プロローグ 待雪草
誰かが死んだ。
それは幽霊なのか、怪物なのか定かではない異質なものだった。
だが遂に私達だけの戦争は終わった。
彼は手から赤黒い液体を流し、ふつふつと湧き上がる黒い影を際立たせている。
誰かはもう生き返ることはないように心臓の辺り赤く滲んでいる。
密会を重ねたあとの乱れた服装を直し、彼と持ち上げて湖の底へと捨てた。
滑らかに波が立ち、薔薇色が薄く浮いて、徐々に跡形もなく沈んだ。
心が折れたかのように膝から崩れ落ち、横たわった。
彼も私に合わせるように横たわり抱き合った。
漣のように冷風が身体にひんやりと触れて彼の温もりを消してしまう。
でも何故だか寒くはなかった。
感覚が麻痺してしまったらしい。
無造作に乾いた唇にキスをして、立ち上がる。
桃色のハンカチを渡し、拭いてと合図をすると従うように拭いた。
満足して学校の鞄を持つ。
彼の鞄も持ち、渡すと嬉しそうに仄かに笑った。
付き合ってもいないのに恋人のような素振りを演じて愉悦に浸っている私達は世間で言えば、馬鹿馬鹿しいだろう。
でもそれに肯定することが出来ない。
世の中には付き合っていなくとも身体の関係を持つ者は星屑のようにいて、どちらかが片想いをして関係が破綻するという想定外のことが起こり得る。
私は私達の関係を壊したくない思いに過ぎない。
西へと沈む太陽を眺めながら夕方の金星が煌めくのを待っている。
──木星。
目を瞑り、あの日の出来事を反芻して思い出す。
「清羅。」
振り返ると私の小指を握り、心配そうに見つめる彼の姿があった。
表で見せる無表情、無感情、無口とは一風変わったその姿は私を安心させてしまう。
気崩された制服を見れば、どれだけあの異質なものが重荷となっていたのかひと目でわかる。
「うん。」
なにも言わずに、ただ行く宛てのない道を彷徨うしか選択肢が見つからなかった。
世間や友人、家族からも拒絶されてしまうであろう環境に身を置いておくべきではない。
湖から遠く離れた場所へ辿り着いた。
「あれ?清羅ちゃんと烈くんじゃないの!」
驚いて振り返ると、吉川のおばさんが立っていた。
片手にはスーパーで買った高級食材が入った袋、もう片方にはブランドの香水を持っている。
「こんばんわ。」
「学校帰り?二人でデート?」
言い終わらないうちに早口で聞かれる。
鼻白んでいるのを気づいていないのか、気づいていないふりをしているのか分からない程おばさんは興奮気味だ。
面倒くさいなと思いつつも、いえと返した。
「あら、そうなの?わたくし達の間で話題になってるのよ。白金のマンションの最上階に住む幼馴染二人は付き合ってるのかって。」
「付き合ってないですよ。今は受験に集中している時期ですから。」
「そういえば清羅ちゃんと烈くんは受験生なのよね。志望校はどこなの?やっぱり白金医大付属?」
白金医科大学付属高等学校は受験シーズンの中学三年生にとって憧れの的だ。
私が住んでいる白金と、そう時間がかからない距離にあるのでたくさんの人から推されている。
その期待を失わせるように志望校どころか生きていく環境が失われてしまうのではないかと杞憂を望んだ。
「そうですね。」
「やっぱり!二人なら絶対受かるわよ!なんせ成績優秀だしね。」
成績優秀という言葉を聞いてズドンと重りが背中に落とされた。
「ありがとうございます。」
「貴方のお母さんと烈くんのお父さんがああいう関係になっていても、血筋がいい事には変わりはないからね。」
鼓膜を破りそうな衝撃が脳裏へと破裂させる。
唇を噛み締めて感情を抑制した。
「本当に災難だったわね、あのお二人が ──」
「清羅。」
おばさんの押しを引くように私の名前をさりげなく呼んだ。
