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俺の名前は|鈴木《すずき》|龍星《りゅうせい》
高校2年生の一般的な陰キャだろう。
名前に似合わぬ引っ込み思案な性格で
昔から外に出るとクラクションや自販機の音が気になって落ち着かなかったり
メールを送るのにも考えすぎて時間をかけてしまったり
ほんの些細な変化にも気づいてしまって
何事も感情移入しすぎてしまうから
映画もあまり好きじゃない。
それに誰かが怒られていると
自分が怒られているみたいに感じてしまうこともあって。
周りからは「気にしすぎ」だの、茶化されるのが日常だった。
しかし
中一のときに参考書を買うために寄った紀伊國屋書店で
「繊細さんの本」というものが目に留まり足を止めた。
〝気がつきすぎて疲れる〟という文面を見て
ピンと来た俺はその本を手に取り、適当にページをパラパラと捲る
「繊細さん診断テスト」という項目に目で追うと
どれも自分に当てはまっていて、俺はその日を機に
自分がHSP
通称・|Highly《ハイリー》|Sensitive《センシティブ》|Person《パーソン》
だと知った。
それは親友の圭ちゃんも理解してくれていて
俺が本音を離そうとすると泣いてしまうのも
「そういう気質なら仕方ねえだろ」と、ぶっきらぼうに言いながらも変わらずに一緒にいてくれた。
圭ちゃんは小学生の頃からの親友で
俺らは部活こそ違えど中学も同じで
いつもどちらかの家に集まってはDSやSwitch、プレステでゲームをしまくって
帰りにゲーセンに行っては音ゲーやメダルゲームなんかするのが日課だった。
そんな中で、俺は圭ちゃんに恋心を抱くようになった。
きっかけは忘れもしない中二の春
放課後の教室。
桜の花びらが風に乗って窓から入り込み、教室の床にふわっと舞っていた。
教室にはもう数人しか残っていなくて、俺と圭ちゃんはいつものように、向かい合わせで机をくっつけて、くだらない会話をしていた。
「つかさ、修学旅行の班決め、あれ微妙じゃね?」
「うーん…まあ、俺は圭ちゃんと同じだから別にいいけど…元カノいるんだっけ?」
「そうそう、LINEもインスタもブロックしてんのに、未だに捨て垢とか使って連絡してくんだよな、まじだるい」
「え…大変、だね。ていうかなんで別れたの?あんなラブラブだったのに…」
「いや、まあ最初は好きだったんだけどな?途中から束縛激しくなったんだよ」
「束縛?」
「そ、彼女できてからお前と帰ること減ったじゃん?」
「そうだね。そういえば、昼休みとか、俺と食べるか彼女と食べるかで揉めたこともあったよね…?」
「あー、いっつも一緒に食べてんだからたまには、りゅうと食ってもいいだろって言って揉めたやつか」
「そうだよ、俺なんかほっといて彼女と食べなよって言ったのに圭ちゃん全然聞かないんだから…!」
「大体彼女いるんだから友達と遊ぶなっていうのが理解できなくね?しかも名指しで「鈴木くんと遊ばないで」とか言われたのが別れた決め手だし」
「え?!嘘でしょ…!?」
「本気だっつーの、なんか萎えたんだよ」
そう言って、圭ちゃんはふっと笑った。
その笑顔が、窓から差し込む夕陽に照らされて、妙に大人びて見えた。
俺は返事をするタイミングを逃して黙ってしまったけど
圭ちゃんは気にせず、机に肘をついて、俺の顔をじっと見て言った。
「…つーか、俺お前といる方が気楽だし…お前が女だったらたぶん付き合ってるわ」
その言葉を聞いた瞬間、心臓がドクンと大きく脈打った。
頭の中で、何かがカチリと音を立てて切り替わるような感覚。
