トラビスの天幕に着き、声をかけた。
すぐにトラビスが顔をのぞかせて、驚きの声を上げる。
「えっ?どうされました?レナードの所へ行ったのでは?」
「行ったよ。ゼノを預けてきた。僕はクルト王子の様子が気になって戻ってきたんだ。王子はどうしてる?」
トラビスが「どうぞ入ってください」と入口の布を持ち上げる。
僕とラズールが中に入ると、トラビスが布を戻して再び結界を張った。
クルト王子は、両手を後ろで縛られ、天幕を支える太い柱に身体をくくり付けられていた。そして大人しく俯いて目を閉じている。
僕はクルト王子の前で足を止めてフードを取ると、小さくトラビスに聞く。
「静かだね。ずっとこんな様子なの?」
「そうです。柱にくくり付ける時も暴れることなく大人しかったです」
「それなら心配する必要はなかったかな」
「どういうことですか?」
聞こえづらかったのか、トラビスが僕に顔を近づけた。
するとラズールが間に割り込んできて、トラビスを睨みつけた。
「近いぞトラビス。こそこそ話したところで第一王子には聞こえている。フェリ様も、トラビスから離れてください」
「おまえは本当にフィ…フェリ様が大好きだな」
トラビスが呆れたように言う。
僕もため息をついてラズールを見ていると、視線を感じた。感じたままに、ゆっくりと顔を横に向ける。そしてドキリとする。
目を閉じていたクルト王子が、顔を上げてまっすぐに僕を見ている。
僕はそっとラズールの腕に触れた。
ラズールも気づいて、剣の柄を握りしめる。
待ってというようにラズールの腕を押して、クルト王子に話しかける。
「クルト王子…喉は渇いていませんか?お腹が減ってはいませんか?何か要望があればお聞きします」
「別に水も食料もいらぬ。要望があるとすれば、この拘束を解け」
「あなたが軍を引き上げると約束してくだされば、解放しますよ。でなければ、しばらくは人質になってもらいます」
「…俺を人質にしたところで、父上は動かない」
「そうでしょうか。大切な跡取りですよ?」
「俺がいなくともリアムがいる。貴様もリアムの方が、王に相応しいと思ってるのだろう?」
「リアムは立派な方です。強くて優しくて。でも、王に相応しいかどうかはわかりません。強くて優しいだけでは、優れた王にはなれませんから」
「貴様は優れた王なのか?」
「いえ…私はダメです。王の器ではない。何もかもが足りない。周りに助けてもらって、なんとかなっています」
「ふん、頼りないことだ」
「そうですね」
クルト王子がそっぽを向き、しばらく黙り込む。そして再びこちらに向けた目の中に、刺々しさが消えていた。
「一晩考えさせてくれ。いいか?」
「わかりました。ただ拘束は解けませんが…」
「構わない」
「良い返事を期待してます」
「さあな」
クルト王子が再びそっぽを向く。
僕は軽く目礼をすると、ラズールと強力して天幕の周囲に強力な結界を張った。そしてラズールにクルト王子を見張るように言い置いて、トラビスを外に連れ出した。
「フィル様、いいのですか?ラズールを置いて出てきて。すごい目で睨まれたんですが…」
「いいんだ。ラズールは絶対に反対するから聞かせたくない」
「どのような話をされるのか怖いですね。内容によっては俺も反対しかねません」
「トラビス、おまえにしか頼めない。だから協力してほしい」
「…なんでしょうか」
「裏の森に行こう。そこで話す」
「かしこまりました」
僕とトラビスは天幕の間を抜け、高い木々が並ぶ森に入った。森の入口からは姿が見えないくらいの奥に進んで止まる。そして振り返るなり気になっていたことを聞いた。
「トラビスはネロのことが好きなの?」
「…え?は?いきなり何をっ…」
「ふふっ、好きなんだね。ネロもトラビスのことが好きみたいだし、いいと思う」
「いやっ…え?あ…」
慌てふためくトラビスを見て、自然と笑顔になる。僕の大切な人が幸せだと嬉しい。
ニコニコと笑う僕を見て、トラビスが更に困惑している。
「あの…このことを聞きたくて俺を連れ出したのですか?」
「うん、まず確認したかったんだ。トラビスにとってネロが大切かどうか。全力で守ってくれるかどうか」
「もちろん最優先はあなたですが、ネロのことも守りますよ」
「トラビス、今からおまえの最優先はネロだ。そう誓って」
「それは…」
「では命令だ。おまえはネロを守れ。何がなんでも守れ。いいな?」
「…あなたの命令とあらば…そうします」
「うん、ありがとう」
困惑した表情から険しい表情に変わったトラビスから目を逸らして、僕は空を見上げた。
木々の間からのぞく空が青くて綺麗だ。春になったばかりの森の中には、陽光が当たる場所に可憐な花が咲いている。こんな気持ちのいい日に、国境を挟んで軍を配置して、睨み合ってるなんてバカみたいだ。
僕は今の状況の解決法がわからない。そしてこれから僕の希望を優先しようとしている。王失格だ。
「なにを考えているのですか?」
「僕はね、たぶん、もう長くは生きられないと思う」
「なぜ、そう思うのですか?」
「これを見てくれる?ドレスを脱いだ時に気づいたんだ。つい今朝までなかったのに…」
トラビスが僕を見つめる前で、マントと上着を脱いで地面に落とす。そしてシャツのボタンを全て外すと、両手でシャツを開いた。
トラビスの目が大きく開かれ、右手が僕に向かって伸ばされる。
「ああ、まるで花が咲いたような…」
トラビスが呟いた言葉に、僕は答える。
「花ならば、毒の花だ」
普通に吐き出したと思った僕の声は、ひどく震えていた。
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