あっ…とやっと気付いたように口篭るおばさんは気まずそうに目を逸らす。
それと同時に私も視線を落とすが、この気持ちを落とせない。
私の手を握り、彼は失礼しますと会釈をした。
商店街を歩く私達を、ひそひそと近所の人は話題に出す。
──可哀想に。
本当に可哀想なら同情などしなくていい。
同情とは虐めの一種なのだと出来事を通してわかった。
商店街を出ても私の手は彼に握られていた。
生ぬるく少し冷えた感じが堪らなく愛おしい。
誰かを不幸にさせた後なのに、この清々しさは何だろう。
つくづく私達は卑怯者なのだ。
「清羅と永遠を共にしたい。」
小さく呟いた彼の背中は以前よりも、ずっと小さく見えた。
頷くことも言葉を発することもせずに私は握る手を見つめ続けた。
世界の果てと共に私達の苦悩も果ててしまえばいい。
彼からほんのり漂う煙草の匂いを鼻に掠めて。
第一章 芙蓉
青城烈 処暑
プリントを拾うと、一人の女子と目が合った。
柏柳清羅。
名前の通りどこを見ても清らかで、薄い織物を覆いかぶせたような中身が見えない女子。
また、他人とは言えないようなとても関係の濃い女子でもある。
「ありがとう。」
感謝しているのか分からないような顔で、俺の横を通り過ぎる。
この学校にも清羅と似たような女子は山ほどいるが、あの女子だけは何かが違う。
これという明確な理由は無いが、己の直感とやらが清羅を指している。
俺と関わる無愛想な女子は皆同学年、いや下手したら下級生にも圧力をかけられている。
ただ、清羅には一切そういったことが無い。
俺が聞き逃したり、見逃したりしているのかもしれないが何となく無いと言い切れるのだ。
きっとその理由は清羅の両親の圧力と、富、自身の兼ね備えた数々のパーツにある。
清羅の両親は大企業の会長と有名企業の社長令嬢であり、世界を見てもトップを争うほどの財力を有している。
エリート家系の血筋を完璧に受け継いだ正真正銘の洗練された淑女は人々の羨望の眼差しで溢れている。
巷によれば、裏組織を利用し、清羅の親の会社の情報を漏洩をした家の全ての者が社会復帰が出来ないくらいに落ちぶれてしまったらしい。
廃人と化した娘と息子、倒産した会社の元社長夫妻。
ゴシップネタとして一時期流行っていたのをインターネットで見てしまった。
──やっぱり烈さんと清羅さんはお似合いね。
──あんなみすぼらしい庶民なんかじゃなくてね。
皆が注目する生徒が長い廊下を走り抜けた。
ドスドスと養豚場に住む生き物がこちらへと突進してくるような重いものを受け止めるのが俺の日課だ。
「烈くん好きです!これ受けとって!」
俺の掌にラブレターを置き、満足したかのような顔で逃げる。
念の為中身を確認してみると、一見何の変哲もない文章が記されていたが、違和感が隠されていた。
一本の髪の毛、付き合わないと殺すという文章、柏柳は卑怯者と英語で記されてるもの。
ラブレターならぬ脅迫状で鳥肌がゾワゾワとたった。
ラブレターを持ちながら歩いていると、廊下の窓から清羅の教室が目に入った。
誰ともコミュニケーションをとらず、黙々とミステリー小説を読んでいる。
長く整えられた髪の毛を邪魔そうに掻き分けて、また読み続けるのだ。
不意に謎めいたものが身体へと打ち付けられたような感覚に陥り、翻弄してしまう。
心臓の鼓動がどくどくと早まっていき、思わず立ち尽くしてしまった。
暫く彼女へと見惚れて呆然とした。
後ろから走ってくる生徒が俺の肩へとぶつかって、やっと瞳が揺らいだことに気づいたのだ。
ラブレターを破き、手からすり落ちていく粉々になった紙くずを放置する。
手元に何も無くなった所を彼女で埋めたい。