俺は言葉を失って、ただ圭ちゃんの顔を見つめ返すことしかできなかった。
圭ちゃんは、冗談めかして笑ってた。
たぶん、深い意味なんてない。
きっと、男子同士の軽口のひとつ。
でも俺にとっては、全然違った。
その一言が、胸の奥に突き刺さって抜けなかった。
——「お前が女だったら」。
それは、男の俺じゃダメってこと
そうわかってるのに、嬉しかった。
もし俺が女だったら、圭ちゃんの「彼女」になれてたのかなって
そんなことを考えてしまう自分がいた。
その日から、俺は圭ちゃんを“親友”として見ることができなくなった。
嬉しくて、でも苦しくて
触れたいのに、近すぎて、逆に怖くて
いつもの日常が、少しずつ色を変え始めた——
恋が始まったって、気づくには十分すぎる瞬間だった。
現在、高校2年生になった俺は
変わらず圭ちゃんとゲーム三昧の日々を送っている。
そして未だに昔の些細な言葉を覚えていて
密かに圭ちゃんに片思いしている。
もちろん圭ちゃんは俺に恋愛対象として好かれているなんて知らないだろうし
俺がゲイということを知る由もないだろう。
でも、それでいい。
この気持ちはずっと隠しておくって決めてる。
だって圭ちゃんはノンケだから。
そんなのはわかってるから、俺の気持ちに気づかれて気まずくなるのは嫌だし……
何より、今の関係を壊したくない。
「りゅう、今日暇ならマック寄ってかね?」
放課後になり、机の上にスクールバッグを置いて帰る準備をする俺に後ろから声がかかる。
振り向くと、圭ちゃんが鞄を肩にかけて立っていた。
「あ、うん!行く行く」と返事をして、俺は急いで自分の鞄を持って席を立った。
圭ちゃんはいつも帰るとき、必ず俺を誘ってくれる。
俺はウキウキしながら教室を出て、二人で肩を並べて歩き始めた。
午後3時過ぎ、夏でまだ辺りは明るくて
駅までの道には、学校帰りの高校生が溢れかえっていた。
俺たちは迷うことなく、駅内の右奥に設置されているマックに吸い込まれるようにして入っていった。
「いらっしゃいませー」と店員に言われ、お互い注文をして向かい合わせに二人席に座る。
俺は肉厚ビーフ&ガーリックオニオンビーフセットを
圭ちゃんは倍ビッグマックセットを頼んだ。
注文の品を受け取りカウンターで受け取ると
再び席に向かい合って座り、早速ガサガサと音を立てて包み紙を剥がす。
目の前に現れたのは、広告写真に負けないほどの堂々たる佇まいだ。
バンズの焦げ目と、はみ出しそうなほど分厚いパティ。
その隙間から、黄金色に輝くフライドガーリックと、ソテーされた玉ねぎが顔を覗かせている。
香ばしい肉の匂いと、食欲をそそるガーリックの香りが混じり合い、一瞬にして俺の嗅覚を支配した。
「いただきます」と心の中で呟き、大きく口を開けてかぶりつく。
最初の瞬間、ふかふかのバンズの柔らかさが舌を包み込み
その直後にジュワッと肉汁があふれるビーフパティの旨みが口いっぱいに広がる。
噛めば噛むほどに肉の繊維がほどけ、濃厚な肉の味が口腔内を満たしていく。
そして、遅れてやってくるのが、カリッとしたフライドガーリックの香ばしい風味と
甘みが凝縮されたソテーオニオンのシャキッとした食感だ。
この二つが、ビーフの重厚さに軽やかなアクセントを加え、全く飽きさせない。
特製のソースもまた、全体の味をしっかりと引き締めていて、まさに完璧な調和だ。
期間限定なのが勿体ないくらい。
熱々でホクホクのポテトを、これまた熱々のうちにケチャップもつけずに一本
また一本と放り込む。
外はカリッと、中はしっとりとしたジャガイモの甘みが、口の中の肉の余韻と見事に絡み合う。
