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放課後、教室を出ると、いつものように圭が当たり前みたいな顔して待っていた。
俺たちはいつもと変わらず、連れ立って駅へと向かった。
他愛もない話をしながら、改札を抜け
ホームへと降りる
ちょうど帰宅ラッシュの時間帯で、電車はすでに多くの人でごった返していた。
運悪く座席は全て埋まっており、俺たちは車両の連結部分近く
壁にもたれかかるようにして立つことになった。
俺は吊革に手を伸ばし、圭ちゃんは少し離れた場所で手すりに掴まっている。
車両特有の揺れに身を任せながら、今日の授業であった面白い出来事を圭ちゃんに話していた。
その時だった
ガタン、と一段と大きな揺れが電車を襲った
「うわっ!」
バランスを崩した俺の体が、大きく傾ぐ。
咄嗟に手すりを掴もうとしたけれど、間に合わない。
このままでは床に倒れてしまう──
そう思った次の瞬間
温かい腕が、俺の体をしっかりと抱き留めた。
圭ちゃんだ。
俺の背中に回された腕の力強さと
間近に感じる圭ちゃんの体温に、心臓がドクンと大きく跳ねた。
突然のことに頭が真っ白になり
圭ちゃんの胸に顔をうずめるような格好になってしまっていることに気づく。
圭ちゃんのシャツの匂い
そして微かに聞こえる心臓の音。
まるで時間が止まったかのように、その場に固まってしまった。
「ったく、危なっかしーな。大丈夫か?」
圭ちゃんの声が、すぐ頭上から聞こえる。
その声にハッとして顔を上げると、圭ちゃんの顔がすぐ目の前にあった。
普段は茶化すような笑みを浮かべている圭ちゃんの目が、心配そうに俺を見つめている。
腕の中にいることに気づいて、反射的に体が跳ねた。
「っ、ご、ごめん!」
慌てて圭の胸を押して離れた。
頬が、熱い。
耳の奥までじんじんする。
隣にいるのが圭でなければ、こんなに動揺したりしなかった。
いや、圭だから、こんなにも体温に敏感になる。
恥ずかしくて、まともに顔が見られなかった。
急に離れてしまった俺に、圭ちゃんは少しだけきょとんとした顔をしていたけれど
すぐにいつものようにニッと笑った。
俺はまだ熱を持った自分の頬を、電車の窓に映る風景で冷まそうとしていた。
圭ちゃんは気づいているのかいないのか、またスマホをいじり始めている。
(あー、もう、何やってんだ、俺……!)
動揺が収まらないまま、俺は俯き加減で残りの電車道を過ごした。
放課後、教室を出ると、いつものように圭が当たり前みたいな顔して待っていた。
俺たちはいつもと変わらず、連れ立って駅へと向かった。
他愛もない話をしながら、改札を抜け
ホームへと降りる
ちょうど帰宅ラッシュの時間帯で、電車はすでに多くの人でごった返していた。
運悪く座席は全て埋まっており、俺たちは車両の連結部分近く
壁にもたれかかるようにして立つことになった。
俺は吊革に手を伸ばし、圭ちゃんは少し離れた場所で手すりに掴まっている。
車両特有の揺れに身を任せながら、今日の授業であった面白い出来事を圭ちゃんに話していた。
その時だった
ガタン、と一段と大きな揺れが電車を襲った
「うわっ!」
バランスを崩した俺の体が、大きく傾ぐ。
咄嗟に手すりを掴もうとしたけれど、間に合わない。
このままでは床に倒れてしまう──
そう思った次の瞬間
温かい腕が、俺の体をしっかりと抱き留めた。
圭ちゃんだ。
俺の背中に回された腕の力強さと
間近に感じる圭ちゃんの体温に、心臓がドクンと大きく跳ねた。
突然のことに頭が真っ白になり
圭ちゃんの胸に顔をうずめるような格好になってしまっていることに気づく。
圭ちゃんのシャツの匂い
そして微かに聞こえる心臓の音。
まるで時間が止まったかのように、その場に固まってしまった。
「ったく、危なっかしーな。大丈夫か?」
圭ちゃんの声が、すぐ頭上から聞こえる。
その声にハッとして顔を上げると、圭ちゃんの顔がすぐ目の前にあった。
普段は茶化すような笑みを浮かべている圭ちゃんの目が、心配そうに俺を見つめている。
腕の中にいることに気づいて、反射的に体が跳ねた。
「っ、ご、ごめん!」
慌てて圭の胸を押して離れた。
頬が、熱い。
耳の奥までじんじんする。
隣にいるのが圭でなければ、こんなに動揺したりしなかった。
いや、圭だから、こんなにも体温に敏感になる。
恥ずかしくて、まともに顔が見られなかった。
急に離れてしまった俺に、圭ちゃんは少しだけきょとんとした顔をしていたけれど
すぐにいつものようにニッと笑った。
俺はまだ熱を持った自分の頬を、電車の窓に映る風景で冷まそうとしていた。
圭ちゃんは気づいているのかいないのか、またスマホをいじり始めている。
(あー、もう、何やってんだ、俺……!)