俺と接する彼女の思いで隙間なくピースを完成させたい。
「れーつ。」
肩へ手を掛けてくる聞き慣れた声に耳を傾ける。
「もう十六時だけど帰らないの?」
クラスメイトの長谷川翼。
そこまで話さない浅い関係なのに、声が特徴的だからか慣れてしまう。
「清羅と帰る時間じゃないから。」
「清羅ってあの柏柳さん?!幼馴染なのは知ってたけど、そこまで仲良いのは知らなかったわー。」
仲が特段良いとは該当しないが、清羅のクラスの女子よりかは良いと断言出来る。
クラスの女子の場合は仲良くしたいというよりも、お近付きになりたいという尊敬の塊の方が大きい。
少しの特別感で頭が満たされた。
「えっ、もしかしてお付き合いしてたりする?」
お付き合い。
それは俺がどれだけ望んでいたとしても、手の届かない領域に存在する儚き言葉。
俺自身が一方的に好いているだけで、清羅は微塵たりとも受け入れる姿勢を見せない。
悲壮的になった俺は付き合ってないと否定した。
「えっ、付き合ってないの?でも烈は柏柳さんのこと好きなんだよね?」
「….さぁ。」
好きだと言ったところで、口の軽いクラスメイトが口を割らないわけがない。
そのままの関係でいい。
欲を見出したら、刺敦那のように釘の刺さった部分に欲を刺して軽蔑を免れない。
欲は悪なのだ。
「つまんねーの。ゴシップネタとして利用しようかと思ったのに。」
ほらと確信をついた。
もはや彼にとって俺達の関係など更々どうでもいい。
己の地位を何もしなくとも死守出来る俺と違って、彼は装備も武器も持っていない。
スクールカーストが存在する名門校で、0.0001%の生徒と同じ土俵にたつためには最低限何かを兼ね備える必要がある。
そこを彼は狙っているのだ。
「俺達を使って点数稼ぎしようとしてたんだな。見損なったよ。長谷川くん。」
俺が耳元で囁くと、絶望の淵に立たされたかのような彼は崩れ落ちた。
彼の中では対等な目線で話せる唯一のクラスメイトの枠を狙っていたのだろう。
そこを剥奪されただけで普通の人と格段に下がる。
気の毒だが、ヒエラルキーとは社会の在り方であるのだ。
ヒエラルキーが変われば、また社会の縮図が変わる。
教室へ戻り、帰り支度をしながらスマホでメッセージを打った。
『もう着いた?』
既読がつかない。
まだ着いていないという合図だ。
この学校では校内でスマホの使用は禁止されている。
公立中学校でも当たり前だけれど、教員の俺へのあからさまな贔屓と、高待遇は尋常ではない。
それは清羅でも同様に変わらない。
俺たちからの多額の寄付金でこの学校は成り立っている。
一年時の頃は不平不満を漏らす先輩や同級生がちらほらといたが、二年時に上がった頃には嘘のように跡形もなく居なくなった。
清羅と俺の親の圧力を象徴するような出来事だ。
通知が鳴り、スマホを開くと、やはり清羅からのメッセージが表示された。
『着いた。』
わかったと送ると、すぐ既読がつき、もう一通メッセージがきた。
『あと、鴨川さんもいるのだけど、一緒に帰ってもいい?』
鴨川、鴨川、鴨川…
頭の中からほじくり出してしまいたいと考えても、頑なに出ようとしない。
その場のノリでいいよと返した。
そちらへと行けばあやふやとなっていた問いを解くことが出来る。
スマホを鞄にしまい、昇降口まで歩いた。
靴を履いているとクリーム色と群青色がグラデーションがかった空が目に入った。
学校帰りは清羅と有意義に話しながら帰れることと、この空を見て帰ることが癒しだった。
「清羅。」
清羅は長い髪をポニーテールで結んでおり、こちらを振り向くと髪が揺れた。
横にいるのは鴨川という人物だろう。
ん…?