この感覚、この贅沢な組み合わせが、たまらない。
圭ちゃんが隣で幸せそうに倍ビッグマックを頬張っているのを見ながら
「圭ちゃん本当にそれ好きだよね」と言うと
「お前こそ、早速CMのジェラシックワールドのやつ食ってんじゃん」と口元を緩める。
俺は咀嚼したハンバーガーを飲み込んでからまた話を続ける。
「そう!だから今日圭ちゃんとこれてラッキーだよ」
「あれいつまでやってんだっけ?」
「確か7月中旬ぐらいだったと思うよ」
「へえ、じゃ今度食うか」
「ははっ、さすがに圭ちゃんでもその量食べたら食べれないかぁ」
「お前のくれてもいいんだぞ?」
「え?!こ、これはだめ!!色々と…!」
(そ、そんな、関節キスみたいになるじゃん…!)とは言えないが。
「は?色々とってなんだよ、俺の苦手なもんでも入ってんの?」
「そ、そういうわけじゃないけど…俺のだから、さ」
「全くケチくせぇな」
「圭ちゃんは一言多い!」
「へいへい」
圭ちゃんは半分くらい残ったハンバーガーに齧り付いて、コーラをずるずると啜る。
そんな姿を見てると自然と頬が緩んでしまう。
だって、俺が唯一圭ちゃんと二人きりになれる時間だから。
誰にも邪魔されないし、ずっと一緒にいられるし……
そんな時間を過ごせるなら、何個でもハンバーガーをあげたいくらい。
「あ」と圭ちゃんが何か思い出したように声を上げた。
俺はポテトを口に運ぶ手を止めて「なに?」と聞いた。
すると圭ちゃんは鞄の中からスマホを取り出して「これこれ」と俺に見せた。
そこには、最近Twitterでよく見るネットミーム表示されていた。
「ん?野球の記事?」
「いいから上の文字呼んでみ」
何かを企むようにニヤニヤしながら画面を近づけてくる圭ちゃん。
ポテトを口に含みながら、見出しに目をやると
そこには「エースがちんこ対決」
と書かれていた。
「ふふっ…ちょ…っ」
俺は口に含んだポテトを思わず喉に詰まらせた。
なんとかコーラで詰まりを解消すると
圭ちゃんは「おいおい、こんなんで笑うの小2までだぞ」と手を軽く叩いて爆笑している。
「……けほ、こほっ…待っ、それは悪意あるって圭ちゃん!」
「俺はこの見出し見た瞬間吹き出したけどな」
「いやキメ顔で言われてもカッコつけれてないよ?」
「明日絶対お前に見せてやろうと思ってさ~ナイスタイミングだったわ」
「圭ちゃんこそやってることクソガキじゃん」
「うっせ」
そんな圭ちゃんを見ていると俺もおかしくなってきて笑ってしまった。
数分後…
マックを後にすると、暑さは少しマシになっていた。
涼しくなったとは言ってもまだ暑くて
制服のワイシャツが汗ばむのを感じた俺はボタンを一つ外してネクタイも緩めた。
「あーくそ暑ぃ…」と言いながら襟をばたつかせる圭ちゃん。
「ちょっとコンビニ入る?」
「あぁ、次の快速まで時間あるしなんかアイスでも買ってこうぜ」
「うん!そうしよ」
俺たちは改札横のセブンイレブンに入った。
アイスショーケースの前までくると圭ちゃんは
「あ、俺これにしよ」と言ってスーパーカップのバニラ味を手に取った。
「え、またそれ?」
「りゅうと違って安定してんだよ、迷わなくていいわけ」
「まあ確かに迷わないけどね」
俺はハーゲンダッツのストロベリーを手に取った。
「それ先週も食ってたろ?」
「え…いつだっけ」
「ほら、確か先週の金曜じゃね?1週間のご褒美だから~つってウキウキで買ってただろ」
「わざわざ覚えてくれたんだ…?」
「わざわざもなにもいつも一緒にいんだから普通じゃね」
そう言われた瞬間、心臓がドキッとした。
「そっか……そうだね」