動揺が収まらないまま
俺は俯き加減で残りの電車道を過ごした。
家に到着してからも、その熱はなかなか治まってはくれなかった。
夕飯を食べている間も、ボーっとするばかりで
そんな俺の様子に、母が怪訝そうな顔をしている。
「ちょっと龍星、どうしたの?なんだかボーっとしてるけど……」
「……え?」
「熱でもあるの?」
そう言って俺のおでこに手をあてて、母は首を傾げた。
「ちょっと熱いけど、熱があるほどじゃないわね」
「……ああ、うん……」
「大丈夫なの?体調悪かったら言いなさいよ」
「……うん、何でもないよ、大丈夫」
そう、何でもない。
これは病気なんかじゃない。
ただ、好きな人のことを思い出して赤くなってるだけだ
なんて、口が裂けても言えないけど
(母さん…俺が男が好きだなんて言ったら…どう思うのかな)
夕飯の後
洗い物をする母の背中をなんとなく見つめながら、俺はリビングのソファに沈み込んでいた。
テレビの音がやけに遠く感じる。
賑やかなバラエティ番組のはずなのに、笑い声のどこにも気持ちがついていかない。
母はいつもと変わらない。
食器を洗う音、湯気の立つ音
台所に立つその気配
優しくて、ちゃんとしてて、俺のことをいつも見てくれている。
でも、それは「普通の息子」でいる俺を、だ。
テレビの音すら上滑りして、胸の奥だけがやけにざわついている。
まるで、自分だけがここにいないみたいな
そんな気持ち。
俺はもう、自分が「そう」だってわかってる。
最初にそれを意識したのは中一のとき。
クラスで仲の良かった男友達の笑顔に、なぜかドキドキして
女の子とは普通に話せるのに、その人相手だと目をすぐ逸らしてしまうこともあった。
普通は、女の子を好きになるって、みんな言ってたのに。
俺も共学の高校に入ったら好きな女の子ができると思ってた。
でも
中二の頃にはもう、はっきり自覚してた。
俺は、男が好きだって。
誰にも言えなかった。怖かったから。
気持ち悪いって思われるのが、友達を失うのが
家族に軽蔑されるのが、怖くてたまらなかった。
(母さんが知ったらすごく、嫌だろうな)
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
母さんは怒ると怖いけど、いつも優しい
些細な変化にも気づいてくれるし
料理だって俺の好物を覚えててくれるし、何より、いつも味方でいてくれる。
けど……それでも、このことだけは、言えなかった。
どうしても、怖かった。
母さんの前にいると、自分がどんな顔をしているのか、よくわからなくなる。
普段通りを装ってるつもりなのに、さっきみたいにちょっとしたことで心配されるくらい
きっと俺は、隠すのが下手なんだ。
それでもずっと、隠してきた
中一のあの時から
最初は、なんで自分だけみんなと違うんだろうって悩んだ。
女子にキャーキャー言ってるクラスの男子を見て、見惚れてしまうこともあった。
SNSで流れてくる自撮り界隈とかの女の子よりも
モデルだったり、男性インフルエンサーの顔にドキッとして
興奮できるのも女性の鎖骨より男性の鎖骨だった。
不純な気持ちだと思って、何度も自分を責めた。
でも無理だった。
俺が男を好きだって、母さんが知ったら
きっと、戸惑う
きっと簡単には、受け入れてもらえない
たぶん、すごく、悲しむと思う。
俺は、男が好きだ。
——ただ、それだけのこと。
それだけのはずなのに、こんなに苦しいのは、どうしてなんだろう。
(圭ちゃん……)
名前を思い浮かべた瞬間
胸があったかくなって、でも同時に、ぎゅっと締めつけられる。
あの笑顔も、声も、いつもの雑な絡み方も
今は全部、眩しすぎて苦しい。
今日、圭ちゃんにゲイだとバレたとき
正直、終わったって思った。
もう一緒にいられないかもしれないって。
でも……圭ちゃんは、アホかって笑ってくれた。
〝お前が誰を好きでも、別に変わんねーから〟
〝むしろ、今までひとりで隠して頑張ってたお前の方が、すげぇって思うし〟
その言葉に、どれだけ救われたか……。
