2037年8月17日
横浜第二製鉄所2号炉前
頼は太刀を手にしたまま突っ走り、頼長の右腕を落とそうとした。
しかしもう一歩のところで、頼長は天高く跳び上がり、くるりと回転して頼の背後に降り立った。
「まだまだだな」
そのまま頼の首に手を回してがっちりと固め、もう片方の手で短刀を引き抜き、頼の首にあてがった。
「なぜこの場所を選んだと思う?」
身を下手に動かすことのできない頼は、うめくばかりだ。この状態では満足に声も発せない。
「お前を消す方法のうち、最も初歩的な方法はこうだ。——肉体には治癒能力があるのだから、その治癒能力で回復できない状態に陥れる。つまりそこの高温の炉の中にお前を放り込み、復活できないようにするんだ」
頼長は狂気に満ちた嘲笑のあと、こう続けた。
「復活できると思うか? 思わないだろう。有理数にゼロをかけるとゼロになる。そういうことだからな」
頼長は、刀を手にした頼の右手の、肘のあたりに短刀を当てた。そこはちょうど甲冑の継ぎ目になっていた。
ずぶりと短刀が肉に埋まる。血がじんわりと衣服に滲む。頼長はそこで一気に力を込めた。
刀がカーンと甲高い音を発して、右手とともに床に落ちた。
勢いの良い水道水のように、頼の右手の切断面から血が溢れ出る。だが頼は、敵意を剥き出しにした目と、その表情を変えることはしなかった。
彼はもう片方の手で短刀を手に取って、頼長の腹部に突き立てた。
「ぐっ……!」
「この手の痛みには慣れていないようだな」
頼は短刀を横に引いて傷口を広げ、引き抜いた。ドボドボと血が溢れる傷創に、頼長は慌てて手を当てた。
その隙に、頼は急ぎ縛り付けられた少女に駆け寄り、四肢の拘束を短刀で切って解いた。
「はやく安全な場所に逃げろ」
少女は怒りと悲しみの入り混じった表情で頼を睨みつけたあと、背を向けて暗闇に消えた。
頼が振り返ると、すぐ間近まで頼長が来ていた。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる、だな。もう治癒した」
腰に提げた刀をカシャン、カシャン、と鳴らしながら、頼に歩み寄る。
「しかし、右手がないのはさすがに痛いだろう」
「どうかな。そうだ、もう一度びっくりさせてやる」
頼はまだ止血しない右腕を頼長に見せつけた。
「一度切断した部位でも、簡単に癒着するのさ」
頼長は鼻で笑った。
「簡単に、癒着する? じゃあその切断した部位がなくなったらどうする?」
頼は大きく目を見開く。
「見てみろ」頼長は先ほど取っ組み合いになっていた場所を指差す。「お前の右手はどこに行った?」
煌めく太刀が一本、床に転がっていた。それだけだった。
「そうとも。お前の右手はすでに高炉の中で焼き尽くされてしまった」
——右手は、もう戻ってこない。
頼の髪が逆立ち、左手で短刀を抜いた。
雄叫びを上げながら、頼長に向けて突っ走っていく。
「おお、ようやくその気になったか。ならばおれも応じてやろう」
頼長は大ぶりの太刀をゆっくりと引き抜く。空中できらりと輝いた。
獣のように咆哮しながら、短刀を頼長の頭部めがけて振る頼。しかし、頼長の太刀はそれを軽々と制御した。
ふたつの刀がクロスした状態でつばぜり合う。が、片腕の力を失った頼の方が劣勢だった。頼は刀を逸らして後ろへ体を引く。
「そんなところだろうな」
頼長は不気味な笑みをたたえたまま、頼に向けて太刀を振っていく。頼は短刀で攻撃をかわすのが精一杯だった。キーン、キーン、と、刀同士がぶつかり合う高い音が響く。時折火花が散る。
後ろに下がりながら頼長との距離をひらこうとしていた頼だったが、それ以上下がれなくなった。フェンスに背が触れたのだ。
もう一度、頼長は真正面に太刀を振るった。頼の短刀が、震えながら圧しに耐える。
歯を食いしばって片手で堪えていたが、力量が等しい相手に片手で戦うのは必然的な負けを意味している。手から刀が抜け落ち、太刀は甲冑を破って頼の臓器に達した。刀が引き抜かれ、頼は力無く倒れ込んだ。
頼長は、もう反撃できない頼の身体を仰向けにさせた。
「とうとう、この時が来た」
しゃがみ込んだ頼長は得物を短刀に持ち替えると、頼の首元に当てた。
「百数年にわたって悪事を働いてきたお前に、格好の刑罰を与えてやろう。頭を切り落とせば、脊髄が切断され体は動かなくなる。そのあと全てを焼却すれば、お前は未来永劫苦しみ続ける霊魂となるだろう」
「じゃあそうしてみろ……。お前も未来永劫、おれの呪いに苦しむがいい」
「お前の意志におれは干渉されない」
頼の首に短刀が触る。そこに血の線が現れる。
「頼、これで終わりだ」
そう言った頼長は、赤色の眼光を一層強めた。そして右手に力が込められた、かと思われた。
目の光が消えた。その首は頼の胴の上に転がり落ちて、体躯も頼にかぶさる形になった。首からは大量の血が噴き上がる。
逆立った髪を生やした、切断された頭部。それを持ち上げる人間の姿があった。
血に塗れた姿で立ち尽くしていたのは、あの少女だった。
少女の右手には、頼が落とした太刀が握られていた。
頼は両目を大きく開いた。
「わたしは、まだ逃げない」
そう言い、少女は首をかかえ、高炉へと歩いていった。
炉の中に首を投げ込んだ。高温の炉の中で、頭部は煙を上げながらすぐにオレンジ色の融解物に飲まれていった。
その後ろから、首のなくなった身体を背負って頼が現れた。
「消えろ、頼長」
そう言って体躯を炉に投げ込んだ。
頼は顔に血を浴びていた。炉の中から発せられる光が、凝固した血液を浴びた顔を禍々しく照らした。
2037年8月17日
JBB臨時ニュース
「——今入りました情報によりますと、全国各地で大規模な爆発が同時にあったとのことです。詳細については、まだ情報が入ってきていませんが、何者かによるテロの可能性が高く、現在確認されているのは茨城、神奈川、岡山、長崎、——死者、行方不明者はまだわかりませんが、他にも多数の地点におきまして……はい。首相官邸と中継がつながりました。まもなくこの緊急事態に対する会見が——」
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