平静を装いつつ答えたものの、内心バクバクだった。
だっていつも一緒にいて、俺の些細な会話を覚えててくれてたってことで
そんなの嬉しくないわけがない。
このままずっと一緒にいられたらいいのに……
そう思わずにいられなかった。
そうして会計を済ますと、改札にICカードをかざして中に入った。
二人で2番ホームまで移動し、電車が来るまで時間があったため
空いているベンチに座って、さっき買ったばかりのアイスを食べることにした。
コンビニの袋からひんやりとしたハーゲンダッツのストロベリーを取り出す。
ずっしりとした重みが、なんだか期待感を高めた。
パッケージを開け、カップの蓋を剥がすと、目に飛び込んできたのは
淡いピンク色の滑らかな表面に、鮮やかな赤色の苺の粒々が散りばめられたアイスクリーム。
冷凍庫から出したばかりのそれは、表面にうっすらと霜をまとっていて見るからに冷たそうだ。
付属のプラスチック製スプーンを差し込むと、最初は少し抵抗があったものの
すっと吸い込まれるようにアイスがすくわれる。
それを口に運ぶと、ひんやりとした冷たさが一瞬にして舌を刺激し
次の瞬間、とろけるような滑らかさで口の中いっぱいに広がる。
やっぱり暑い日に食べるアイスは最高だ。
「ん、おいし!」
そう言って圭ちゃんを見ると、彼はすでに半分以上食べきっていた。
早いなあと思いながら俺も自分のアイスを食べ進める。
すると、ちょうど電車がホームに到着したようで
俺は急いでアイスを口の中に掻き込み
ゴミ箱に捨てると、圭ちゃんと電車に乗り込んだ。
外と違って中は快適で、すぐに体がひんやりとした。
ラッキーなことに乗った車両はBOX席だったため
俺は圭ちゃんの後ろを歩いて奥の車両まですすんだ。
二人席に並んで座ると
途端にだらっとして「はあ、最高…こっから動きたくない」とこぼす圭ちゃんに「それな」と笑った。
暫くして電車が発車されると
窓際で外の景色を眺めていた圭ちゃんが口を開いた。
「りゅうってさ、最近どうなん?彼女とか」
「え?」
思わずドキッとする。まさかそんな話題を振ってくるとは思ってもいなかったからだ。
「どうって……別に……いないけど」
俺はできるだけ平静を保って答える。
すると圭ちゃんは「ふーん」と興味なさげに答えた。
「なんだよ急に」と俺が聞くと
圭ちゃんは「日常会話」と言った。
「だってお前昔から全然そういう話しねーじゃん?女の影すらねぇし」
「……っ」
ギクッとしながらも平静を装う。
「それは…出会いがないって言うか」
「うそつけ、共学なんだから出会いはありまくりだろ」
「まあ……でも特に好きな子とかいないし……」
「お前中学ん時もそう言ってたよな?好きなやつの1人ぐらいいるだろ」
「……いないよ」
(だって俺の好きな人は、圭ちゃんなんだから…)
そんなこと言えるはずもなく、俺は苦笑いを浮かべて誤魔化した。
そのあと暫く会話は無くなり、電車の揺れる音だけが聞こえる。
しばらくして「次は〜札幌駅〜」とアナウンスが流れると
「りゅう、札幌着いたぞ」と圭ちゃんが立ち上がった。
俺もカバンを持って立ち上がり、降りる人の列について行った。
ホームに降りて改札を抜けると
街の喧騒が耳に届いてきた。
そこからまた同じバスに乗って
中央3条1丁目で下車する。
「じゃあ俺こっちだから」
「うん、バイバイ」
そう言って互いに手を振り合い
俺は左、圭ちゃんは右の方向に歩き出した。
いつもの帰り道なのに
今日はなんだか寂しさを感じてしまった。
一人になるとやっぱり寂しい。
もっと一緒にいたかったな……
でも、明日もまた学校で会えるし!
