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『お餅』🌹
うわぁ
140
短編小説 7/? 1/? 1/?
扇子の音が現実を爆破するように響き、僕の意識はさらに濃密な、おあきの記憶の深層へと沈んでいく。
さらに時は流れ、追体験の景色は冬の気配を帯びていた。
始まりは、あまりにも残酷な報せだった。故郷の父が、ついに餓死した。その事実をおあきが聞きつけた瞬間から、彼女の心は完全に壊れた。
「どうして、どうして……っ!」
おあきの中から湧き上がる、日に日に膨らんでいくどうしようもない憎悪を、僕は彼女の肉体を通じてリアルタイムで感じていた。それはドロドロとした黒い泥のように彼女の魂を侵食し、やがてすべてを焼き尽くす狂気へと変わっていく。
そして、いよいよ五月雨家を追い出される日が近づいてくる。
おあきの憎悪のピークは、限界点に達しようとしていた。
───空は一面、光を一切通さない完全な曇り空。
───どんよりとした灰色の雲が、屋敷の庭を暗く沈ませている。
おあきは、自分の部屋で背を向けて座る五月雨様に対し、何十度目かになる直談判を試みていた。家族の命を奪い、自分を欺き続けたと思っている目の前の「恩人」への、殺意の混じった最後の訴え。
そして、訴えが更なる憎悪を引き起こすその瞬間。
どこからか、静かな笑い声が聞こえた。歪みであった。
そして、外側から「謎の力」が強引にこの過去の記憶へと介入してくる。おあきの激しい憎悪に塗りつぶされていた僕の精神が、その声が響いた一瞬だけ、明確な「薫」としての意識を取り戻す。
今だ。ここに、仕掛け(布石)を刻む
僕は、おあきの身体の主導権をほんの一瞬だけ借り、そして…
「僕は思います。不器用で、どうしようもない結果になった。貴方方はそれでも、まだ守り続けているものがあると。」
言い放つ。
それはおあき自身の絶望でも、五月雨への呪詛でもない。五月雨さんはもう亡くなっているのだから。
あくまで、僕の予想。もう一つの視線の正体も大方これの可能性が高い。なら、この言葉は通じるはず。
怪異となった彼女を僕が救うための仕掛けとなる言葉。たとえ、卑怯と思われようと。僕は語った。
そしてその瞬間、
───厚く垂れ込めていた完全な曇り空の隙間。
───まるでこの奇妙な一瞬を祝福するように、薄すらと一筋の夕日が差し込み、部屋の中を朱く染め上げた。
五月雨様は、僕の言葉が耳に入り意味が分からないと怪訝な顔をしているのだろう。ゆっくりとこちらを振り返ろうとすらしていた。
その微かな動きの向こう側、庭の少し遠くにある生い茂った茂みの暗がりに、僕は「それ」を見た。
……一匹の、タヌキの姿。
置物ではない。
───生きたその獣は、曇り空の隙間から差す薄い夕日を浴びながら、こちらをじっと見つめていた。
その目は、おあきの悲劇的なすれ違いを心底面白がっているような、嘲笑うかのような、粘りつくような「笑っている視線」だった。
あいつが、この歪みの元凶なのか───?
タヌキの邪悪な視線を脳裏に焼き付けた直後、謎の力の介入は解け、僕の意識は再びおあきの圧倒的な憎悪の奔流へと呑み込まれていく。
けれども、視界も痛覚も共有されている。故に、ある木造をみた。刃がおあきの五感を奪うところも体験していった。
───僕の鼓動は確実に高まっていく。
・
・
・
「───」
再び時が流れた時、視界は血の赤へと染まっていた。
───それは椛の葉が舞っている、日を跨ぐ時間帯であった。
廊下に広がる、臓腑の出た家臣たちの亡骸。亡骸には、多くの切り傷が、地中から這出た無数の根が纏わりついていた。
木の根のような捻れた腕には、沢山の返り血が着いている。五月雨さんも例外ではなかった。凄絶な裏切りは既に取り返しのつかない形で終わっていたようだ。しかし、五月雨様が息絶えた瞬間、僕たちの周囲を包んでいた過去の景色は、ガラスが割れるように唐突に、ぶつ切りとなって崩壊する。
「!?」
気づけば、僕はあの薄暗い神社の境内の地面へと引き戻されていた。
今度は体が元に戻っている。彼女は何がしたいのだろう。だが、一息つく間もない。地中から這い出た赤黒い「根」が僕を逃がさぬように、幾重にも、強固に包み込んで繭を形成していく。
───鼓動がより最高まで高まるのを感じる。
追体験は終わり、ここから、僕のすべての感情と感覚を削ぎ落とす、最悪の更なる呪いが幕を開ける。
そして、僕の高まった鼓動は無に帰した。
コメント
1件
ああ、やっぱり来たか……という気持ちと、やっと姿を見せたなという気持ちが混ざってます。タヌキ、あの「笑っている視線」の正体がまさかそこにいたとは。つい「なるほど」と声が出ました。 おあきの憎悪に飲み込まれながらも、薫が一瞬だけ主導権を握って刻んだ言葉——あれが後々どう効いてくるのか、もう気になって仕方ないです。曇り空の隙間から差し込む一筋の夕日が、あの場面の異質さを完璧に引き立てていましたね。伏線の貼り方が本当に上手い。続きが待ち遠しいです。