見ていると、僕まで胸が苦しくなる。
「だけどね」
「私、一つ気づいたことがあったの」
「?」
「私は彼だけじゃなくて」
「漫画も同等に愛してた」
「そこから漫画を描き始めるようになって」
「お兄さんにまたどこかで褒めてもらえることを、今もずっとずっと楽しみにしてる……」
「だからそのためには」
「お兄さんよりも凄い漫画を作らなくっちゃって」
「その思いはまだ変わってないわ」
彼女はそこで口を閉じた。
僕も続けて話し出す。
「僕も漫画が好きなんだ……」
「将来漫画家を目指してて…」
「そうなんだ…」
「いつも放課後、一生懸命手を動かしてるものね」
「み、見てたの…?」
「うん笑」
「は、恥ずかしいなぁ……っ」
「(まさか見られてたなんて…)」
「(…ってあれ、よく考えれば僕、ちゃんと話せてる…)」
「(漫画っていう共通点があったからかな…)」
「(にしても、まさか同じ趣味を持っていたなんて)」
「(思ってもみなかった…)」
僕の心は少し、温かくなった。