そんなことを思いながら俺は家路についた。
◇◇◇
翌朝
いつものように登校すると
すでに圭ちゃんが席に座ってスマホを触っていた。
「圭ちゃんおはよー」
俺が声をかけると
「はよ」と顔を上げて返事をする圭ちゃん。
「今日もあっちーな」
ぼやく彼の額にはうっすら汗が滲んでいる。
「だね」と相槌を打ちつつ自分の席に着く。
昼休み───
授業終了を告げるチャイムが鳴り響くと同時に
それまで押さえつけられていたような教室の空気は一変し、堰を切ったように生徒たちの話し声と
椅子が引かれる音が混じり合って爆音に変わった。
まさにカオスだ。
俺も、ようやく開放されたという安堵感とともに、スクバのファスナーを開け、今日の昼食である弁当箱を机の上に丁寧に置いた。
白いご飯と、母さんが作ってくれた卵焼きと唐揚げ。
今日の昼もこれで乗り切るか、と漠然と考えていた
その時、コツン、と軽い音が机を叩いた。
顔を上げると、向かいの席に座る圭ちゃんが
少し身を乗り出して
いたずらっぽい笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
その視線に、何か特別な情報があることを察した。
「りゅう、今日の購買、お前の好きなキーマカレーパンとかザンギ売ってるけど、行くか?」
その言葉は、俺の耳に吸い込まれるように届き、脳内で何度も反響した。
「キーマカレーパン」「ザンギ」
普段から購買では人気の品で、特にキーマカレーパンは週に一度出るか出ないかのレアアイテムだ。
それが、よりにもよってザンギと同時にだ。
「えっ、マジで?!食べたい!!」
俺の心臓は一瞬にしてドッと高鳴り
喜びと興奮が混じり合って、声が少し裏返ったのは仕方のないことだ。
弁当箱は一瞬にして俺の意識から消え去った。
すぐにカバンに手を突っ込み、二つ折りの財布を引っ張り出す。
「早く行こ、圭ちゃん!」
俺たちは示し合わせたように席を立ち
周囲の生徒たちがまだ弁当を広げているのを尻目に、教室を飛び出した。
廊下は、すでに昼食を求めて動き出した生徒たちでごった返している。
前方を行く生徒たちの背中が波のように揺れ、ざわめきと、時折響く笑い声が混じり合う。
一階のロビーへと続く階段を駆け降りると、さらに人波は増し、熱気に満ちていた。
そして、ロビーの奥、いつもお馴染みの購買の入り口が見えてくる。
ガラスの引き戸の向こうからは、すでにパンを焼く香ばしい匂いと、揚げ物の油の匂いが混じり合って漂ってきていた。
それはもう、抗えない誘惑だ。
購買の前には、すでに長蛇の列ができていて
中から聞こえる生徒たちの賑やかな声が
購買が今日の昼の主役であることを物語っていた。
俺たちは列の最後尾に並んだ。
前を行く生徒たちが、何を買うか迷っている様子や、友達と相談している声が聞こえてくる。
圭ちゃんはいつものようにスマホをいじりながら
時折俺に「お前、弁当とカレーパン一個で足りんのか?」なんて茶々を入れてくる。
「いや、まだ残ってたらザンギも食べる!」
「ガチかよ、本当にそんなちっせぇ体のどこに入んだろな?」
「好きな物は別腹なんだよ」
なんて返しながら、ガラスケースの中に並んだ出来立てのキーマカレーパンを眺める。
こんがりと揚がった衣に、少しだけ見えているカレーの黄色。
それから、隣に山と積まれた、見るからにジューシーなザンギ。
早く俺の胃袋に収まってくれ、と念じる。
列が少しずつ進み、ようやく俺たちの番になった。
「キーマカレーパンと、ザンギ一つください」
はっきりと告げると、購買のおじさんがテキパキと商品を取ってくれる。
お金を渡し、熱気を帯びた茶色い紙袋を受け取ると、その温かさが手のひらにじんわりと伝わってきた。