頭の中の残像がすーっと出される。
俺にさっきラブレターを渡した女子なのだと今更ながら気付いた。
「あっ!烈くーん!待ってたんだよ!….清羅ちゃんと一緒に。」
少しの間に違和感が生じる。
清羅と呼ぶのを躊躇したかのように不慣れな言葉だ。
「鴨川さんと仲良かったんだな。」
「うん、先程会ったの。話してるうちに気が合って。その流れで一緒に帰ろうと提案されたの。」
一瞬で感じた。
清羅は騙されている。
俺に好意を寄せる女子の中で格別違うストーカーのような女が素直にライバルの女子と親しくなるはずがない。
おそらく清羅を使って俺に好印象をもたせようとしている。
吐き気がしそうだ。
「そうなの!だから烈くんも私の事、愛って呼んでね。もうすぐ付き合う仲だし!」
お前と付き合う気は更々無いと口から吐き出してしまいそうだ。
俺が本当に付き合いたいのは ──…
言い淀んだ俺をカバーするかのように清羅は先に歩いた。
後を着いていくと、後ろ姿が気になった。
艶やかな髪の毛と首筋が細く、俺が誕生日にプレゼントしたペンダント。
耽ける思いで胸にナイフが刺さったような衝動が走る。
「鴨川さんとは、そんな仲じゃない。」
「貴方が遂に恋をしたのかって歓喜したのに。なら、本当の好きな人はだれ?」
勿論 ──と口にしてしまう欲を抑えた。
胸が苦しくなっていく。
「冗談よ。驚いた?」
こちらを見て揶揄うように笑った。
久しく見た、含みのある笑顔は、翻弄されてしまっても良いと自然に思うようになってしまう。
つくづく清羅は愛おしい。
「驚いてない。」
「そう言うと思った。愛さんは烈のこと好きなの?」
「大好きかなぁー。烈くんも私の事好きだって思ってくれてるよね?」
「….いや。」
「なら、愛してくれてるってことだよね?」
「申し訳無いが、俺好きな人いるから。君のことは好きになれない。」
視線を清羅の方へ向けると、少し驚いたように俺を見つめている。
このまま伝わってしまえば清羅も俺を意識してくれのかもしれないと、微かな希望をもった。
「なにそれ、烈くんは私の事微塵たりとも好きじゃなかったの?なら、何で私に目線を送るの?」
目線を送るというよりも、見ていただけという表現があの場には相応しい。
大抵、この学校に通っている生徒は身なりをそれなりに整え、自分をいい意味でも悪い意味でもよく見せようとする。
その中に紛れ込む肥満型のみすぼらしく卑しい女は誰もが目に入ってしまうだろう。
「目線を送ったつもりはない。人よりも遥かに目立つから見てしまっただけ。いい加減気づけよ。」
眉根を寄せてにらむ。
怖気付いて怯える女を無視し、清羅の横へと寄った。
鬱憤を晴らせたかのように居心地が良い。
「愛さんを傷つけているから謝って。」
小さな声で囁く清羅に少しの不満を持つが、従うことしか出来なかった。
仕方ないと自分を宥めて、すまなかったと謝罪をする。
また自分は好かれていると勘違いしたのか、俺の腕を組み、胸を寄せ付けた。
「愛さんは烈のどのような所が好きなの?」
「烈くんは誰に対しても冷たいし、でも時折見せる優しさと強さが好きなの!でもやっぱりお金がある所も好きかなぁー。」
魂胆が丸見えだ。
このような人間を幾度となく見た事がある。
俺のことを好きと想いを伝えておきながら、結局は財産と権力目当てという女子達。
俺の中身を知ろうとしてくれるのは清羅のみだ。
だからこそ彼女を信頼出来る。
「そうなの。確かにお金があって優しくて、強い男の子には惹かれちゃうよね。」
「そうでしょうそうでしょう!清羅ちゃんも少しは努力したら?」
わざと嘲笑し、下に見る女を清羅は何も思わずにそうだねと受け流す。
なんて清らかな女の子なのだろうと感心してしまう。
やはり血筋の違いから滲み出る格差は徐々に生じてしまう。
何もかもが違う清羅に女が勝るわけがない。
「可哀想、清羅ちゃん。誰からも愛されないで。烈くんからも、お父さんからも、はたまたお母さんからも….ね。」
意味深な言葉を並べ、女は横に視線を向ける。
何か複雑な予感が怖い。
恐る恐る横を見ると、そこには惨憺たる光景が広がっていた。
街角の奥に潜む俺の父と清羅の母の姿が、幻と化していく。
「….」
何も言わず、寡黙な清羅は先を見通しているようだった。
俺には悲しみが零れるように、水溜まりに一滴の水が垂れる。
それは清らかなものではなく、混濁したものだ。
視線を右に落とすと、視界の隅に衝撃なるものが張られていた。
──カメラ…?