圭ちゃんは、俺がゲイだってことを簡単に受け止めてくれた。
でも、俺の気持ちは、それだけじゃない。
圭ちゃんが、好きだということ
中二から、ずっとずっと——もう、三年近く。
ふざけ合って笑う時間も、肩を並べて帰る放課後も
どこかでずっと、触れたいって思ってた。
でも、それだけは言えなかった。
言ってしまったら、本当に壊れてしまいそうで。
「……はぁ」
自室に戻って、ドアを閉めると、ようやく少し呼吸ができた気がした。
ソファの柔らかさも、テレビの音も
母の気配も、全部が重たくて苦しかった。
ゲイということを母や父に打ち明けるのも
好きだということを圭ちゃんに打ち明けるのも
きっと、もう今みたいには戻れなくなる。
圭ちゃんは優しいから、拒絶はしないかもしれない。
でも、それまで通りの距離では、いられなくなる。
(俺が、圭ちゃんを好きって知ったら……やっぱり、気まずくなるかな)
好きな人に近づきたくて、でも近づけない。
そばにいられるのに、好きって言えない。
この気持ちを抱えている自分が、みっともないくらい、情けなく思える。
本当の自分を、誰かに知ってほしい。
理解してほしいって、思う。
でも、それはわがままなんだろうか。
甘えなのかもしれない。
(でも……それでも、いつか…)
布団に入っても、目は冴えたまま、天井を見つめていた。
何も答えなんて出ないまま、時間だけが静かに流れていく。
(……いつか、母さんにも、言える日が来るのかな)
心のどこかで、ずっと願っている。
ありのままの自分を、誰かにちゃんと受け止めてもらえる日が、来ることを。
でも、その“誰か”が、圭ちゃんであったらいいのに。
翌朝
キッチンから漂う出汁の優しい香りで、俺はゆっくりと意識を取り戻した。
布団の中で、まだ少しぼんやりとした頭でまぶたの裏に圭ちゃんの笑顔が鮮やかに残っている。
昨日、あんなにも温かい言葉をかけてもらえて
心の奥がじんわりと温かくなったのは確かだ。
暗闇の中で差し込んだ一筋の光のように、その言葉は俺を包み込んだ。
けれど、同時に、どこか冷たい鉛のような苦しさが、まだ胃のあたりに居座っていた。
その温かさと冷たさの奇妙な同居に、俺は戸惑いを隠せない。
布団の中で、何度も何度も頭の中で同じ問いを繰り返した。
堂々巡りの思考は答えなんか出るはずもなく、ただ時間だけが過ぎて
気づけば外は明るく、新しい朝が訪れていた。
重い体を起こし、リビングへと向かう。
母さんはもうすでにリビングで、いつものようにテレビをつけていた。
画面からは朝のニュース番組の陽気なテーマ曲が流れている。
そして、トースターからは香ばしいパンの匂いが漂い
「チーン」という焼き上がりの音が、妙に大きく、そして空虚に響いた。
昨日の夜、俺が抱えた感情の嵐なんて、母さんは何も知らない。
いや、気づくはずもない。
そのことに、俺は少しだけ、どうしようもない寂しさを感じていた。
自分だけが、何か秘密を抱えて、まるで違う次元にいるかのような感覚。
「おはよう、龍星」
母さんの明るい声に、俺は精一杯
ぎこちなくならないように気をつけながら返事をした。
「……おはよう」
テレビからは、派手なテロップと、スタジオのコメンテーターたちのわざとらしいほどのざわめきが聞こえてくる。
画面いっぱいに映し出されたのは、芸能人の結婚報道だった。
明るい笑い声と祝福の拍手の効果音が、見る者の心を浮き立たせるように画面をにぎやかに彩っている。
「……あら、このふたり結婚したのねぇ。お似合いじゃない」
トーストを皿にのせながら、母さんが本当に心底嬉しそうに言った。
俺も、思わずテレビに目をやる。
そこに映っていたのは、バラエティ番組でもよく見かける、どこか飾らない笑顔が印象的な女優の顔だった。
(……えっ)
思わず、小さな声が俺の喉から漏れた。
記憶の片隅に引っかかっていた言葉が、ふと蘇る。
「でも……この女優の人って、確か昔……同性愛者って、言ってなかった?」
それは、俺が中学の頃のことだった。
