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「さっきも、見た事のない、女房様がいましたよね」
タマが、椀から顔を上げて、言った。
「なるほどのぉ」
「結局、屋敷は、既に襲われていた、も、同然だった……」
橘は、口惜しそうに言う。
「なんてこと!もう、許せないっ!新《あらた》のやつ!仕返ししてやるんだからっ!」
「紗奈《さな》!ちょっと待て!そんなことは!どうでもいい!!」
気が立っている皆よりも、さらに、数倍もの苛立ち声が戸口の外からした。
続けて、戸を開けてくれ!と、常春《つねはる》の、うわずった声がする。
髭モジャが、懐から、刃物を持ち出し、立ち上がった。
「念のためじゃ、心配するな」
常春も、誰かに脅されているのかも知れないと、髭モジャは、皆に、さがっているように言いつけると、引戸を開けた。
「橘様!!!」
刃物を持つ髭モジャに、目をくれる訳でもなく、蒼白な面持ちの常春が飛び込んで来る。
あっ、と、橘が叫ぶ。
皆も、何が起こっているか、常春に言われなくても、わかった。
その腕の中には、姿が消えかけている晴康《はるやす》がいるのだから──。
「た、橘様!!」
常春は、取り乱し、ただ、橘の名を呼ぶだけしかできないでいた。
「ああ、そんな!と、とにかく、横に!!」
言う橘も、膝が震えて、上手く動けない。
「晴康様!!」
異変を見て、タマが、駆け寄ろうとするが、髭モジャが、なぜか、止めた。
「タマ!晴康殿が、これじゃ。もう、お前しかおらん!屋敷の為に、動いてくれ!」
「で、でも、タマが、タマの力を晴康にお戻ししたら、晴康様は!!」
「馬鹿者!子犬ごときの力で、今の、晴康殿が、助かるかっ!!」
言って、手に持つ刃物をタマの前にドスンと、突き立てた。
ぎゃ!と、タマは、叫びつつも、髭モジャの言う事に、何かを悟ったようで、キリッと顔を引き締め、
「わかりました、タマは、タマとして、働きます!」
と、決意を髭モジャに見せる。
「そうじゃ、偉いぞ、タマ。きっと、晴康殿も、望んでいるはずじゃ」
「お前様、私は、紗奈と、晴康様に、ついておきます。どうか存分に、せめてもの、仕返しを、お願いします!」
「わかっとる!ワシの女房殿を、馬鹿にしたのも同じ、黙っては、引き下がらないぞ!」
ただし……、と言って、橘は、念を押すかのように、髭モジャを見つめた。
「うん。相手は、小物止まりじゃ。新《あらた》にも、それ以上にも、手はださん」
残念じゃがなと、髭モジャは、悔しげに呟いた。
「た、橘様?!こ、これは!」
「紗奈《さな》、落ちついて。そして、常春様も」
横たわる晴康の体は、ほとんど、床と同化するほど、消えかけている。
誰の目にも、ダメだと、わかるほど、その速度は進んでいた。
「……残念だけど、でも……大丈夫だから」
橘の困りきった顔をみた常春は、晴康にかけより抱きついた。しかし、常春の指差は、付かんでいるはずの晴康の、衣、ではなく、古びた床板を、探っていた。
「……ああ、ああ!そんな!晴康!!戻ってこい!!晴康!!」
「……あ、兄様……」
消え失せる、すんでの晴康に、しがみつこうと、床板をまさぐる兄、常春の姿と、起こっている事が、紗奈の頭の中では、理解出来ないと、悲鳴があがっている。
「た、橘様!!」
「紗奈、あなたが落ちつかなければ、常春様は……」
わあっ!と、耳をつんざくような叫び声がした。
床に突っ伏す、常春の姿。
そして、泣きじゃくる常春の懐には、横たわっていたはずの晴康の姿は、なかった。
「兄様!!!!」
「あ、あ、ああ!!!」
紗奈は、取り乱す兄を背後から抱きしめるが、その乱れようは、一層、激しくなって行くばかりだった。