圭ちゃんは、俺の隣で少し考えてから「ザンギ二個」とだけ告げた。
会計を済ませて、購買を後にする。
購買のすぐ横には、冷たい飲み物を売る自動販売機がずらりと並んでいる。
せっかく熱々のキーマカレーパンとザンギを手に入れたのだ。
飲み物も、と俺は迷わず紅茶花伝のミルクティーのボタンを押した。
ガタン、という音とともに、冷たいボトルが取り出し口に落ちてくる。
圭ちゃんも隣で、「あー、やっぱコーラかな」と独り言のように呟きながら
迷うことなく赤色の缶コーラのボタンを押した。
ゴトン、という音。
俺は紅茶花伝のボトルを片手に、もう片方の手には温かいキーマカレーパンとザンギ一つが入った袋。
圭ちゃんは、冷たいコーラのボトルを片手に
俺より少し重そうなザンギが二個入った袋をぶら下げている。
昼休みの喧騒が響く中
熱い揚げ物と、ひんやりとした飲み物の感触が、なんとも言えない幸福感を与えてくれて
両手に今日の獲物をぶら下げて、俺たちは再び教室へと歩き出した。
そんなときだった
──そんなときだった。
ちょうど昇降口の前、階段を上がった踊り場。
昼休みの喧騒に紛れて、何気なく進んでいた足が、不意に止まった。
「……あれ、鈴木じゃん。奇遇〜」
聞き慣れた、けど思い出したくなかった声だった。
前田だ
中学のとき、俺の秘密を勝手にバラして、全部ぶち壊して笑ってたやつ。
一瞬で背筋が凍った。
反射的に圭ちゃんの前に立とうとして、でも足が動かなかった。
「鈴木ってさー、確か昔、樹のこと好きだったよなー?お前、ホモだもんなw」
「な、何言ってんの…!変なこと言わないでよ」
声が上ずった。
顔が引きつってるのがわかった。
笑おうとしたけど、喉がつまったみたいに乾いて、うまく笑えなかった。
圭ちゃんが、少し眉をひそめて前田を見る。
「お前だれ?つーかホモって、なんの話だよ?」
「俺?俺はコイツと中学一緒だったんだけどさー。コイツ男のくせに男が好きだったんだよ」
──息が、止まった。
圭ちゃんの前で、バレた。
ああ、最悪だ。
よりにもよって圭ちゃんの前で──
最悪だ最悪だ最悪だ……
「ま、高校でもよろしくな鈴木w」
そう言ってニヤつきながら背を向けた前田の声が、耳に焼きついて離れなかった。
圭ちゃんの顔を、見られなかった。
俺のこと、軽蔑してるかもしれない。
気持ち悪いって、思ったかもしれない。
──嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ──
「おい、りゅう…」
圭ちゃんの手が、俺の肩に軽く触れた。
その瞬間、手に持っていた紅茶花伝のボトルが
するりと滑り落ちて、床に「ガタン」と転がった。
ああ、ダメだ、もうダメだ。
目の前がぐらついて、音だけが大きく響いてくる。
ボトルを拾い上げる指が、ぶるぶると震えていた。
「その……ご、ごめん、先、教室戻ってて……っ!」
声が震えた。
圭ちゃんの顔を見たら、壊れてしまう気がして──そのまま走って逃げた。
───
空き教室
昼休みなのに誰もいないこの空間が、世界の端っこみたいに感じられた。
ドアを閉めて、鍵こそかけなかったけど、もう誰にも見られたくなかった。
圭ちゃんに──見られたくなかった。
膝を抱え、頭を抱えて、蹲った。
(圭ちゃんにバレた……ゲイだってバレた……)
(白い目で見られるかも。気持ち悪いって思われたかも──)
嫌だ、怖い、関係が崩れるのが怖い。
心臓がドクドクとうるさく鳴って、胸の奥で酸素が渋滞してるみたいに苦しくて
もう、涙すら出てこなかった。
そのとき──
「はあ…ったく、やっと追いついたわ」
