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Side 黄
そっと、ドアを開ける。入った空間も静かだ。
窓から柔らかな陽光が降り注ぎ、室内を明るく照らしている。
外には中庭があり、桜の木が植えられている。でもまだ満開には少し時間がかかる。
一人分の居室としてはいささか広すぎる部屋には、一つのベッド、そこに横たわる人間を生かすための装置が並んでいる。
点滴や心電図、酸素投与の機械……分かるのはそれくらいだ。
「樹」
そのベッドに向かって、声を掛ける。すぐに返事が来なくなったのはいつからだろうか。
顔をのぞき込むと、目を閉じている。でも息をしているのが、緑色のマスクが曇るのでわかる。
「樹」
耳元でもう一度呼ぶと、ゆっくりまぶたを開けた。
「……こーち」
痩せた頬で微笑する。そうだよ、とうなずいた。
荷物を置き、丸椅子を取り出して座る。
今日の体調はどうかと気になったが、もう問われるのも嫌だろうと思い黙っておく。
樹の場合、酸素ボンベの流量がそれを物語っている。今は、少し多い。
「……あのね」
うん、と向き直る。「どうした」
「…窓、開けてほしい…」
わかった、と立ち上がる。
中庭に面した窓を開けると、人々の笑声が聞こえてくる。もしかしたらそれが耳に入るのは辛いかな、と思ったが樹は言った。
「気持ちいい…」
その穏やかな表情を見て、安心した。
「寒くない?」
まだ少し風は冷たい。樹は小さくうなずいた。
「…桜、まだ?」
ベッドの上からだと見えないのだろう。後ろを振り返り、
「まだかな。つぼみがね、だんだん膨らんでる」
「そっか。…俺、満開のときに見れるかな」
急に飛び出てきた現実的な言葉に、身を固くする。
樹の身体をむしばむ腫瘍という名の病魔は、確実に彼の時間を奪っていった。
もはや限界には近い。いや、とっくに限界なんて超えてしまっているのかもしれない。
それでも精一杯の希望を込めて、
「一緒に見ようね、桜」
うん、と笑ったが、次の瞬間には咳き込んでいる。苦しそうに胸をつかむ樹の手に、自分の手のひらを重ねる。
エールの言葉よりも、そばにいるという温かみのほうが特効薬になるのを、俺は知っている。
だから今日も、自分の温かさを樹に届けたい。
いつかいらなくなる日まで。
続く