俺の退屈な人生の終末が始まろうとしている。
柏柳清羅 処暑
窓から外を眺めていると、一人の男子と目が合った。
他クラスの青城烈。
いつも誰かと行動するのに、中庭へ行く時だけは一人でいる。
十五年間共に過ごしてきたが、これといった特別な感情は湧かなかった。
たとえ烈に麗しく高貴な彼女が出来たとしても何とも思わないだろう。
「清羅?」
烈が私を見る目線は、他の男子よりも遥かに違う。
繊細な生き物を丁重に扱うような。
他の男子は、私や烈と極力関わろうとしない。
関わるとしても、お金を集ってくる時や、嫉妬心を突こうとする時のみ。
校舎ですれ違う烈はそこを容認しているのか、定かではない程の居心地の良さを感じている。
私の周りには、烈のことを異性として好きな女子が数多のようにいる。
年齢問わず、一学年に一人は烈のことが好きな女子がいて、一ヶ月に一回は告白されているのを見た事があった。
その理由は、きっと烈のスペックや雰囲気などの全てにある。
烈の父親は、様々な事業を展開する世界でも類を見ない起業家である。
また、趣味や部活動で行っているバレーで全国大会までいく実力をもっていたり、一学年三百人ほどの筆記試験で学年一位をとったことがある。
烈を知る女子達は、文質彬彬やら高嶺の花やら都合の良い言葉を並べたがる。
癖のない射干玉の繊細な髪の毛、細身に反する武骨の手、昆虫が羽を閉じたような長い睫毛。
誰が見ても見目麗しいと思うのは当然だ。
ただ、それは表面上に過ぎない。
烈は豪勢たるマンションの家を最もこの世で嫌い、厭っている。
告白してきた女子は烈の事を考えながら豪奢に相応しいプレゼントや、身なりを着飾るのだが当然拒絶されてしまう。
全ての女子が、それらの経験から烈の事を徐々に理解してきた。
ごく稀に、理解した気でいる中身を一切みない女子はいる。
そういった類の者たちは、烈の親によって揉み消されていく。
今となってはタブーの話題になった。
「….烈、なんでそこに?」
「俺の休める場所はここしかないから。」
烈にとっての休息は、学校の中央に位置する広大な中庭だ。
「清羅は昼休みどこか行くのか。」
「図書室に行くの。私、本が好きだから。」
貸し出される本は、ジャンルによって好きの理由が違う。
恋愛は非現実的な空想をイメージさせてくれ、SFは己の知識を引き出してくれる。
ミステリーは意外な展開が読めない、サスペンスは主人公を自分に反映させることが出来る。
あいにくホラー小説だけは読むことだけは苦手だ。
想像するだけで、苦味を感じさせてくる。
でも、図書室に行けばホラー小説でなくてもジャンル別に置かれる本を無料で読める。
本は自分を地層のように硬化させることが出来る。
「相変わらず本が好きなんだな。」
「烈も本が好きなのでしょう。」
「今は嫌いに等しい。」
幼少期、年間三百冊程読んでいたというのに何を恥らしくするのだろうか。
「何故?」
不思議らしく首を傾げた。
「父が強要してくるから。」
烈は私と同じ。
烈や私の父は、子供を操り人形のように粗末に扱い、壊れて操縦できなくなったら捨てる。
その繰り返し。
でも小さな不幸があっても大きな幸福で囲まれていれば、自分の人生は幸福だと定義される。
私は幸福の人生を辿っている。
「そう。やっぱり私達は幼馴染ね。」
烈の顔が灰色に曇る。
彼は時折、小さな不幸を感じたように顔が裏へと変わる。
「そうだな。」
「じゃあ、私はもう行くね。」
「….うん。」
烈の顔が静かに萎びた。
会話が途切れたところで、私は図書室へと向かった。
並行世界のように均一になる関係をギリギリで保っていれば、私は満足する。
浅はかな女だと失笑されるとすれば、それを褒め言葉として受け取りたい。
「おかえりなさいませ。お嬢様。」
いつものように一斉に出迎えてくれる使用人達にただいまと言い、リビングに行く。