ネットで偶然、彼女がインタビューで「私はレズビアンです」と、笑顔で
そして堂々と語っている記事を見かけたのだ。
その時、まだ自分の感情に名前もつけられず
漠然とした不安を抱えていた俺にとって、彼女の言葉はどれほどの救いになっただろう。
自分だけじゃないんだ
こんな感情を抱えているのは、自分だけの間違いじゃないんだって
心の底からそう思わせてくれた人だった。
俺はカミングアウトなんてとてもできないけれど
自分の“これ”が、決して恥じるべきことではないと、彼女がそっと教えてくれたように感じていたのだ。
母さんは、そんな俺の言葉に、バターを塗る手を止めずに、あっけらかんとした口調で答えた。
「最近流行りのファッションレズだったみたいよ。ほら、イメージ戦略とか?ああいうの、今の子はすぐ飛びつくからねぇ。」
「ま、なんにせよ幸せそうでいいじゃない。 」
——ファッションレズ。
その言葉が、熱い鉄塊のように俺の胃の奥にずしんと落ちた。
瞬間、痛みと一緒に
何か熱くて苦いものが喉に込み上げてくる。
呼吸が浅くなるのを感じた。
母さんには、本当に悪気なんてなかったんだと思う。
ただ、テレビを見て、その言葉をそのまま口にしただけ。
きっと、世間の多くの人が、何の疑問もなく口にするであろう、“無邪気な感想”だ。
だが、俺にとっては、それが違った。
あまりにも、違いすぎた。
あの人は、ただのテレビの向こうにいる芸能人ではなかった。
勝手な思い込みかもしれないけれど、俺にとっては、心のどこかで“仲間”だと思っていた。
“周りの人と違うモノを抱えて生きてる人”として
ひそかに心を重ねていた。
強く共感を覚え、密かに勇気づけられてきた存在。
その人が——公衆の面前で
男の人と結婚して、堂々と頬にキスをしている
(……やっぱり俺って、おかしいのかな。俺の恋愛感情って、間違いなのかな)
テレビは、そんな俺の心の葛藤をよそに
明るく祝福ムードで満たされていた。
「いやあ、驚きはしたけど、最近流行ってますもんね、こういうの」
スタジオのコメンテーターが軽く笑いながらそう言うのを聞いて
俺の背筋にすうっと冷たいものが走った。
“ファッション”
“流行”
じゃあ、本物の「好き」はどこにある?
俺が抱えているこの誰にも言えない気持ちは——ただの“気の迷い”なのか?
ゲイと自覚して5年目に入る今もなお
誰にも打ち明けられず、ずっと飲み込んできた苦しさは?
この胸を締め付けるような痛みは?
思わず、持っていたスプーンを置いた。
カチャ、という小さな音が響いたけれど
母さんはそれに気づくこともなく、バターを塗る手を止めなかった。
母さんの優しさを、俺は信じている。
今までも、何度もその優しさに助けられてきた。
だが、たとえば「好きな人が男だ」と打ち明けたら
きっと、今日の言葉と同じように
どこか軽く、どこか“遠く返されてしまうのではないだろうか。
まるでそれは、俺の感情が
ごく一般的な〝青春の一ページ〟や
単なる〝思春期の迷い〟として片付けられてしまうような、そんな恐怖だった。
(怖いな……)
昨日の夜、圭ちゃんの言葉にあんなに救われたのに
希望の光が差し込んだと思ったのに。
たったひとつの会話で、また俺の心が闇の底に沈んでいく。
いや、突き落とされた気分だった。
母さんの後ろ姿を、虚ろな目で見つめながら
俺の喉がきゅっと締めつけられた。
「……ごちそうさま」
ろくに食を進めないまま、俺は椅子を引いて立ち上がった。
「あら、もういいの?トースト全然食べてないじゃない」
母さんの心配そうな声が背中に届く。
「ちょっと、食欲なくて」
それだけ言って、足早に自分の部屋に戻った。
ドアを閉めて、その冷たいドアに背を預けたとき
ようやく息ができた気がした。
閉ざされた空間が、唯一の逃げ場所だった。
目の奥が熱い
喉も、胸も、ずっと何かが閊えているみたいだ。
なんだかもう、口の中すら苦かった
(俺の“好き”は、どこに行けばいいの)
誰かに伝えたくて、でも怖くて、伝えられなくて。
このどうしようもない感情を、どうすればいいのか。