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白山小梅
12
#借金
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食事会が終わった後。七香は友人たちが待つ温泉地まで下戸のためお酒を飲まない父親に車で送ってもらった。その道中、窓の外を見ながら先ほどの奈子との会話を思い出す。
昴くんにはあって、他の人にはないものーー頭をフル回転させて考えてみたが、逆にないものばかりが浮かんでしまう。
年齢よりも大人に見えて、好きになったら一途で、性欲にだらしなくて、でも本当は傷付きやすい自分を隠して生きているーー優しくて心が弱い人。自分のことを大切にしようとしない彼が放っておけなくて、母性本能が働いただけ。どこかミステリアスな一面に惹かれて、恋だと勘違いしてしまった。
あれは恋ではないと思おう。私の恋のスイッチを押してくれる人は、これからきっと現れるに違いないからーーそんなことを思いながら、首元のネックレスに指を絡める。そこにはあの別れの日に昴に渡されたレモンのネックレスが、今も爽やかに七香の胸元を彩っていた。いつまでも捨てることが出来ず、むしろお気に入りになってしまった。
窓から今日泊まるホテルが見え、七香は我に返る。せっかくの友人たちとの旅行なのだから、昴のことを考えるのはやめよう。
車がホテルの入り口に横付けされると、七香は車から降りてキャリーバッグをトランクから取り出した。しかし何故か口から大きなため息が漏れてしまう。
「なーにため息なんてついてるんだよ! みんなと旅行だろ? いっぱい楽しんでこいよー」
「うん、送ってくれてありがとね。」
父親は家族が宿泊する海舟のペンションに向かって、再び来た道を戻って行く。七香は笑顔を浮かべながら、父親の運転する車に手を振った。
それからキャリーバッグを引きながらロビーに足を踏み入れた七香は、ショルダーバッグの中からスマホを取り出すと、近くのソファに腰を下ろす。そして到着したことを翔子に伝えようと、メッセージを打ち始めた時だった。
到着したエレベーターが開き、やけに賑やかなグループが降りてくる。男女五人組だったので思わず立ち上がってしまったが、それが友人たちではないことに気付いて慌ててソファに座った。
案の定、翔子からの返信には『今ホテルに向かってるから待ってて。あとちょっとだから!』と書かれており、自分の勘違いだということがわかって恥ずかしくなる。
私のこと、変な子がいるとか思ってないかなーードキドキしながら顔を上げた七香は、先ほどのグループの内の一人がこちらを見ていることに気付く。そしてその男性と目が合った瞬間、七香は驚いたように目を見開き、再び勢いよく立ち上がった。
「す、昴くん⁈」
そう口にした瞬間、後悔した。慌てて両手で口を押さえると、男性は七香を怪訝そうに見てから、こちらに向かってズンズンと歩いて来たのだ。
ちょうど奈子と話した後だったことに加え、この五年間、スマホに移した昴の写真を時々見ていた。そのため、時間がどれだけ過ぎようと、彼の顔を見間違えるはずはなかった。
あぁ、この顔……絶対にそうだ。あの頃より大人になったけど、相変わらず端正な顔立ちをしている。もうこの先、一生会うことはないと思っていたし、トラウマの原因である彼とこんな場所で再会するなんて予想だにしなかった。
ただ彼はきっと自分のことを覚えているわけがない。たった数日顔を合わせただけの関係。七香のように写真を持っていたわけでもないし、気付かれない自信があった。
とはいえ本能的にパッと顔を逸らしてしまうが、昴は執拗に七香の顔を追い続け、
「顔」
と言ってあごを掴まれた瞬間、今度は昴の瞳が何かを思い出したかのようにパッと開かれた。
「もしかして……七香?」
まさか彼が自分のことを覚えているなんてーー七香は驚いて目を見開くと、思わず体が飛び跳ねた。しかし認めることを拒絶するかのように、心臓が大きく鳴り始める。
「ち、違いますけど……」
なんとか絞り出したが、昴は目を細めながら七香の首元のネックレスに指を絡める。
「ふーん、七香じゃないんだ」
「はい、どなたかと勘違いしているんじゃないですか……?」
パッと顔背けたが、そこでタイミング悪く翔子たちが自動ドアを抜けてくる。そして七香を見つけた途端、満面の笑みで口を大きく開けたかと思うと、
「あっ、七香! 遅れちゃってごめんねー!」
と叫んだのだ。
止めようがなかった。届きもしないのに、止めようとして伸ばした手を引っ込めることが出来ず、視線だけ宙を仰ぐ。すると昴は不敵な笑みを浮かべ、再び七香のあごを掴んで自分の方へ向かせた。
「じゃあ今呼ばれた名前はなんだろうな」
「空耳じゃないかと……」
苦し紛れにそう言った七香の言葉に、昴は突然吹き出した。その瞬間、七香の体に震えが走る。あの時と変わらない笑い方に胸がギュッと締め付けられる。
「ちょっと昴、何いきなり女の子ナンパしてるわけ?」
昴の背後からやって来た女性が、彼の肩を掴んで七香から引き剥がした。明るい茶色の髪で、丈の長いキャミソールワンピース、メイクも少し派手目の女性は、昴の腕に自分の腕を絡める。
その姿に違和感を覚えた七香は、不思議そうに昴はを見つめた。この女性と昴の親密度が高いのは見ればわかるが、それなら早紀との関係はどうなったのだろうーー。
「ちょっとあなた! いきなり七香に何をするんですか!」
今度は翔子が昴と七香の間に入り、彼を牽制するかのように睨みつける。
二人に睨まれた昴はため息をついて頭を掻いた。
「彼女は知り合い。声をかけたら悪い?」
「はぁ? 偶然会ったっていうの? そんなことあるわけないじゃん」
「七香、あの人が言ってることって本当なの?」
明らかに疑いの目を向けている翔子が、心配そうに七香に尋ねた。
ここはなんて答えるのが正解なんだろうーー全員の視線が自分に向いていることがわかる。ふと昴に目をやるが、彼は相変わらず感情の読めない目で七香を見ていた。しかしその視線こそが、彼の心を映し出しているように見える。
七香は小さく息を吐くと、頷きながら微笑んだ。
「うん、本当に知り合い。だから安心して」
七香が答えると、昴は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに無表情に戻る。それは彼が安心した合図に見え、七香の胸がトクンと弾むのを感じた。
「ほら、言っただろ」
得意気に呟くと、その場にいた全員が口を閉ざした。
「それならいいんだ。じゃあチェックインしなきゃだし、あっちに行こう」
「あっ、うん」
翔子に強く腕を引かれたので、昴の様子を確認することは出来なかった。彼は今どんな顔をしているのだろうーー後ろ髪を引かれながらも、突然頭に早紀の姿が思い出され、彼に必要以上に関わることへの危機感も蘇ってきた。
タイミング次第では顔を合わすこともあるかもしれない。それでも深く関わらないよう、気をつけていれば大丈夫だろう。それに彼も一緒に来ている女性がいるのだから、あえて自分に声をかけたりはしないだろう。
その時だった。
「今も写真は撮ってる?」
背後から声がして、思わず振り返った。たった数日、しかもそのうちの短時間だけの関わり。それでも彼が覚えてくれていたことを嬉しく感じる。
「撮ってるよ」
「そっか」
交わしたのはその一言だけなのに、二人で出かけたあの日のことが脳裏に蘇って懐かしくなった。とりあえず彼が元気そうで良かったーーあの別れからずっと気になっていた七香は、それがわかっただけでも心が軽くなった気がした。