ペントハウスと呼べれるに相応しく輝かせたシャンデリアと装飾の数々。
ダイニングテーブルの後ろにある棚の二段目には、私の受賞したメダルとトロフィー、賞状が全て飾られている。
そこには家族という文字を表すかのような写真は一切無い。
世間でいう典型的な上流階級が合わせられた一つの集団に過ぎない。
所詮彼らは他人。
「清羅、今日の小テストはどうだったの?」
やはりと自分の中での賭けが勝利を収めた。
娘が学校から帰宅した際に第一声にする言葉は、おかえりなさいであるべきだ。
そんなことは一回も無い。
「満点でした。」
「そうなのね。見せなさい。」
言われるがままテスト用紙を見せた。
「次も頑張りなさい。あぁ、それと今日のディナーは貴方の好きなラタトゥイユがあるから味わって食べなさい。」
今日は母の機嫌がいい。
昨日は妹、來夢が小テストを一問間違えただけで、家の家具一部を床に落として壊した。
機嫌が頗る良い時と悪い時の差がとても激しい。
だからか、幼少期から母と父の顔を窺う癖がやたらと身についてしまった。
「ありがとうございます。」
深くお辞儀をする。
「そういえば、最近烈くんとよく話してるんですってね。マンションで話題になってるわよ。」
「そうなのですね。」
確かに、マンションに入ると妙に視線を感じた。
冷やかしの目も勿論あると思うが、怪訝な目で見つめる人が大多数だ。
──やっぱり清羅さんは烈さんとお付き合いなさるのかしらね。
お付き合い…
まともに考えたことがなかった。
受験で自分の心は精一杯に埋められている。
その目で見られることはあっても、それに対して特別何かを言われるのはなかったような。
私の将来はマンションの住民が言う相応しいお付き合いをするべきなのだろうか、自分が惹かれた人とお付き合いをするべきなのだろうか。
たとえそれが母の嫌う庶民でも許しをしてくれるのだろうか。
ただ私は私が選んだ人と結ばれてしまいたい。
愚かなる選択でも愛する為ならば、選択を誤ってしまっても後悔と言えない。
母と父のように政略結婚で終わらせるのは愚かだと言える。
烈を仮に好きになったら、相応しいどうこうではなく烈と付き合いたいと本能で思えたら。
一番手っ取り早い選択だ。
「貴方は烈くん以外を好きになってはダメよ。來夢や睦生、姫衣菜、直大とは違うの。貴方は最高傑作なんだから。」
ことある事に言う口癖が飽き飽きとする。
テスト用紙を握りながら必死に口角を上げた。
「ありがとうございます、お母様。これからも最高傑作として頑張りますね。」
「これは貴方の為を思って言っていることを理解しなさい。五人姉弟の中で愛しているのは貴方だけよ。他の四人は貴方の足元にも及ばない。私立受験には落ちるし、受かったとしても成績は最底辺、賞もとらないし。」
「ねぇ、清羅はどう思うかしら。あの四人のこと….」
蛇行したような目で私を見つめる。
私のすぐ後ろには妹や弟達がいるというのに、何故試そうとしているのか理解出来ない。
妹や弟達を傷つけたくない気持ちが半分、親に逆らえない気持ちが半分。
割れた意見に、頭までもが割れそうだ。
「良き妹や弟達だと思っています。私がお母様を愛しているように私もあの四人を愛しています。」
これが最善の答えだった。
「残念ね。清羅はそんなこと言う子ではないと思っていたのに。まぁいいわ。」
興味を無くしたかのようにそっぽを向き、スマホをいじった。
私は戦争に勝利したと思い、妹や弟達の方へと走った。
愛する四人の為ならば、痛めつけられても身を捧げられるのが姉だ。
大丈夫、大丈夫と繰り返し、心の中で唱えながら四人を抱きしめる。
泣きじゃくる声を一切出さずに私の胸で泣く四人は唯一の家族に等しい。
ごめんなさいと言いながらそれぞれの頭を撫で、謝罪をする。
「お姉様、本当に私達を愛しているのですか?」
「当たり前でしょう。」
生まれた場所が違う所ならば、どこへだっていい。
