なんとか、息はある、それほど、前にいる晴康《はるやす》は弱っていた。
常春は、とっさに、晴康を抱き上げた。
「大丈夫だ。橘様の所へ行って、また、粥を食べれば、すぐに良くなる」
「……開かずの間に……」
晴康が、息も絶え絶えで、常春《つねはる》へ指示を送ってくる。
わかったと、答えながら、ぐっと再び晴康を抱き上げるが、常春は、その軽さに息を飲んだ。
まるで、紙切れを運んでいるようだった。しかも……。
晴康の体が、段々と、透けて行く。
力を使いすぎたからか、訳は、わからない。ただ、確かなのは、このままだと、晴康の身体《からだ》は、霞の様に消え失せてしまう。常春には、そう見えた。
「晴康!!消えるな!!戻ってこいっ!!」
常春は、叫ぶ。
その叫びに、ふっと、晴康が微笑んだ様に見えた。
「待っていろ!橘様に!!しばらく、堪えろ!晴康!!」
腕の中で、消えつつある友に、常春は声をかけると、開かずの間へ走り出した。
幸い、ここからは、目と鼻先。橘様と、合流すれば、なんとかなる。
と、根拠のない理由にすがりつつ、余りの出来事から逃げるかのように、常春は、全速力で駆けた。
「だから、なんで、タマの椀が、無いのですか?!」
一方、開かずの間では、タマが、ごねていた。
「あー、だからの、恨むなら、新《あらた》を恨め、椀を用意したのは、新じゃからのぉ」
「だけど、粥をよそうとき、椀の数が、足りないって、気づくでしょ?髭モジャ様!」
「ああ、もう、ワシのをやるから、機嫌を直せ!」
わーい!と、タマは、喜んだ。
「お前、そんなに粥が、好きなのか?」
「うーん、そんなこともないんだけど、お腹減っちゃて!」
「だけど、タマ、式神だよね。犬の形をした……」
「上野様!鋭い!」
タマが言うには、ほぼ、本物の犬に寄せるよう、晴康に、呪文をかけてもらっているので、腹も、ちゃんと減るのだとか。
「なんだか、もう、色々ありすぎ……」
「紗奈《さな》や、ため息などついている場合ではありませんよ。あなた、仕返しをするって、言ってたじゃありませんか!」
橘が、なぜか急に発破をかけてくる。が、異常に表情は固く、そして、髭モジャを見ていた。
「お前様、新《あらた》、なのですね?」
「おお、そうじゃ」
言う、髭モジャも、顔つきが変わっている。
「あの、どうゆうことなんですか?」
「女童子《めどうじ》、新が、仕組んでいたのじゃよ」
「う、うそ……」
「紗奈、落ちつきなさい。話を、聞きましょう。そして、仕返しを考えるのです。こんな、舐められたままで、事が、おさまりますかっ!!!」
とんだ、茶番につきあわされた、と口走る、橘からは、怒りがほとばしっている。
「髭モジャ!話して!」
あのぉー、と、緊迫する皆の気を崩すような、声が、遠慮ぎみに流れて来た。
「おお、タマ、お前は、これを、食っておれ」
髭モジャが、椀を、タマへ、差した。
「ええ、お食べなさい。タマには、力を付けておいて、もらわねばね」
「あっ、そっか!何か、使えるかもしれないもの!タマ、私の分も、お食べ!」
「何か、使えるかもって、上野様って、相変わらず、タマの事、使いすぎるよぉ!」
タマは、ぶつぶつ言いながら、嬉しげに尻尾を振りながら、椀の粥をペロペロと小さな舌を使って、食べ始めた。
「うん、ワシは、竈《かまど》で、粥の支度をした。そして、新に、棚から、椀を、とってくれ、と、言ったのじゃ」
「つまり、かまかけ、ね?」
「どうゆうことですか?橘様?」
「紗奈、うちの人は、あの調理場で、棚から椀を取ってくれと、言ったのよ。調理場は、壁一面、棚、じゃない?日常使いに、宴用にと、器を仕舞っておかなければならないでしょ?」
「あー!だけど、新は、あっさり、椀を、取り出した!」
「その通りじゃ、何処の棚だ?とも、聞かずにのぉ。ちゃんと、日常使いの器、それも、ワシらが使う下々の器を用意した。そんな、まぐれ当たりなど、あり得るか?」
「お前様、やはり、屋敷の者たちは、すべて……、琵琶法師の手の者……」
うん、と、髭モジャは、頷いた。
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