ガラッと扉が開いた音に、思わずビクッと肩が跳ねた。
圭ちゃんだ
わかってても振り返れなかった。
立ち上がって、背中を向けたまま立つのが精一杯だった。
声を出せなかった。
「りゅう、なんでこっち向かねえんだよ」
圭ちゃんの手が、俺の肩を掴んで
優しいけど、逃がさないって力で、俺の体をぐっと振り向かせる。
顔を見られるのが怖くて、俯いたまま震える。
そんな俺に、圭ちゃんが、静かに──だけど真正面から聞いた。
「お前さ、男好きってガチなの?」
……心臓が、止まった気がした。
口の中が乾いて、言葉が出るまでに時間がかかった。
でも、もう……どうしようもなかった。
「……ご、ごめん。気持ち悪いよね…」
「俺、男のくせに、男が好きとか……普通じゃなくて、だからずっと隠してて……」
「ごめん、おれ、もう圭ちゃんにも気安く関わったりしない、から…っ」
言いながら、情けなくて、惨めで、怖くて仕方なかった。
拒絶されるのが、何よりも怖かった。
だけど──
「……ちょっと、落ち着け」
圭ちゃんの声は、やけに落ち着いてて
次の瞬間、もう一度、両肩をしっかり掴まれた。
「なんでゲイってだけでお前と関わるのやめなきゃなんねぇんだよ」
その言葉が、スーッと心に染みていった。
涙が、今度は止まらなかった。
圭ちゃんの顔、ようやくちゃんと見られた。
真っ直ぐな目で、俺を見ていた。
優しさなんて、求めてなかった。
でも──今、こんなふうに受け止めてくれる圭ちゃんが、たまらなく、尊くて。
ぽろ、ぽろ、と零れる涙を止めようとするほどに指先が震えて、逆に堰を切ったように溢れてきた。
涙が一筋、頬を伝って、シャツの襟元を濡らす。
圭ちゃんは、その様子を、ただ静かに見つめていた。
いつものおちゃらけた顔じゃなかった。
ちゃかすでも、呆れるでも、引いた様子でもない。
ただ、真剣に、俺のことを見てくれている目だった。
「…圭ちゃんは、俺が男好きだって知っても友達で…いてくれ、るの…?」
圭ちゃんは、その涙を見ても、慌てたり引いたりすることもなく
ただ黙って、そっと俺の頭を抱き寄せてくれた。
「…アホかお前。そんなこと聞いて俺がお前と友達やめるとでも思ったのか?」
低くて、落ち着いたその声が、耳元でゆっくり響いた。
「だ、だって…」
頭を撫でる手のひらは、温かくて、震えてた心がじんわりほどけていくのがわかった。
「大体俺、お前が誰を好きでも、別に変わんねーから」
「え…っ」
「むしろ、今までひとりで隠して頑張ってたお前の方が、すげぇって思うし」
その言葉が、どれだけの重みを持って俺の胸に届いたかなんて――
圭ちゃんはたぶん、気づいてない。
「……圭ちゃん……っ」
その言葉に、もう、堪えきれなかった。
喉の奥から漏れるみたいな嗚咽と一緒に、ぐしゃぐしゃになった顔で、圭ちゃんの胸にしがみついた。
泣きたくなかったのに。
カレーパンも、ザンギも、前田や昔言われてきた酷い言葉も全部どうでもよくなるくらい
いま、この瞬間だけが、俺にとって何より大事だった。
圭ちゃんの胸の鼓動が、耳元で静かに鳴っていた。
その音に包まれているだけで、初めて、ちゃんと「大丈夫だ」って思えた。
何も言わなくても、圭ちゃんはしばらくそのまま
俺を抱えてくれていた。
それが、どれだけ救いだったか、きっと言葉じゃ足りない。
──ようやく、落ち着いた頃。
「……なあ、冷める前にザンギ食おーぜ」
照れ隠しみたいに笑って言った圭ちゃんの顔に、俺も、ちょっとだけ笑った。
うん、と頷いて、空き教室の椅子に一緒に横に並んで座って、ザンギを食べ始めた。
圭ちゃんの態度はさっきまでと、何も変わらないようで
でも、少しだけ、世界が優しく見えた。