それこそ庶民の家の方が愛されて育つのだから、羨望の眼差しを向ける。
疲弊した私はどこまでも不幸に落ちていく。
私はもう一度家から出てエントランスへ向かった。
夕焼けがエントランス内に差し掛かる下の椅子で、烈は座っている。
烈は、いつも通り軽装でノーネクタイ、スニーカーだが私は学校帰りのまま。
「少し遅かったな。」
「ごめんなさい、約束の時間より遅かった?」
「五分程度だから良い。」
毎週金曜日に私達はエントランスで集まって、少しだけお話をする。
ここでは完璧ではなく、普通の十五歳の子として対等な目線で話す。
不思議と烈と話していると居心地が良い。
妹や弟達と会話するのもいいが、烈と話すことでストレスが緩和される。
安らぎのような存在は、この時だけ有効になる。
十七時から十七時半まで。
「数学の小テスト、特進選抜Bクラスやったか?」
「やったよ。いつも通り満点だった。」
「俺も。」
「一緒ね。あ、そういえばスマホで見たのだけれど、これ。」
スマホのページを開いて見せる。
「烈が好きそう。甘いもの好きだったよね。」
スマホに載っているのは超巨大苺パフェだ。
本来、税込五千円するものが期間限定で二千円になっている。
「好きかと言えば好き。」
「食べに行かない?六本木にあるらしいのだけど。」
「清羅とだったらどこでも。」
耳が桃のように薄ピンクに染められている。
烈の感情は表には出ないが、端には出ている。
本人はその自覚がないようで、手で風がくるように扇いだ。
「ありがとう。….烈、加賀さんに告られたの?」
休み時間にクラスの女子の話題になっていたことを盗み聞きしていた。
Fクラスの加賀奈津美さんが校舎裏で告っていたと、乙女のように皆に話していた。
「….加賀?」
不思議そうに首を傾げた。
「Fクラスの。男の子達が一度は好きになると噂の。」
「覚えてない。」
私の期待も虚しくぶった斬られ、密かに落胆した。
「烈はあまり人に興味が無いのね。」
「興味があったところで期待をするのが人間だろ。期待は弱み。」
烈を気の毒に思う。
父親の口癖が叩き込まれたように、身体に浸透して、意図せずとも軽く口にしてしまう。
それが正しさなのか分からずとも、正しさの根源である父の習いは絶対なのだと教え込まれ、間違いを疑わない。
洗脳された教育は、信念を徹底的にぶち壊す。
「….烈は少し自分で体験して物事の理論を理解した方がいいかもね。」
「何故?」
「数学も化学もそうでしょう。自ら行うことによって疑問は解かれる。他人に頼りすぎると疑問を疑問のまま理解してしまうだけ。」
「やる意味が見つからない。」
「私とやってみましょう。もしかしたら見つかるかもだしね。」
真摯な目から逃れるように視線を落とす。
烈はどんな意味であれ、どこも変わっていない青年なのだと思い知らされる。
虐待をうけている私達は、子供としての未熟をもったまま社会へと飛び立つ。
意思を硬くすることは出来ずに悲観的になっていく。
対処のやり方すら分からない。
ふと通知を見ると、丁度メッセージがきた。
『学さん、次はいつ会えますか?』
一瞬だけ点灯して刹那の時間に消えた。
私の苦悩はいつになったら解放されていくのだろう。
私の世界の終焉の時計が徐々に動き始めていく──…
コメント
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不運すぎて辛い(泣)
何で親って高望みをするんだろうね。子供を自分の物としか見ず、本人の気持ちや期待を一瞬で壊してしまう。そんな親を理解してなお努力してる子供は凄すぎる。 にしても、やっぱり恋愛とミステリーはとてもいい組み合わせ!! この話は恋愛の方が強いけど、次はどのように壊れていくのか気になる!!!
ここからどう崩れていくのか楽しみ!ああいう関係がなんとなくわかる笑